32号試し刷りと連休と深沢潮と推しと玄月『眷族』と在日朝鮮人作家と

 カレンダー通りの連休の中、最終2日間は低気圧により眠りつづけていた。自分の作品を引っ込めてやろうかという欲望を制御しつつ先月29日に郵送した試し刷りはすでに届き、もはやこれで22日の発行日を待つばかりとなった。今朝になってなんとなく発行が楽しみになってきつつあるので、まだラベル印刷とかいう、こういう機会にしか使わないから操作などほぼ忘れている状態で行なう作業が待ち受けているものの、郵送リストはこれでいいですよという声が掛かるのを待つほかはないのであった。
 まあ、そんな個人の事情をつらつら書いていても仕方ないので、前の記事とおなじく、ご購入いただけるかたを募集するのだった。9月26日の文学フリマ以降、つまり10月ぐらいからboothでの販売が予定されており、9月26日に コロナで中止にならない限りは文学フリマで買えますし、10月まで待てば、実在も疑わしい私に本名も住所も教えることなく安全にご購入いただける上(申し込むなりしてどれくら いでbooth上で販売開始されるのかはわかりませんが)、もし作品が掲載されているほかの同人とお知り合いでしたら、その人は気前よく無料でくれるかも しれませんので、よくよく熟考されてから決められるといいと思います。あと、大阪文学学校にも何部か置くと思いますので、そちらでも購入可能です。
 料金は私からご購入いただく際には頒価500円に送料手間賃400円とさせていただきます。ひょっとしたらおまけに『babel』4号をつけるかもしれません。当websiteに置かれているメールアドレスか、twitterのDMなどでお知らせください。
 ちなみに今日のこの時点までで3冊の予約が入っており、それなのに自分の作品を引っ込めてやろうかなどという欲望が生まれたのかと呆れられたことと思いますが、欲望の発生それ自体を制御することなど、はたして可能だろうか。欲望が発生してもそれを押し留めようとするのが人間の知性というものではないだろうか。そして文学者を名乗るならば知性に重きを置いて、深沢潮氏の受けたセクハラなどはぜったいにあってはならないし、その批判をとくに男性文学者はするべきなのではないだろうか。古井の件もこのまま忘れ去られていくのだろうね。

 先月のうちに、mixi以来の知人である詩人の谷口哲郎氏から、mixiに転送された私のとあるツイートに対し、宇佐美りんの『推し、燃ゆ』は問題作だよ、あの推しの誕生日、8月15日だよ、と教えられ、あ、それはなんか見落としてたな、と反省して、かつてmixiに書いた玄月『眷族』評を思い出しつつ、GW中にでも再読しようと考えたところ、実際にGW中に再読した。なるほど8月15日に「人間」となった、つまり「人間」としての誕生日を8月15日に迎えた人物があの「推し」だとすれば、現代社会の痛烈なイロニーとしてこの作品を捉えることは十分に可能か。たしかにその視点は「コンジュジ」にはなかったか。もっとも、それが「コンジュジ」ではなくて「推し、燃ゆ」のほうを推す理由であるのならば、そこを選評に書くのが誠実なやりかたなのではないかという気もするけれども。そして、刺さったかと言われれば、べつに、と言わざるをえないのが現状。

 文京沫『在日朝鮮人問題の起源』(クレイン)を読み終えてからここしばらくは在日朝鮮人作家の小説を中心に読んでいて、李良枝はいかにもあの時代の日本文学界隈が気に入りそうな感じだな、とか、『pray human』に関しては三島賞を逃すのは仕方なさそうだな、とか、金泰生、あの時代の在日朝鮮人作家としてはこのバランス感覚は貴重だな、でも朝鮮語の台詞を田舎訛りの役割語にしてしまうのは、なんかいろいろわかるし私の立場で一概に否定するのは問題あるだろうけどどうなんだろうな、とか勝手なことを考えたりしていて、いまは講談社文芸文庫の鷺沢萠『帰れぬ人びと』を読んでいる。『対抗言論』vol.2で康潤伊氏も言っていたように、私もどちらかといえば作品として鷺沢萠のほうを評価したい。李良枝の重要性とかは十分にわかってはいますが。

さいきん読み終えた本
李良枝『由煕/ナビ・タリョン』(講談社文芸文庫)
崔実『pray human』(講談社)
宇佐美りん『推し、燃ゆ』(河出書房新社)
金泰生『骨片』(創樹社)

さいきん観た映画
『狼をさがして』(キム・ミレ)シネ・ヌーヴォ

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