[企画]シュガ Agust Dそしてミンユンギ

ただ呼吸するように音楽を作るだけ

防弾少年団(BTS)のラッパーシュガ。Psyの<That That>とIUの<eight>をプロデュースしてフィーチャリングしたProd. SUGA。そして4月21日にソロアルバム 《D-DAY》を発表したアーティストAgust D。概ね「防弾少年団シュガ」と呼ばれる人間ミン・ユンギには大きく3つのアイデンティティがある。13歳の時からMIDI音楽を作ってきた作曲家志望生から、激しいラップが似合うアンダーグラウンドのラッパー時代を経て、3年余りアイドル練習生をした後、ボーイ・グループとしてデビューしたシュガの多層的な位置のおかげで可能なことでもある。彼もまたこんな道を歩むことになるとは予想していなかった。デビュー当初、防弾少年団のリアリティ番組<新人王防弾少年団–チャンネル防弾>でシュガは屋上に上がり、パン・シヒョク現ハイブ理事会議長に向かって「3年前、パンPDさんの口車に乗せられ、自分は騙された」と叫んだ。その事情とは「ユンギや、君は1TYMみたいなグループになるんだよ。振り付けはいらないし、リズムに乗ってるだけでいい。ラップだけ頑張ればいいんだよ」と説得されたが、いざデビューしてみると「放送局で自分たちの振り付けが一番大変だ」ということ。BIGHITのオーディションを受けた時も作曲家、ラッパー部門を志願したし、自分がプロデューサーになると思っていた人が気がつくとソ・テジと1TYMの系譜を継ぎながら、彼らよりずっと高難度のパフォーマンスを消化しなければならないボーイ・グループのメンバーとしてデビューしたのだ。

興味深いのは、シュガが夢と現実の乖離で混乱するどころか、デビュー当初から意外とアイドルが似合うキャラクターとして脚光を浴びたということだ。他のアンダーグラウンド・ラッパーたちがそうであるように、防弾少年団はデビュー前から自身のフリースタイル ラップとミックステープ、作業日誌をインターネットに載せており、意表をついてこれはYouTubeを中心とした防弾少年団の「尽きることのないトッパッ*1」の出発点となった。練習生時代から真剣に日常と作業の話を共有するコンテンツを着実にアップデートしていた防弾少年団は、大手企画会社所属のアーティストのようにTVのバラエティ番組にあまり出られない代わりに、インターネットプラットフォームをうまく活用するグループに進化した。カメラの前で自分を見せることを早々に訓練(?)されたシュガはVアプリ(現在weverseとして統合)とTwitterを通じたコミュニケーションに柔軟に対応し、<Run BTS>をはじめとする独自のバラエティ番組も巧みに消化し、独歩的なキャラクターを構築した。「アイドルらしい」ファンサービスに冷淡そうだという偏見を打ち破り、むしろ空々しくファンと同僚たちと接するシュガの最も有名な修飾語は「暖かいアイスアメリカーノ」だ。そうやってシュガには「私を苦しめる」「危険な男」だから「告訴する」というファンダム(該当するネタの由来を知りたいなら、YouTubeで「민윤기를 고소합니다 (ミンユンギを告訴します)」を検索してみてほしい。見てない人はいても、一度だけ見た人はいないという中毒性を誇る)が付き出した。

*1 떡밥(トッパッ)
直訳では釣りに使う餌、練り餌のこと。
オタク用語としては、推しのコンテンツや情報という意味として使われます。

防弾少年団のデビューアルバム《2 COOL 4 SKOOL》のタイトル曲<No More Dream>でシュガは既成世代が提示する成功の基準に疑問を表した(「うんざりなsame day、繰り返される毎日に/大人と親は型にはまった夢を注入する/将来のDREAM NO.1...公務員?/ 強要された夢じゃない、9回末の救援投手」)。自主プロデュースが可能なラッパーたちが主軸になった防弾少年団の叙事がヒップホップの抵抗精神から出発するのはとても自然である。防弾少年団の代表作<花様年化>シリーズが完成させた不安な青春の肖像はヒップホップ精神から出発したから具体化することができ、荒い少年のイメージはSM、YG、JYPが支配したアイドル市場で差別化された競争力になった。そして「アミ」と呼ばれる忠誠度の高いファンダムは、彼らが魅了された音楽をより多くの人に広めるためにマーケティングの役割を自任した。いわば「ハッシュタグ総攻」を通じてSNSトレンドランキングに彼らを露出させ、ラジオ放送に彼らの歌を一度でもより流してもらうためにエピソードを送った。そうやって防弾少年団はマニアと大衆、非主流と主流の境界を取り壊して今の位置に上がった。

防弾少年団の成功は世界の大衆音楽史で重要な事件として浮上したが、シュガは自分に何の使命意識もなかったという。彼の作業物はただ「音楽以外に特に楽しいものがなくて、趣味生活もなく、呼吸するように曲を作ってきた」という気質から誕生しただけだ。意外とグループとソロ曲を厳しく区分して作業するスタイルでもないし、その時その時に吐き出さなければならない感情を排出してきた。「不適格が出るほとんどの理由が自分のせいでした(笑)もし防弾少年団の歌がより精製された感じがするなら、それは放送審議のせいです。自分がガイドをあげる時は罵詈雑言が含まれていたのに、後で修正されたということです。」

龍山に位置したハイブ社屋で会ったシュガは、個人作業室を「ただの作曲家の部屋」と紹介した。ファンたちには「GENIUS LAB(ジーニアスラボ、天才ラボ)」という名前で知られている。周りに冗談で「幼い頃、自分は天才だって言われたよ!」とこぼしていたら、A&Rチームがもう彼の作業室の名前を「GENIUS LAB」と名付け、そのまま固まった名称だという。そして「GENIUS LAB」はどこにでも存在できる。《D-DAY》ソロアルバムの録音は全て社屋の中で行ったが、曲の作業は旅行先、あるいは釣り船の上、さらには<In the SOOP BTS ver.>の撮影に行った時も行ったという。その姿は4月21日にディズニープラスで公開される<SUGA: Road to D-DAY>にも盛り込まれている。

