[インタビュー] Agust D三部作の最後のアルバム、《D-DAY》 発売記念インタビュー

- 先行公開曲 <People Pt.2 (feat.IU)>が本日公開されましたね。先ほど写真を撮る時も、どうせならその曲を流しておいてと言ってましたよね。

= たくさんたくさん聞いてください。寝る時も聞いてください。(笑)

- カフェで流れてたら良さそうな感じの歌でしたね。それで先行公開曲に選んだんですか。

=1のバージョンはメンバーのジョングクがガイドをしてました。もちろん音楽が良くなければならないというのが最も重要な本質だと思いますが、今回のアルバムが僕の作業物であることを人々に効果的に知らせる過程が必ず必要じゃないですか。僕は10年間防弾少年団のシュガとして生きてきましたし、途中途中ミックステープを出す時は「Agust D」という名前を使いました。僕<大吹打>のMVを偶然に見かけた人たちがシュガに似た人だと認知するケースも多かったんですよ。それでシュガとAgust Dのシンクを合わせる作業をするためにIUと一緒に作業した<People Pt.2 (feat. IU)>を先行公開曲として発表しました。また、最近はいろんなSNSがありますが、1993年生まれはどうしてもCyworld(日本で例えるならmixi)を考えずにはいられないんですよ。CyworldのBGMとして使えそうな音楽、聞こえてくるから聞く音楽、ただ流しておける音楽、人生のBGMのように感じられる歌を作りました。正確に意図したターゲティングでした。最近は長所があまりに多いことよりも、短所のない、気に障る部分がない方がいいと思います。

- 今回のソロアルバムはいつから準備しましたか。

=ミックステープという表現で出してはいますが、すでにソロ歌手として正規アルバムを2枚発表しました。フィジカルアルバムが出たのは今回の《D-DAY》が初めてではありますが。アルバム作業が終わる頃、脳が一番ふわふわしてます。《大吹打》が出る時、《D-DAY》のアルバムの半分をほぼ全部作っておいた状態でした。かなり具体化されてましたが、リリースのタイミングを掴めずにいました。それで、いつから準備したのかという質問を受けると答えるのが本当に難しいです。しかも3年前に作った曲もあります。

- 先立って発表した2枚のミックステープ《Agust D》 《D-2》そして今回の《D-DAY》まで三部作を完成させましたね。最初から三部作形式を念頭に置いていたんですか。

= 幼い時から好きだった映画の中では三部作が多かったです。例えば<ダークナイト>シリーズ。アルバムを3枚ほど出した時、自分もそれっぽい人になっているんじゃないかな、という漠然とした信念を持って、2016年に初めてミックステープを出した時からトリロジー形式を考えました。もしその後に自分がうまくいかなかったら、三部作が完成できなかったと思いますが(笑) 僕のソロアルバムはすなわち自分が生きてきた記録でもあります。最初のミックステープを出した時は、当時の自分の考えを表現しないと防弾少年団として生きていく名分がないようで、2番目のミックステープを出した時はある程度考えが整理されて、過去と現在を行き来することができました。今回のアルバムはこの全てを網羅したかったです。僕という人はどんどん変わっていき、過去と現在が互いに繋がり、影響を取り交わしたりもします。シリーズ映画3編を作る時、1~2編にあった要素を振り返り、また持ってくるように、 《D-DAY》にはAgust Dの以前の曲から持ってきたものもあります。《D-DAY》のアルバムに必ずあるメッセージを載せなければならないと計算するよりは、一瞬一瞬、自分が好きだった、好きなものを眺めながら作りました。

- タイトル曲<ヘグム 解禁>は禁止されたものを解くという意味も込めていますね。これまで体感してきた、この社会で「禁止されたもの」は具体的にどんなものでしたか。

= 10年間アイドルとして生きてきました。練習生期間を含めると13年です。正直、たくさん節制しなきゃいけないですし、制約が多い人生です。自分だけじゃなく、アイドルであろうとなかろうと、多くの20~30代が同じような感じだと思います。やりたいことがあるだろうけど、それでもできない状況に置かれるし、また多くの人たちの顔色をうかがうような状況が私たちを禁止させてます。

- 最近亡くなられた坂本龍一さんとコラボした<Snooze>について話してみましょうか。映画音楽家でありながらピアニスト、メディアアーティストでもあった芸術家でした。

=幼い時、両親の手に引かれた大邱のある小劇場で<ラストエンペラー>を見たことがあります。当時、映画音楽にすごく圧倒されました。<Rain>は韓国のバラエティ番組でも緊迫した状況でよく使われるほどすごく有名じゃないですか。以後、13歳の時から音楽を作り始めたんですが、先生の曲をサンプリングでたくさん使いました。幼い時、サンプリングをリバースしてカットし、再びつなげる方式で習作を作ってたんですよ。音楽を初めて作り始めた時、僕にたくさんのインスピレーションを与えてくださったアーティストでした。ドラマ俳優、映画俳優、ミュージカル俳優、演劇俳優がみんな違ってなくて、彼らをみんな俳優というじゃないですか。音楽をする人たちも同じです。映画音楽をする人と大衆音楽をする人が区分されてなくて、音楽というのは互いに関連しています。ビハインドストーリーを聞いたことがありますが、坂本龍一先生は偶然に映画音楽を作るようになり、その後映画音楽監督として広く知られるようになったそうです。直接お会いしたのは一度だけで、音楽作業は有線上で行いましたが、本当に良い方でした。僕がすごく好きだったミュージシャンが遠い旅に出ることになってとても残念です。

ここからひぐま📝
こちらの記事は4つのシリーズ記事の3番目のものです。

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