中央アルプスに初夏の天の川_中

インサイド・アウト 第5話 黒ベストの男(5)

「〝神〟検出器……ですか?」と僕は思わず男の言葉を繰り返していた。

 黒ベストの男の顔は、冗談を言っているようには見えなかった。徐々に話の核が真相に近づきつつあるのを感じた僕は、そのまま黒ベストの話を聞くことにした。

「そうです。しかし、それを実現するのは簡単なことではありませんでした。〝神〟がこの世界に潜入していることをどのようにして検出するのか……。あなたもシステムを開発するお仕事に携わっているなら、これがいかに困難なことなのかは想像に難くないでしょう」

 この男の言う通り、そのような得体も知れない機能を実現するのがどれほど難しいことなのか、僕にはよくわかった。実現したいことが〝神〟を検出するなどという抽象的な事象であることに加え、具体的に考えなければならない問題があまりにも大きすぎるからだ。

 黒ベストはそのまま話を続ける。

「さて、時に我々人間は、このような途方もない問題に直面した時にどのような手段をとるのでしょうか。美しい理論を構築し、その理論にしたがって美しく完璧なシステムを作り上げるのでしょうか。確かに、不確定な要素のない理想的な条件下であれば、それも可能でしょう。しかし、それをするには現実世界はあまりにも混沌としすぎているのです」

「現実は様々な不確定要素に満ち溢れている……」

「——そう。日並さんの仰る通り、現実世界は様々な不確定要素に満ち溢れています。したがって、そのような世界において全ての条件を視野に入れた完璧なシステムを作るというのは不可能に近い……いや、不可能だと言っても過言ではありません。そのような不確定で混沌とした現実世界においては、雨天の中で行う土木作業のように、どのような仕事も決まって泥臭くなるものです。世界中から優秀な頭脳を集結している私の会社でも残念ながらそのことは例外ではありませんでした」、黒ベストは悲しそうに息を吐いた。

「そろそろ抽象的な話は終わりにして、具体的に何をしたのか教えてもらえませんか?」

 核心をなかなか話そうとしない男に僕は少し苛立っていた。黒ベストはそんな僕の感情を弄ぶかのように紅茶のカップを揺らして言った。

「我々のやったことが何かと言いますと、要するに、世界中の至る所に網羅的な監視システムを導入したのです。役所や教育施設、交通機関などが管理する個人情報や、町や店の中にある監視カメラの映像、それからモバイル端末の通話記録から位置情報の収集に至るまで、それらの情報を入手できるシステムを構築し、我々の元へと集約されるようにしたのです」

「それって……」

「近年になって、日本国内のどこへいっても電波が繋がるようになりましたよね。山奥で遭難したり、飛行機や船で陸を離れたとしても、人間が行動し得る範囲であればほとんどの場所で何らかの通信が可能になったと思います。驚異的な進歩ですよね。でも実は、これらは全て私の会社が裏で各企業への技術的支援と政界への根回しを行った結果なのです」

「もしかして、電子マネーの爆発的な普及、クラウドコンピューティングやオンラインストレージの活用、画像認識やトラッキング技術の急速な進展も、それと関係が?」

 黒ベストは嬉しそうに笑い、僕の瞳を覗き込んだ。サングラスの奥からの刺さるような視線に、何もかも見通されているかのような不快感を覚えた。

「さすがお詳しい。それに、なかなか鋭い洞察力です。日並さんの仰る通り、それらは全て我々の壮大なビジョンを実現するための布石だったのですよ。それらの画期的なシステムによって私たち『日本アウトベイディング』は、人間ひとりひとりを詳細に監視することに成功しました。その人の行動範囲から趣味まで、リアルタイムに把握し、分析できるようにしたのです。表面上は、人々の利便性の向上と資本主義社会の発展のためにこれらの技術が貢献してきたと思われていますが、実際には違ったのです。このような技術が世の中に広まった真の目的は、世界中の人間の動きを正確に把握することで、〝神〟を見つけ出すこと。全ては、いつどこに現れるかもわからないその存在——イレギュラー分子が出現する瞬間を捕らえるためだったのです。いい加減、そろそろ誰かが気づいても良い頃だと思っていましたが、勘の鈍い人たちが多すぎて、ある意味驚かされていますよ」

