年始の挨拶と『現代思想』ロスジェネ特集とベケットと文学フリマ京都のお知らせと
今年は年賀状が一通も来なかった。今年もよろしくお願いします。新年の挨拶メールは今年も欠かさず。返信いただいたかた、ありがとうございました。
今年の読了初めは『現代思想』2022年12月号だった。ロスジェネ特集ということで、いつもの顔触れが揃っていて寂しくない、とかそういう問題ではなく、まるでこのメンバーに定期的に仕事を与えるためにロスジェネ問題が存在するかの様相。すこしは期待して読んでみたが、まあ、あいかわらず論じられるのはアニメやら漫画、評論関係しかなく、唯一、短歌が出てきてそれだけは新鮮だった。サブカルに徹したいのだろうと親切に解釈するにしてもアニメ以外の邦画になにも取り上げるべきものはなかったのかと思うし、音楽関係ならば、とくにロスジェネの中でもいちばん過酷とされている78年生まれに優れたラッパー多く出ていると言われている現象を掘り下げられる人間はいなかったのか。なにより私としてはやはり小説でどのようにそれが描かれているのかがずっと気になるのであり、自分も「ロスジェネ」に含まれる(しかも前述の通りいちばんきついとされている)世代であるのに、私自身にとって、どこか他人事のようにしか受け止められないものだった。まあ、結局、自分がそういう小説を書くしかないのだろう。
『抗路』10号も読みはじめているが、今回もいい記事が揃ってるなと思うとともに、ひとことで「在日」と言ってしまうことの危うさをあらためて知ることができている。
映画初めは原一男監督の『全身小説家』。第七藝術劇場で。去年の2本目がおなじ第七藝術劇場での原一男監督『水俣曼荼羅』だったので、縁起がいい。斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』を読んで気になっていた井上光晴のドキュメンタリーということで観た。昭和の小説家だなあという印象がとにかく強い。年始の挨拶まわりみたいなやつ、いまはもうやってないんだろうな。監督によるトークショーもあり、『あちらにいる鬼』disがとくに最高だった。ほかにもいろいろ、創作者として信頼できるなあと。
本の初買いはウェンディ・ブラウン『新自由主義の廃墟で──真実の終わりと民主主義の未来』(人文書院)、ガヤトリ・C・スピヴァク『サバルタンは語ることができるか』(みすず書房)、チャールズ・ブコウスキー『郵便局』(光文社古典新訳文庫)。
去年はこんな感じ。
昨年11月の記事にも紹介した古井フラ氏に個人的にお願いして書いてもらった絵というのがこちらなのだけれど、
いただいたメールにこの絵についての文章も寄せていただいていたことを年が明けてから気づくというたいへん失礼なことをしでかしてしまっており、twitterでも紹介させていただいたが、もういちど、ここでも引用しておきたい。
そしてこの絵のモチーフのもととなったのが、こんど文学フリマ京都で販売する『白鴉』33号に掲載される作品「うまれるところ」で、校正中の原稿をtwitterに載せたこともある。
今回、作者全員がそれぞれ自分の作品に概要を発案しているのだけれど、私のは、
というもの。うん、よくわからない。ちなみにほかのかたがたはちゃんと説明していてえらいなと思う。先日、「たまむすび」を聴いていたらブルボン小林a.k.a.長嶋有氏が、エンタメは予定やらアトラクションやらがしっかり用意されたツアーのようなもので、純文学は一人旅のようなものだ、と言っていて、説得力あるなあと思ったので、今回の言い訳に使用する。言い訳になってませんが。これだから純文学は嫌われる。
情報を整理しますと、こんどの15日に京都市勧業館みやこめっせで行なわれる文学フリマ京都での『白鴉』ブースは「え-42」です。私が店番する時間帯は13:30〜15:00ですが、私自身は前日から京都に前乗りしており、それ以外の時間帯にも、会場、もしくはその近辺を徘徊している可能性があります。
さいきん読み終えた本
『現代思想』2022年12月号
さいきん観た映画
『全身小説家』(原一男)第七藝術劇場
投げ銭はかならず創作の糧にさせていただきます。よろしくお願いします。