2月27日、礼拝メッセージ 「ラザロの復活~ 別れでは終わらせない」 

今日は牧師先生は諸事情でお休みだったので
教会員の方が宣教してくださいました。

その方の若い頃や今のテレビの話など、
その方のキャラも出ていていつもとは違う色のメッセージが新鮮でした。
世代も同じなので話題に親近感もありました。

さて、今日のメッセージ箇所はヨハネの福音書11章32~44節、
ラザロの復活とし有名な箇所です。
宣教タイトルは「ラザロの復活~別れでは終わらせない」

要約するとラザロというイエスさまも愛しておられた弟子がおそらく、
らい病(ハンセン病)で亡くなり4日目に復活させました。
ラザロにはマリアとマタイの姉妹が居ましたが、彼女らはイエスさまが
共にいてくださっていたら、
ラザロは死ななかったのにとイエスさまに愚痴ります。
でも、イエスさまは神様の御業を見せるために亡くなって、
しかも数日してから行き復活させています。
それは“死“が絶望や別れではなく希望になることを示すためです。
“死”というサタンの支配から、過去ではなく今も続く“愛”の神の支配が
これからも続くことを証明されました。
イエスさまが十字架の死から復活される前に、この出来事を通しても
“死”に打ち勝っておられました。
だから、その奇跡を目の当たりにしていた、マリア、マルタ、
その場に居合わせた人達は死を克服した希望が確かに存在することを理解し死は克服され希望があることを知ることが出来たのです。

また、この方のお父様は7年前に亡くなられているのですが、
お父様もクリスチャンで亡くなられる前、ガンの闘病、入院中も
ずっと聖書を読んでらしたそうです。
お父様が亡くなれた別れは悲しかったけど、
お父様は信じた世界に間違いなく旅立っていかれたと確信されたそうです。それは熱心に聖書を読む、お父様の姿が焼き付き、その信念、信仰を間近に見ていたらだとおっしゃていました。

私も昨年春に26歳の長男を、13年前に生後8ヶ月の三女が
天国に旅立っていますが、三女の時は1番最初の教会に
月に1度特別メッセージを赤ちゃんだった三女と一緒に行っていたとき
三女も一緒に聞いていたし、突然死で気付いたときは
息はすでになかったけど、牧師先生や伝道師の方にメールしたら
三女がイエスさまに抱かれてると、おふたりとも同じ内容の返信をくださりあっ、三女はイエスさまの御元にいると私も確信することが出来ました。

長男は26歳でしたが重度の知的障害があり3歳くらいと言わていました。
長男も幼稚園はキリスト教の幼稚園に行き、
日曜日に幼稚園であった子供礼拝に時折一緒に行ってお話を聞いていたし
火葬された時間がイエスさまが天に昇天された15時過ぎと同じでした。
長男は福祉施設で他の利用者に脳死状態にされた後、3週間後に亡くなり、酷い苦しい死に方でしたが、イエスさまの憐れみと私たち家族に悲しむな、犯人を憎むなと仰られてると思いました。

また、メッセージをされた教会員の方は好きな朝ドラ「エール」から、
主人公の古山裕一さんが作曲された「長崎の鐘」の歌詞のモデル、
医師の永田先生が、原爆投下で焦土と化した長崎の街見て
「神様は本当にいるのか?」という若者に「どん底まで落ちろ」と。
でも、それは冷たく突き放したのではなく、永田先生が原爆の被害者を
治療された場所に「どん底に大地あり」と書かれていたそうです。
それは、自分の不幸を呪い、嘆いているうちは希望はない、
どん底まで落ちて、そこに大地があることに気付き、その大地を踏みしめ、そこに共に頑張れる仲間がいる、
その時に真の希望が生まれると話してくださいました。

私も5年ほど前に脳梗塞で倒れたとき右半身麻痺に
なっても生かされていること様々な思い煩いが取り除かれたこと、
リハビリで回復していく身体に希望、喜びを感じました。
2年前に家族が分裂してしまったときもクリスチャンだった姉が祈り
キリスト教へと再び招いてくれたこと。
そして、今の教会に繋がり受け入れられたこと。

神様が苦しみ、悲しみを全て希望へと変えてくださっています。

礼拝で歌った新生讃美歌
「イエスにある勝利」

動画は英語でエレキギターで賛美歌ぽっくないですが
渋くカッコイイのでご紹介🍀

みなさまの1週間が護られますように🍀

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