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谷川嘉浩さんと一緒に「つくった」記憶を辿る
ちょっと前のことですが、マブダチの哲学者、谷川嘉浩さんと対談の機会がありました。
テーマは「つくる」ということ。
谷川さんがフライヤーで『「つくる」ことの探究』という講座を開設されることに合わせて、そのプロモーションを兼ねた対談でした。
本当は「つくる」ことのハードルを下げるメッセージを届けようと思っていたのですが、話しているうちに「つくる」ことのしんどさとかストイックさを語ってしまっていた(笑)
まあでも、それくらい「つくる」ということには多面的な顔があるということなのだと思います。「つくる」ことがしんどくて、やっとのこと仕上げることもあれば、気づかずに「つくって」しまっていることもある。
ヨーゼフ・ボイスは「ジャガイモの皮を剥くといった行為でさえ、芸術的な行為になる」と言ったらしいけど、確かに僕たちはある視点で見れば日々何かを「つくって」いると言えなくもありません。
以前似たようなテーマを超相対性理論で語ったことがあるのですが、その時の記憶を呼び戻してみると、その対話の一つの着地は「出口の重要性」だったような気がします。
(この回は議論が白熱して、合計6回の収録になった)
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