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これからはノイズまみれの「面倒臭い市場」がやってくる
10時間の長尺動画だからこそ価値を感じる
突然だが、僕が好んで使っている動画サイトを紹介したいと思う。
その名は「ゲンロン完全中継チャンネル」。人文知を中心に多様な専門家たちの領域横断的な対談を動画で視聴できるものだ。
おそらくその手のコンテンツはYouTubeの大海を探ればたくさんあると思うのだが、「ゲンロン完全中継チャンネル」の明確な特徴を言えば、1つのコンテンツの収録時間が大変長尺であるということにある。
たとえば、「なめらかな一般意志は可能か」と銘打たれた『なめらかな社会とその敵』の執筆者である鈴木健さんと東浩紀さんの対談コンテンツの時間は、なんと10時間だった。
10時間…。
よく登壇者もそれだけ話が続く気もするが、見る側も見る側だ。
たとえ2倍速再生したところで5時間。Tiktokに代表されるように短尺動画が大事と言われている世の中において、どこにそんな時間をコミットする人がいるんだという感じもする。
でもいるんだよ、実際ここに(笑)
僕がなぜそれを視聴するのかと言えば、それはひとえに「長いから」だ。
おそらく1時間くらいの対談に設定できることも可能なのだと思う。
そしてあらかじめアジェンダを明確にすれば、どんなことが話されて、何を学べるのかがあらかじめ理解することができるようになるだろう。
しかし、もしそうなったとしたら僕は見なくなるだろう。
それでは対話の本質が抜け落ちてしまう、と思うからだ。
そこには2つのポイントがある。
まず、1つ目は、登壇者も含めて時間制限がないことを前提に対話するので、腰を据えて難しいことを難しいまま話すことができているということ。
このことは、現在のメディアでは珍しくなっている。
テレビなどはその典型だが、複雑な問題でもコメンテーターは20秒くらいで何かを語らなくてはならない。
そうなると、どんな専門家でも深い話をすることができなくなる。
テレビのコメンテーターは極端な例だが、大抵の問題は複雑であり、そんな短尺で話せるものなんてないのだ。
「AをやろうとするとBという問題が出てくる。だからCというアイデアが出てくるんだけど、それをやればDになってしまう…。そんなことを考えて、落とし所としてEをやむなく選択している。」
大抵の難しい問題は、あっちが立てばこっちが立たずという矛盾に置かれながらも、ギリギリの妥協点を打ち出しているものばかりだ。
それを短尺で語ろうと思えば、結論としてのEという施策の正当性を言い切るしかなくなるだろう。
2つ目のポイントは、短尺動画ではカットされてしまうような「構造化されていない雑談」や「言い淀み」などに、その人が本気で信じていることが表れるからだ。
1時間では演じたり繕うことができてしまうようなことも、さすがに10時間は難しい。一般的には「ノイズ」と見られてしまうことに、実はその人の悩みであったり、本音の部分が透けて見えるのだ。
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