白鴉例会と32号入稿と『街の上で』と「アゴアク」と #文化芸術は生きるために必要だ と

 本日24日、白鴉例会。二作。蒔田作品は読書会からはじまる恋愛小説。それこそ現実に諦めている私には恋愛ものは心底どうでもいいのだった。大学常勤講師の人からパート勤務の私と非正規つながりとして一緒にしてこられることがままあるのだけれど、何度言われてもこちらとしてはピンとこない。実際の生活とかわからんしな。こちらの想像力の限界なのだろう。まあそんなことは一切この作品には関係ないが。碧井作品は80年代の神戸を舞台としたローラースケート文化を描いたもので、読みながら昨年公開されたスケボー映画『行き止まりの世界に生まれて』と『mid90s』のことを思い出し、この作品はどちらかというと『mid90s』のほうで、ローラースケート文化を中心に書いてほしいなと思ったしそう言ったものの、ほかの人はまったくそんなこともないらしかったので、まあいつものごとく私のセンスのかけらもない意見などは唾棄に付した上で却下されることだろう。そういえばスケボーにはスケボー動画を撮る文化があったけど、ローラースケートはどうなのだろう。あとマービンゲイじゃなくてマーヴィン・ゲイだと思った。
 開始前と終了後に『白鴉』32号の発行部数やらの話し合い。boothでの販売も開始することに決定したけれども、9月26日に行なわれる文学フリマ大阪が終わってからの話らしい。『白鴉』が文フリで売れるのってだいたい多くても20部ぐらいなものなので、boothでもどうだかという話ではあるが、私のような不審者が本名と住所を要求してくるという、相手にとっては恐怖かつ不快きわまりないことが発生しないというおおきなメリットがあるのだった。

 22日の晩、というよりも23日のほぼ朝方に『白鴉』32号のデータをすべて印刷所へ入稿。来月の22日に発送作業が行なわれる。
 そんなわけで、今回もご購入いただけるかたを募集します。上述の通り、9月26日の文学フリマ以降、つまり10月ぐらいからboothでの販売が予定されており、9月26日にコロナで中止にならない限りは文学フリマで買えますし、10月まで待てば本名も住所も教えることなく安全にご購入いただける上(申し込むなりしてどれくらいでbooth上で販売開始されるのかはわかりませんが)、もし作品が掲載されているほかの同人とお知り合いでしたら、その人は気前よく無料でくれるかもしれませんので、よくよく熟考されてから決められるといいと思います。あと、大阪文学学校にも何部か置くと思いますので、そちらでも購入可能です。
 料金は私からご購入いただく際には頒価500円に送料手間賃400円とさせていただきます。ひょっとしたらおまけに『babel』4号をつけるかもしれません。当websiteに置かれているメールアドレスか、twitterのDMなどでお知らせください。
 参考までに、32号の目次と私の作品の1頁めをこの頁の一番下に公開しておきます。

 恋愛ものは心底どうでもいいと最初のほうに書いていたが、「恋愛」を書く上でそこから何かが派生するなら話は別で、今泉力哉監督の『街の上で』がそうだった。この監督の作品は2019年に観た超名作『愛がなんだ』以来二本目なのでそんなに私は詳しくもないので今泉監督がどうこうと言う資格などまったくないのだが、先日アトロクで監督みずから、『街の上で』はジャームッシュがカウリスマキ風のを撮った感じと言っていたのがまさにぴったりだった。私がラジオでこの話を聴いたのは一回目観たあとだったが、ジャームッシュもカウリスマキも好きなので、観る前に聴いていたらぜったい観に行っていただろう。
 主人公をはじめとしてさまざまな人間模様や恋愛模様が描かれる中で、主人公と冒頭で喧嘩別れする女性との仲がとりあえずは中心軸のようなものとして設定されてはいるものの、主人公が行き着けている古書店(実在の有名店古書ビビビ)の女性店員や大学の卒業制作で映画を撮ることになった女性監督(『花束みたいな恋をした』で壮大な無駄遣いがなされたことでお馴染みのあの人)と衣装係の女性など、そこそこの関係を結んでいく人物はもちろん、主人公がたまたま寄ったライブハウスで知り合った女性やたまたまラーメン屋で再会した風俗嬢にいたるまで、話の中心軸となる、絶対中心的な「語り」の審級はこの作品世界になく、あくまでも下北沢の一角で生活を営む人々の日常を切り取った作品として撮られている。
 おそらく私が「アゴアク」で文体のレベルでやろうとしていたこととおなじことが試みられていることはまちがいなく、私は小説の主人公が持つ特権的な「語り」の審級を取り去ってしまうことが目的だったけれど(そしてそれは成功しているのかしていないのか、まったく読み取られていないのかすこしは伝わっているのか、さっぱりわからないのが現状なのだけれど)、またいつかこの感じに挑戦したいものだなあと。
 『街の上で』の「語り」の審級の無化は冒頭と終盤でなされている。自主映画の一場面を流したあとのナレーションから、このナレーションの発言者が終盤、主人公の働く古着屋でついた嘘で、この映画を観た人は、この映画の中で流れているものごと、時間は、あくまでも誰かが編集したものであるし、誰がどの部分を必要なものとして残しておくか、それはその人自身によって決まるのであった。


さいきん読み終えた本
李里花 編『朝鮮籍とは何か──トランスナショナルの視点から』(明石書店)
中村一成『ルポ 思想としての朝鮮籍』(岩波書店)
文京沫『在日朝鮮人問題の起源』(クレイン)


さいきん観た映画
『騙し絵の牙』(吉田大八)TOHOシネマズ伊丹
『ザ・バッド・ガイズ』(ソン・ヨンホ)シネマート心斎橋
『街の上で』(今泉力哉)テアトル梅田
『街の上で』(今泉力哉)2回目。テアトル梅田
『水を抱く女』(クリスティアン・ペツォールト)テアトル梅田
『異邦人』(ルキノ・ヴィスコンティ)シネ・リーブル梅田


過去のブログ記事
略歴と作品


『白鴉』32号目次

画像2


「呪われて死ね」1頁目

画像1


投げ銭はかならず創作の糧にさせていただきます。よろしくお願いします。