紙と電子と利便性

最近の本などの傾向として電子版が、市場や価値観を追い上げてきているのをひしひしと感じるようになった。しかしコロナ渦で何故か、紙の本の売り上げが伸びているらしいとSNSを通じて知った。

数年前まで私も電子媒体にしたかったけど、学校や社会全体でまだ伸び悩んでた為に見送った。今や完全キャッシュレス 広告の電子化 電子チケット ネットから試験を受けると言う具合に、これらはスマホの普及率とパソコンの家庭普及学校での必修化にともない嫌でも電子化し人間側が対応する転換期なんじゃないかとも思い始めた。

電子媒体にした家庭環境 経済事情からもろに影響を受ける弊害として、やっとの思いで暮らしてる人は簡単には電子化に踏み切れない事と完全電子化にともない発生するアカウント取得。高齢者からの理解力や地方地域性であまり電子化が進んでない現状。いかに自分たちが電子媒体を受託できる健康体で家庭環境、経済的にも満足のいえる状況に居るのだと。

十数年前まで情報を得るのには、買うしかなかったが今はある程度宣伝効果をうたって一部無料で公開されているからなのか、一々紙で買うという事自体煩わしい人が居るのも事実。読みたいところだけピックアップされた記事やコラムを捜し歩いてる。必要なものを必要なだけ無駄な部分は切り捨てる取捨選択というのが、もろに露見してると感じている。社会も欲しい人材は、初めてだが何でも失敗の少ない人物像を求めてる、人はモノではないのだけど。人は無駄だと思うことも必要で、利便性だけを求めた先に果たしてそれは完璧な社会づくりモノづくりと言えるのだろうか?どんなに利便性を求めても、必ずどこかしらに穴があり人生とは社会とはその穴を埋めるためにあるのだと。

紙にしか表現できない技法電子にしかできない技法、そのどちらも文明発展に欠かせないモノで決して無駄な行為も安全安心の為なら必要と思うのです。

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