キム・グァンソクの<서른 즈음에(Around Thirty)>をサンプリングした収録曲<극야 (Polar Night)>は、メディアで防弾少年団の活動中止を云々する推測性の記事を次々と流してた時に作った曲だ。趣向が徐々に消えていくといい、これから迫る30代は一体どうやって生きればいいのかを問い、これからは楽しみながら生きていく方法を悩んで、30歳になった時にようやく旅行みたいな旅行を初めて経験したという現在進行形の感情を吐き出した。<사람 サラムPeople Pt.2 (feat. IU)>はタイトルを「사람(サラム:人、people)」にするのか「사랑(サラン:愛)」にするのか、あるいはリスナーの選択に任せるのか、最後まで悩んでいた曲だ。作業する時は一曲を何千回も聞くけど、リリースされた後は絶対聞かないという彼が再び尋ねたほぼ唯一の曲が《D-2》アルバム収録曲<사람(サラム:人、people)>だという。「過ぎていったっていいじゃん/傷ついたっていいじゃん/時にはまた痛むかも/たまには悲しくて涙を流すかもだけどいいじゃん」関係に超然とした心情を込めた歌を聴きながら、むしろ慰められた彼は、その後続作で同じように淋しい立場にいる他人を慰める。「人生は抵抗と服従の狭間の戦いと言うけれど/僕に言わせれば淋しさとの戦いだ/涙がこみ上げたら君、 泣いてもいいんだよ/あなたはもう愛されるに値しているのだから」。20代と30代の分岐点でこの曲を書いたシュガがほのめかした変化は、彼が「厳しい計画に従って音楽を作るのではなく、成果物を完成してから取り出す方式」で作業するので、自分自身でも予想できなかった率直な記録になる。


今は見る音楽の時代

13歳の時から音楽を作って17歳の時にエンジニアの仕事を初めて始めたシュガは「無名ミュージシャンの境遇がどんなものなのかとてもよく知って」いる。どこでも自分自身の曲を受け入れてくれる場所を見つけるために、一か八かずっと音楽を作っていたエネルギーはデビュー後も続き、グループ活動をしながらも1年に200〜300曲を作っていた。具体的な計画よりは、準備した曲がある程度溜まったらミックステープを発表するのが彼の創作スタイルだった。同時にアイドルグループのメンバーとしていつも多くの人と向かい合った。シュガは自意識に支配されたauteur(著者、作者、作家)よりは、同じ内容もどう伝えたらいいのかに、機敏に反応する熟練したテクニシャンを志すアーティストだ。「ありきたりなことをするということは、実は多くの人が予想しているから、好きになるという意味でもあります。ただ、cliché(型にはまったもの、陳腐な表現)になってはいけないと思います。人々が知っていることをするのと、やったことをまたするのは違いますからね」。プロデューサーとして外部作業をする時も「クライアントに全て合わせるべきだと思う」という。気難しい消費者たちが立ち並ぶKポップ産業で、一度ステージに立つたびに5万〜6万人の観客を相手にするような地位を固めた彼は、相手が望むところを気がきくベテランだ。この辺で彼がPSYの<That That>、IUの<eight>を大衆的に成功させたプロデューサーでもあるということを思い出す必要がある。

そのため、最近のシュガが見せる歩みは、最も個人的な記録を大衆に説得する技術を探す旅程に見える。ラッパーたちがアイドルになった時に生まれる奇妙な衝突が防弾少年団だけの大衆性を作り、より内密な物語を紡いだAgust D三部作を完成させたシュガは、その次の可能性に突進する。「今は見る音楽の時代」だと要約したシュガは、3年前のミックステープ発売当時に公開した<大吹打>に続き、タイトル曲<へグム 解禁>のMVコンテ(台本)を直接書くほど、ビジュアル・ストーリーテリングに熱烈な関心を持つ創作者だ。<大吹打>のMVで朝鮮時代の暴君もシュガ、現代の刺客もシュガの顔をしているが、今のシュガは快く過去の自分に銃を向ける。「俺の欲しかったもの、服 服、次は金 金、次はgoal goal、この次は一体何だ/その次はそう、なんか甚だしく感じる虚しい現実、上がない現象/上だけ見ていた俺は、もうただ下だけ見て、このまま着地したい」。突然訪れた成功に空虚な心と墜落の欲望を歌ったこの曲は、MVと出会い、粋な自己反省の叙事を完成させる。

もう一度、国楽(伝統音楽)の音を再解釈した<ヘグム 解禁>のMVは「禁じられた解放」とジョニー・トー(香港出身の映画監督)をはじめとする香港映画の中の暴力のイメージを並置させる。過剰の美学でむしろ無国籍の様相を志向しているように見えるシュガのソロ連作は、アイドルとラッパー、ビデオとオーディオの境界を取り崩してきた軌跡にも似ている。これまで映画音楽の提案を本当にたくさん受けたけど、すぐに取り組めるコンディションではなかったという彼は「死ぬまで音楽をやると思うので、長いマラソンを走っていれば、いつかはできるんじゃないかな」という余地を残した。誰よりも大衆的な感覚に忠実に鍛えられたアーティストのKポップの外に拡張していくであろう歩みが待ち遠しい理由だ。

ここからひぐま📝
こちらの記事は4つのシリーズ記事の2番目のものです。

1番目の記事の訳はこちら↓

3番目の記事の訳はこちら↓

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