他人のウソに敏感になるにはどうすべきか?
先日、小説家の真山仁さんと共催の私塾「正疑塾」を開講した。
各回とも真山さんの本をテーマにして、真山さん交えて、少人数で膝突き合わせて語り合うスタイルの塾だ。
初日は出たばかりの『疑う力』を使った。この本を使って、いかに情報を鵜呑みにせずに、情報を咀嚼できるかが大きな論点だ。
ファンならご存知の通り、真山さんは執筆のために膨大な取材を行い、政治家やメディアが語るそれらしい言説の裏側にある生々しい現実をストーリーに乗せて届けてくれる。
あの歴史的事実として決着したはずのロッキード事件さえ、「事実」と思われていたことの裏側にさまざまな怪しさがあることを著作『ロッキード』で知ることになる。
そんな真山さんに対して、当日の議論では、参加者からこんな問いが出た。
「どうやったらウソに敏感になることができるのか?」
これに対する真山さんの答えの要点はこんなものだった。
この質問に対して真山さんは5分くらい息継ぎせずに話したので(笑)、ほんの一部分でありかなりの意訳なのだが、この話はとても印象に残った。
つまり、真偽の判断がつきやすいホームグランドで「ウソのメカニズム」を理解せよ、ということだ。
もしそれができれば、自分の知見がないアウェイグランドでも、そのメカニズムを使うことで怪しさに敏感になれる。
僕たちは全てのことを疑うことはできない。
限られたリソースで適切に疑うためには、抽象度の高い「メカニズム」を体得することなのだ。
では、人間は特定の環境に置かれた時に、意図を持ってウソをつくのだろうか?そこにメカニズムはあるのか?
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