民の口を防ぐは、水を防ぐよりも甚だし(史記)
「民の口を防ぐは、水を防ぐよりも甚だし」
(民衆の口を封じ、言論を抑圧することは、川の流れを堰き止めるよりも危険である)
周王朝は建国以来、徳治を基本方針として隆盛を誇っていましたが、数代を経て次第に衰退するようになり、重い刑罰や武力に頼るようになります。
周王朝10代目の王である厲王(れいおう)の代になり、この傾向はますます強くなり、国中から批判の声が高まるようになりました。
賢臣である召公(しょうこう)という補佐役が厲王に民衆の動向を伝えて反省を促すも、厲王