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城主とふたり暮らし

なんかちょっと心が不安定になってるけど、音楽を聴けば大丈夫。本を読めば元に戻る。ほんのすこし疲れを感じているとき、そういう確信が色濃く感じられて、なんというか「じぶんのこと、ちゃんとわかってるな、わたし」という感じがしている。

4月から始めた新しい仕事は至って順調。人間関係にも恵まれて、日々ストレスフリー。けれどちいさなことの積み重ねで疲労はきちんとたまるもので、出勤後数時間も経たないうちに休憩に入る日でも心のざわざわは明確に感じる。そしてそれは音楽を聴くことで概ねふっとんでしまう。それはここ最近のメンタルの根っこがものすごくすこやかに保たれていることの証明でもある。それにしても、なんて単純で扱いやすい心と頭なのだろう。いや、もちろんいま現在の心身のそういう仕組みの良さもあるけれどそれ以上に、自分の中で大切なものの2大政党が音楽と言葉というところ、それが大きいな。イヤホンを耳に入れて携帯に触れれば副作用のない精神安定剤がたやすく手に入れられる。本を開いてよい日本語に触れればセロトニンが大放出される。よい表現に出会ったときの幸福、快感は言葉にしがたい。

いつからか「自分がほんとうに好きなもの、たいせつにしたいもの」に対する判断のしかた、感覚の研ぎ澄ませかたが鋭くなったように思う。友人から「あなたは自分の城主だから、必要なものをちゃんと選べる、選んだものをいつくしめるから」と書かれた手紙を受け取ったとき、「城主!!!そういうことか!!!」と大変腑に落ちて、その言葉とあの感覚は心の隅っこにおまもりのように大切にしている。音楽と言葉はわたしの城の至る所に必要なものだ。

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4月の末に突然お誘いがきて二つ返事で受け、GWがおわったころからふたり暮らしをしている。今年の目標は一人暮らしをすることで、このタイミングで目標が半分くらい叶った。ということにする。

1人暮らしをしたかったのはそもそも実家を出て自立したい欲がものすごく大きくなっていたから。20代も後半なのに、仕事においても何においても、自分がまっとうな人間だと思える事案がなさすぎて、端的にいうと「真人間になりたい」が脳内の大部分を占めていた。仕事面での自分が真人間になったと思えるにはかなり時間を要しそうなので、せめて自分のちからで生活を成り立たせることができれば納得できるんだよなあと思って、そんなところにお誘いがあったのでとても簡単に荷造りをしてコンパクトに引っ越した。

ふたり暮らしを始めて1週間、毎朝弁当を二人分作り、仕事が遅番の日は午前中にちょっとおかずを作ったりちょっとした家事をやってから出勤したりする。仕事を終えて帰宅してからおかずを作っているそばで同居人が今日あったことを話したり、どこからか漂うシャンプーの匂いを嗅ぎながら炒め物をしたりする。あ~~生活。生活できてんじゃん。そう思いながら新調したコーヒー道具で淹れた珈琲を飲んで美味しくてひとりでばたばたした数日後。同居人が実家に帰ってひとりで迎えた朝、わたしは家を出る時間の20分後に起きた。前の晩の眠たさに抗えず放置した弁当箱、朝食べようと思って用意していたサラダ、今日の弁当のために買ったコロッケ、1時間前に予約炊飯していた白米も食べられない、同居人が冷蔵庫に追加しておいてくれた食材も手をつけられない、あ~~~。ここ1週間、自分がちゃんと生活できているという自覚から日々元気に過ごせていたのに、ここでいちど全部ストップ。寝坊と遅刻と生活の流れのストップで情けなさしかなくって、へし折れた気持ちのまま、それでも正気を保って夕方まで仕事をする。家に帰ってようやくサラダを食べていたら正気がどこかに走り去って泣けてきた。もともとこのあと実家に帰るつもりだったけれど、JRとバスを乗り継ぐ面倒な経路を辿る気力がなくて、車を持っている地元の友人に連絡。実家までの30分ほどのドライブを快諾してもらったので助手席に乗り込む。地元にある「ここ1年くらいで建った良い家」の話で盛り上がり、それぞれの推し家を眺めてから実家に到着。そうして久々に自分の部屋で寝たら翌朝しいたけさんから、昨日までの1週間をみてたんですかという占いをいただいて笑うしかない。奮闘ばかりせず自分を許せ、とのことでした。がんばります。

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