砂丘の満月

インサイド・アウト 第20話 夢と現実の狭間で(3)

「うそ……でしょ」

 どんなにチャンネルを回しても、聞こえてくるのは作り物の笑い声ばかりだった。あるワイドショー番組では、数ヶ月後に控えているオリンピックで、どの国がいくつ金メダルを取れるのかを予想していた。話題に挙がった国の中に、クーデターが起きた国々も平然と挙がっているのに違和感を覚えた。オリンピックに興じている場合ではないというのに、出演者が何か発言するたびに、わざとらしい笑い声が再生されるのは、不気味以外の何物でもなかった。

「これが現実なんです」と夏希さんは言った。「クーデターは、表面上は起きてすぐに国連軍によって鎮圧されたということになっています。ですが、それはまるっきりの嘘です。嘘が見抜かれるのを防ぐために、テレビは有名人のくだらないスキャンダルを大げさに取り上げたり、オリンピックの話題を上げたりして国民の関心を移そうとしているのです。国民も国民です。どこからどこまでが真実なのか何ひとつわかっていないのに、メディアの情報にいとも簡単に流されてしまうのです。日本国民だけではありません。世界中の人たちが、平和を装ったフェイクニュースに騙されているのです」

 半ば信じがたい内容だったが、彼女の目は嘘を言っていなかった。

 わたしにはある程度、人がどの程度本当のことを話しているのか見通す能力に長けている。皮肉なことに、物心ついた頃から父や祖父に辛く当たられてきたせいで、人の表情から本心を読み取る能力が自然と備わったからだ。

「今、世界では何が起きているの?」とわたしは夏希さんに訊いた。彼女なら真実を知っているような気がした。

 彼女はわたしの問いに答える代わりに、ダッシュボードの上に置いてある封筒を指差した。封筒の表面に埋め込まれた12個の小さな宝石が、日差しのない雨空の下でも、不思議な七色の輝きを放っている。

 わたしはダッシュボードに手を伸ばし、封筒を開いた。そして、三つ折りにされた便箋を中から取り出し、声に出して読み上げた。

拝啓

 初夏の風が清々しい今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
 読まれる当てのない手紙を書くというのは何とも虚しいものでありますが、あなた様に宛てて書く手紙はこれが最後になりますし、他に手紙を出す相手もおりませんので、暇つぶしも兼ねて筆を執ることにいたしました。


 早速このようなことを申し上げるのも何ですが、残念ながら私の切なる願いは、あなた様には届かなかったようです。ご自身の存在を確実に消去できる手段で、ご自身の存在を消していただきたいという私からのお願いに対して、あなた様は一度だけ真摯に遂行なされようとしましたが、残念ながらそれも失敗に終わってしまいました。

 そして、案の定、私が最も恐れていたことが起こりました。あなた様はゼアーズの手引きにより、私の住む〝こちら側〟の世界に来てしまったのです。

 あなた様がヒナミヒビキ様なのだと知った時、私は運命のようなものを感じざるを得ませんでした。

 無数に存在する宇宙の頂点であり、すべての起源である《原点O》にて、私たち二人の力によって、人類の技術はかつてない域にまで到達しました。それはまさに神の領域でした。私たちは、飽和状態に達していた宇宙の人口と資源の問題を解決すべく、新たな宇宙を創造する技術を開発しました。そして、あなた様の脳を肉体から切り離し、その脳の中に新たな宇宙を創り出すことに成功しました。あなた様はその宇宙の神になった。でも、新しい宇宙を創造したところで、宇宙間で物質の転送ができなければ問題は解決しません。その問題を解決すべく、私は残された人々を使って、実験を続けました。彼ら、そして彼女たちは、ゼアーズという知の集合体となり、その中にたくさんの宇宙を創り出してくれました。私は期待していました。それらの宇宙の中から、やがて時空の壁を超越する者が現れるのを。しかし同時に、ゼアーズによる復讐を私は恐れました。肉体を持たない彼ら、彼女たちが、何らかの手段を使って私を失脚させようとしているのではないかと考え、警戒を緩めませんでした。

 だから私は、それらの宇宙の中でゼアーズと接する者が現れた時、接触者に警告の手紙が送られるようにしたのです。直接手を下すことができなくても、手紙を送る程度の干渉をすることは何とか可能でした。

 長い年月が経ちました。気が遠くなるほどに、長い年月が。

 そしてついに、宇宙間の壁を乗り越える者が現れました。それが、ヒナミヒビキ様、あなただったのです。これを運命と呼ばずに何と表現すればよいのでしょうか。

 しかし、あなたはゼアーズのしもべとなって、この私に楯突きました。あなたは私に協力するどころか、再び邪魔しようとしたのです。そして、私の手によってあなた様は、再びあなた自身の宇宙の中にその魂が封じられることになりました。


 私は神になりたかった。

 だけれども、神になれるのは、自らの脳の中に創造した宇宙の中でのみ……。《原点O》で神になることができなければ、まったく意味がないのです。

 私は絶望していました。私が望む結果を誰も出してくれない。かつて研究を共にしたあなた様でさえも、この私に歯向かおうとした。

 でも、そんな私にもようやく光明が差し始めました。あなた様が創り出した宇宙の中にいる〝もうひとりの私〟が、神の力を持つゼアーズの化身を見つけ出し、その肉体を手に入れることに成功したようなのです。私は感動のあまり打ち震えました。私は——間接的ではありますが——自らの肉体を犠牲にすることなく、神の力を手に入れたのです。数えきれないほどの年月を超えて生き続けてきた甲斐があったというものです。

 あなた自身がそうしたように、〝もうひとりの私〟もまた、宇宙から抜け出してこちら側へとやってくる日が来るでしょう。そうしたら、私とあなたの研究はいよいよ最終局面を迎えることになります。本当の意味で、この世界に神が誕生することになるのです。植民地として新たな宇宙を生成し続け、必要な資源を〝こちら側〟へと転送させることができれば、《原点O》は永遠の栄華を極めることができるでしょう。人類は、そのとき、宇宙という枠を超え、真の神へと昇華するのです。そして真の理想郷を手に入れるのです。


 私がこうして誰かに手紙を出すのも、これで最後になるでしょう。ですが、不思議と淋しさは感じません。きっと、これから私を待つ未来が希望に満ち溢れているからに違いありません。

 さあ、いよいよやってくる人類の夜明けを歓迎しようではありませんか。神秘の宇宙に対する我々知的生命体の勝利を謳歌しようではありませんか。私たちの素晴らしい出会いを祝して、盛大に乾杯しようではありませんか。

敬具

○○○○年五月十二日 十一時二十三分     
         『論理を超えたもの』より

 読み終えた後、わたしはこの手紙に登場する〝神の力を持つゼアーズの化身〟というのが《左右対称の顔の女》であること、そして、その肉体を奪った犯人が、病院の一室で見かけた黒スーツの男だということにすぐに気がついた。色黒で健康的な顔とは不釣合いの色白な首筋と、頸部に残っていた生々しいケロイド状の傷跡が、やけに鮮明に、記憶に残っていた。

 わたしが手紙を読み上げた後、ただでさえ口数が少ないのに、夏希さんは考え込むようにさらに黙り込んでしまった。車のルーフを叩くどしゃぶりの雨が、止まった車内の空気を気まずく揺らした。フロントガラスを流れる雨水によって拡散された道路照明と信号機の明かりが、先ほどの封筒に埋め込まれた宝石に様々な彩りを添えては消えていくのを、わたしはただ黙って眺めていることしかできなかった。

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