 黒ベストは欧米人のように大げさに肩をすくめ、気味の悪い嘲笑を浮かべた。

 今の世の中に出回っている便利なシステムは、ひとりひとりの嗜好を把握することで企業がその人の好みに応じた異なる宣伝活動を行えるようにし、効率よく消費を促すためのもの。人々の利便性を謳いながらも、結局は資本主義社会の発展のための手段でしかない。何事に対しても懐疑的な僕はそのように考えていたが、まさかこの男の言うように、元々は〝神〟を探すために作られたなどとは一度も考えたことはなかった。

 黒ベストはさらに話を続ける。

「それらの情報収集のシステムと、我々独自の分析アルゴリズムによって、我々は人類を一人残らず監視することに成功しました。いつどこで誕生し、何をして過ごし、どのようにして亡くなったのか。そのような情報を完全に掌握できるようにしたのです」

「理屈は理解しました。でも、徹底的な監視システムを導入することが、本当に〝神〟の検出に繋がるのでしょうか? 僕たち人間にとっては確かに驚異的で恐ろしいシステムではありますが、失礼ながらそのような原始的な方法が本当に〝神〟に通用とは思えないのですが」

 ここまで話を聞いても、僕はそのようなシステムで〝神〟の存在を捕捉できるとは到底考えられなかった。馬鹿げている。これならまだ、陰謀論を説く都市伝説マニアの話を聞いた方がマシかもしれないとさえ思えた。

 黒ベストは諭すような口調で言った。

「勘違いしないでいただきたいのですが、我々は本当の意味で〝神〟を探そうなどと思っていたわけではありません。〝神〟と称したのは、あくまで比喩的な表現です。正しく言い換えると、我々が探しているのは、この宇宙の外側にいる別の知的生命体です。端的に言うならば、〝神〟ではなく〝宇宙外生命体〟と表現する方が適切かもしれません」

「宇宙外生命体?」

「そうです」

「それで、その宇宙外生命体とやらを見つけることはできたのですか?」

 皮肉を込めて言ったはずだったが、黒ベストはそれを気にする様子もなく、自慢げに胸を張って答えた。

「そうなんです。世界中を監視して、収集した情報を分析していたところ、稀にイレギュラーな存在が突如出現することが判明したのです。いつどこで生まれたのかもわからない、特異な存在がね——」

 男の頬は紅潮していた。黒ベストの下に身に付けている白いワイシャツは汗ばみ、小麦色に焼けた肌を薄っすらと浮き立たせている。それでも、終始サングラスで覆われている目がどのような表情を浮かべているのか、相変わらず確認することはできなかった。

「我々がイレギュラー分子と呼ぶ存在は、どこからともなく現れたかと思うとすぐに姿を消し、また別の場所に現れ、そして再び姿を消すのです。我々は血眼になって彼女を捕捉しようとしました。しかし彼女は、出現してもすぐに姿を消してしまいます。リアルタイムに監視していても、我々がそこに駆けつける頃にはすでに居なくなっているのです。どうやら彼女は突然実体を持ち、忽然と肉体が消えるらしく、移動の形跡は全くありません。そのため、彼女との接触が成功したことは一度もありませんでした。そこで、我々が着目したのは、イレギュラー分子そのものではなく、『彼女が何をしているか』ということでした。我々は彼女自体ではなく、彼女の行動の規則性や、接触する人間に着目したのです。そして我々は遂に、彼女が接触した人物を捉えることに成功したのです。そして——」

 男は改めて僕の方に向き直して言った。

「そのイレギュラー分子と接触していたのが、日並さん、あなたなのですよ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?