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人生の終わりに向けて

 仰々しいタイトルですみません。先日50歳の誕生日を迎え、さすがに人生の残りも見えてきたなぁとボソっと思ってしまいまして。

 髪の毛は順調に抜けてきて、膝は軋み出し、眠りも浅くなって、体の方もポンコツぶりを主張し始めました・・・。もう少し意識的に運動したりすればいいのかなとは思いますが(でも毛は抜けるか)。

 今日はいつもとは異色の内容ですが、節目のこの時に考えたことをまとめておこうかなと思います。

やりたいこと

 僕自身のこれまでの人生は本当に恵まれていて、やりたいと思ったことはなんでも体験することができました。特に留学時代にはいろんな初めて体験をすることができて、帰国した頃にはあらかたやりきった感がありました。

 その後結婚して子供が生まれてまたちょっとリフレッシュしました。子育てを通じてもう一回人生をやり直している感じは、思っていた以上にワクワク楽しむことができました。子供時代を客観的に見るというのは、自分の小さい頃を思い出すのとはまた違う感想があるものです。

 それでも下の子が4年生になり独立した人格になってくると、まあ距離の近い知り合いくらいといった感覚になって、自分と同一化して考えることはできなくなります。

 さあ、どうするんだ?

これといってやりたいことはないけれど

 もちろんやりがいのある仕事はありますし、まだ子育ては終わってない。趣味のポケモンカードを通じた様々な年代の友達と話したりと楽しみなことはいくらでもありますが、目的というよりはなんとなく惰性で走っていくだけかなという感覚です。

でもまだ死にたくないという気持ちは強い

 一つには死んだら自分がどうなるかという怖さをまだ克服できていないということがあります。まあ死ぬ直前まで無理かなと思うこともありますが。

 そしてもう一つ、頭の中にあるのに何かまだ上手く引き出せてない考えがあるような気がするのです。なんとなく悟ったような気になってはいるものの、どうして自分は今こんな気持ちなんだろうとか、まだ深く考えたことがなかったことがありそうです。

 ヘッセだったと思うのですが、人生の究極の目的は自分を知ること、と書いていたことになんとなく共感できる気がする。

本を読むということ

 大学時代から子供が生まれるまでは、本を読むのが好きだったことを思い出します。いうて国語が苦手な理系人間だったので、なんとなくストーリーを追う程度でしたが、漫画読んだりゲームやったりするのとは別の楽しみとして時間を取っていました。特に留学時代は語学の勉強という意味もあって、家ではずっと本を読んでた気がする(テレビが理解できなかったのもある)。

 ということで、ここ数年また本でも読むかと図書館に行くようになったのですが・・・、全然読めない!何と言っても集中力がなさすぎて、すぐに居眠りしてしまうとか。またツイッターをダラダラ見る癖がついてしまったおかげで、パソコン(かスマホ)から離れることができずに、そもそも読み始めるきっかけさえないという。借りてきた本を2週間一切開くことなく返却したことまで何度かありましたからね、重症。

 さらにいうと、読みたいと思う本が昔とは変わってきた気もします。何と言っても人生の残りが見えてくると読める本の冊数も有限なので、この本に時間を費やしていいのか?とかつい考えちゃう。エンタメ系だったり、恋愛を軸にした小説はきつくなってきました。

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見せる用本棚・・・

何が言いたいかというと

 これまで本を読んできたけど、特に何も残してきませんでした。でも最近ブログを書くようになって、書くことで見えてくる考え方とかはっきりとしてくる思いがあることがわかってきました。そして以前大嫌いだった文章を書くことが、なんか好きになってきた気もします。

 そこで残り少なってきた僕の人生の中での試みとして、本を読んで感じたことなどを文章に残していくことにしました。実際誰得?という文章になると思うので、読んでもらうこと自体は目的ではありません。ただ読む人を意識することで文章がまとまると思うので、noteで一応公表するようにしていくつもりです。

 万が一、共感してくれたり意見くれる人がいると嬉しいし・・・

 叶うのなら、意識があるうちに自分というものを好きになって、いつでも死ねるという心境にたどり着きたい。

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