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2022年1月2日主日礼拝メッセージ応答

主日礼拝メッセージの箇所から導かれ感じたことを書いてみます。

礼拝メッセージの箇所は
創世記22-1,2
創世記22-6でしたが

メッセージにも触れられた

「イサクは父アブラハムに、
「わたしのお父さん」と呼びかけた。
彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、
イサクは言った。
「火と薪はここにありますが、
焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。
アブラハムは答えた。
「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊は
きっと神が備えてくださる。」
‭‭(創世記‬ ‭22:7‬‬,8)


「アブラハムはその場所を
ヤーウェ・イルエ
(主は備えてくださる)と名付けた。」
(創世記22:14)


私は初めてこの箇所を読んだとき
私はアブラハムのように出来るだろうか?

いや、とても出来ない。
私は敬虔ではないと
神様の声を聞く前にはなから諦めて
神様との間に壁や溝を作っていました。

でも、いろいろなものを失敗の中で失ったり
そんな中でも神様からの赦し、
救い、恵みを受ける中で
出来る、出来ないは
私が決めることではない。

まずは主日礼拝に出て
メッセージを聞くこと、
聖書通読でみことばに触れ、
みことばを自分の中に、
自分の生活の中に
取り入れていきながら祈っていき
みことばから神様の知恵や愛、
教えを聞き従っていきたいという
思いや姿勢が大切なんだと気付きました。

日々の出来事の中でもアブラハムのように
辛く苦しい葛藤や選択を迫られることもありました。

でも、アブラハムのように従順に従うは
まだまだ難しいとこもありますが
はなから諦めて出来ないではなく
自分の思いと
みことばの間で
揺れ動きながらも
祈る中で少しづつ
その揺れが小さくなり
主によって状況が
整えられていっていることに気付き
感謝することがあります。

牧師先生もメッセージの中で
アブラハムも最初から何の迷いもなく神様に従順に従い
一人息子イサクを捧げようとしたのではなく(それは冷酷)
葛藤と祈りを繰り返し
揺れ動く揺れの幅を小さくしていき
主を信頼したのだとおっしゃっていました。

それが22:8にある
「きっと神が備えてくださる。」
信じることなのだと。

私は、どんなことが起きても
“ヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)”
信じて祈り、
自分の思いとみことばの間の
幅を小さくして
今、置かれている状況を
神様がお望みの方向に
整えていこうと思います。

導かれた御言葉から
聞きたい賛美は
今日の礼拝でも賛美した
「わたしが悩むときも」

みなさまの1日が守られますように🍀

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