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日常の中に遊び心とワクワクを♥と思う理由

私の人生で一番衝撃的な出来事が小学校あがる前に起こりました。

その出来事を招いたのは 

自分自身。

過去に戻れるなら その出来事が起こらないように過去の自分に注意をするか…と言えば 

私はしない。

なぜなら、あの出来事があったから今の私がいると思えるし

痛みが分かる人間になったと思えるから。

あの出来事がなければ

私はとても我儘で傲慢な人になっていたと思う。

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5歳の私とひとつ上の姉。

いつも一緒に遊んでいた姉。

いつも同じメンバー、同じ遊び。

私は飽きていた。

なにか面白いことないかなあ…

「そうだ! いとこの〇〇ちゃんと遊ぼう!」〇〇ちゃんとの遊びは楽しい♥絵を描いたり、色を塗ったりしてみんなで見せあいっこするのだ。

私は、自転車で10分もかからない距離のいとこの家へ遊びに行ってくる!と 母へ告げました。

母はダメだ!と禁止しました。

なんで?行きたい!

母は頑なにダメの一点張り。

なんで?なんでアカンの?

姉も「行くのやめとこう」と言っていましたが

別に行ってもいいやん!という思いがあって

私は、ひとつ上の姉と一緒に自転車を走らせて 

いとこの家へ遊びに行きました。

後から分かったことですが、この時夕方6時でした。 だから母は許さなかったのだ。だけど幼い私には、日が明るかったのでまだ日中だと思っていた。



玄関先でいとこの名前を呼ぶ。

返事がない。

何度呼び出しても返事がなく、誰も出て来ない。

あれ?おかしいな?

何でだろう???

そう疑問に思いながら 〇〇ちゃ〜ん!と 何度も呼ぶ。

幼い私は 

そうだ! 聞こえてないんだ!

裏口へ回ったら聞こえるかもしれない!

と 思いつき、私はひとりで裏口へ走って回りました。


そこには、想像もしていなかった紀州犬が鎖に繋がれていて

突然現れた私に驚いたのか

犬は 私に飛びかかってきて ちょうどその位置に私の左目があり

左目を攻撃しました。

ビックリした私は

身を咄嗟に引くのが精一杯で

自身に何が起こったのか理解出来ず、その場で立ちすくんでいると

もう一度 飛びかかってきました。

一度攻撃を受けた私は 

左腕を出して顔を守るポーズをした。

だけど、あっさりと左腕も攻撃されました。

私が 離せ離せと腕をぶんぶん振っても

しっかりと噛んだまま離そうとしませんでした。

騒ぎに気づいた家人が裏口の扉を開けた瞬間!

パッと力強く噛んでいた口を開きました。

裏口に繋がれていた犬は、散歩に連れて行かれることが少なかったそうです。犬にとって、相当なストレスがあったと想像出来る。犬に罪はない。

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それからの記憶が断片的で…覚えているのは、いとこのお母さんに左目をタオルでおさえられながら抱きかかえられ救急車を待っていたこと。

待っている間…隣にいた姉が見せてと言ったので、いとこのお母さんはタオルをよけ見せたら「うわ!っ」って言う姉の声が聞こえてきたこと。

救急車で運ばれ、慌ただしく多くの人たちが動き回っていた。

寝台に寝かされ、着ていた洋服にハサミを入れられ一気に切り裂かれたこと。

当時は相当な騒動だっただろうなと思います。

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無事に手術も成功し、幸いにも眼球に傷がついていなかったので視力は失わずに済みました。

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母は、私の成長を見守る中で

「犬に噛まれてなかったら可愛かったのに…」と

よく口にしていました。

私はその言葉でダメージを受けることはありませんでした。

だけど、親戚とかの集まりで必ず

「犬に噛まれた子」 

「女の子なのに顔に傷をおって…可哀想に」

という悲痛な目や同情の声を向けられることが、とても嫌でした。

みんなが思うほど私は自分のこと可哀想だと思わないし、不自由していない。そんな目で私を見ないで。可哀想な子というレッテルを貼らないで。

母は、偶然会った知り合いに聞かれてもいないのに

「この子、小さい頃に左目 犬に噛まれたんよ〜」と説明した。

そして決まって「あれ〜可哀想に」という言葉と哀れな顔がセットになっていた。

大人になって、なぜ聞かれもしないのに説明してたのか聞いたら

(顔の傷が)「生まれつき」って思われるのが嫌やから って答えた。

なにそれ。しょうもな。どう思われようが関係ないやん。

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幼い頃は、親戚の集まりが多くありましたが

高校生にもなれば親戚の集まりにも顔を出さなくなっていた。

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高校生になった、ある時

なんでも話せる親友に

「左目どうしたん?」

と突然聞かれた。

私は ドキッとした。

正直に話せば、またあの顔をされるかもしれない…

哀れな顔。

そんな不安があって

「小さい頃、転んで怪我してん!」と

はぐらかした。

*****

そうして月日も経ち…

ファッションに興味を持った私は服飾専門学校へ入学。

自身の個性を肯定している子たちばかり。

みんなと一緒でなくていいんだ、と思えた。

みんなと違うことがアイデンティティ。

そんな仲間だからこそ 左目の話をしても

あの顔はされないかもしれない。

勇気を出して、仲良くなった友達に初めて自身から左目の話をした。

涙がブワーって滝のように溢れて止まらなかった。

この時、トラウマっていうやつは誰にも話さず心の奥底に閉じ込めれば閉じ込めるほど肥大化するんだと気づいた。

トラウマから開放された瞬間。

案の定、あの顔をされることもなく友達は

「誰にだってコンプレックスはある。私だって…」と赤裸々にコンプレックスを話してくれた。

この時を境に、私は目のことを自ら話すことが出来るようになり

こうして書くことも出来るようになった。

母の心情も理解出来るし、責めるつもりもない。いとこの家も夕方6時に遊びに来て非常識だと思うのも理解できる。母は止めた。姉も止めた。だけど私が自ら遊びに行き裏口へ回った。私の行動でみんなに迷惑をかけた。この傷は私自身の過ちで出来た傷。犬も悪くない。騒動後も犬を嫌いになることはなかった。むしろ大好きだ。「あの時〇〇してれば…」と母や姉、いとこの家は思うかもしれないけれど私の人生においてこの出来事は不可欠。この出来事において、それぞれが後悔をしてほしくない。それよりもこの先、自身の人生を後悔しないように謳歌してほしい。

それから

「可哀想」という言葉が嫌い。

「同情するなら金をくれ!」とはよく言ったものだ。

哀れられ続けた側は「惨め」な気持ちになる。

それを知っている。


私はどんな状況だろうと「可哀想に…」という視線は向けず

夢を持って、その状況から打破するための方法を一緒に考える側の人でありたいと思う。

だから

日 常 の 中 に 遊 び 心 と ワ ク ワ ク を ♥

なのだ。

この言葉が この想いが 多くの方に届きますように…。


ではまた!






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