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フラグ回収人の奇妙な人生

 人生は物語だ。そして物語は意外性があればあるほど面白くなる。ただし、意外性は何らかの脈絡の中に存在しなくてはならない。伏線のない意外性は、ただのご都合主義にすぎない。そのような物語はけっして、物語と呼べる代物とはなり得ない。

 彼女の人生を面白くするのが私の使命だった。彼女が伏線を残し、私が回収する。彼女の何気ない言動で立ったフラグを回収するのが私の使命であり、生きる目的だった。そう感じ始めたのは、物心がついたそのときからだ。
 たとえば彼女が「学校に行くのが楽しい」と言ったら、学校が休校になるような出来事を起こそうと思った。その方が絶対に楽しいと思ったからだ。爆破予告を校長室に送ったり、教室に不審物を置くなどした。初めのうちはそれだけで数日間は休校になったが、やがて学校側も慣れてきたらしく、それくらいでは休校にならなくなった。だから私は、SNSやマスコミを最大限に利用して事を大きくした。しかし、慣れというものは恐ろしいもので、やがて世間もちょっとやそっとのことでは騒がなくなっていった。
 そこで今度は、インフルエンザワクチンの原料となる、不活性化していない素のウイルスそのものを入手して、それを学校内の予防接種の日にこっそり本物のワクチンに混入させることにした。効果は予想を遙かに上回るものだった。感染者は校内に留まらず、保護者や近隣住民、やがて市区町村を超え、国を超え、世界的なパンデミックにまで発展した。世界中で数千人の死者が出たと知ったとき、さすがに度を超してしまったと反省した。それからはしばらくおとなしくした。彼女の残した伏線を回収せずに放置することも多々あったが、それも長くは続かなかった。
 彼女が小学六年生のとき、彼女の父親は仕事の都合で単身赴任することになった。「しばらくお父さんは遠くへ行くけど、絶対また一緒に暮らそうな」その言葉を盗聴器で聞いたとき、私はもう、行動に移さずにはいられなかった。念入りに計画を練り、ふたりが永遠に再会することがないように、彼女の父親に強姦罪と横領罪の濡れ衣を着せた。彼女の家庭は崩壊したが、おかげで、その辺のテレビドラマよりもよっぽどドラマティックな人生になっていた。
 さて、ここまで聞いて、君は、私と彼女の関係性に興味を抱いたかもしれない。まず、誤解してほしくないのだが、私たちはけっして恋人同士ではない。友人関係でもない。顔見知りですらない。赤の他人同士である。完全に独立した個人として今まで生活していたし、これから死ぬまで、それは変わらないだろう。私が一方的に彼女の言動を監視し、勝手に彼女の人生に影響を与えてきたにすぎない。
 一般的には、このような行為をストーカーと呼ぶのだろう。しかし、そのような言われようは、私としては非常に心外である。そもそも、私は彼女を自分のものにしようなどという愚劣な考えを持っていなかった。彼女の私生活なんかに興味はなく、当然、性的な目でも見ていなかった。僕は単に彼女の「フラグ回収人」であり、彼女の人生を面白くする役割をまっとうしているにすぎなかった。
 それどころか、私の行動が彼女のためになっているものだと信じて疑わなかった。なぜなら、彼女の言動の一つ一つが、私の存在によって極めて重大な意味を持つようになり、彼女自身も含め、誰もが彼女の言動を無視することができなくなったからだ。この世界に対する彼女の影響力が増し、彼女が存在する意味ができた。そう信じていた。
 だが、彼女の恋人となる人物がことごとく——もちろん私の手により——死を遂げていき、その人数が四人目になったとき、私の信念は揺らぎ始めた。彼女は、自分自身の存在自体が周囲に不幸を招くのだと考え出し、自らの存在を消そうとした。そのとき、私は迷った。彼女の決断を尊重し、手を貸すべきか。あるいは、意外性のある面白い展開に持っていくために彼女の死を全力で阻止すべきか。
 三日三晩、私は一睡もせずに考え抜いた。彼女の存在する意味、私自身の存在する意味を。彼女が存在しなくなれば、フラグ回収人としての私の役割も終わりを遂げることになる。つまり、彼女の死は、私自身の死でもある。彼女がこの世からいなくなれば、私は、精神的な意味での存在価値を失う。そのような結論も悪くはない。だが、ここで彼女を殺すのはあまりにも安直だと思った。
 悩み抜いた結果、私は、彼女のフラグ回収人としての役割を降りることにした。これまでの罪を自白し、この身をもって罪を償うことにした。私は七件の殺人罪、および十二件の殺人未遂、三十二件の偽証罪、その他計九十九件の罪により、無期懲役になった。
 刑務所の中で、私は奇妙な人たちと出会った。彼ら、彼女たちは、私と同じく、物心がついたときから特定の人物のフラグ回収人としての使命を感じ、どこからともなく沸いてくる信念にしたがって生きてきたと言うのだ。そのことに何の疑問も抱かず、それ自体を生きがいとして。
 今さらだが、いくつかわかったことがある。この世界には大きく分けて二種類の人間がいるということだ。伏線を敷く者と、伏線を回収する者。この世に生を受けたそのときから、人々の遺伝子に刻み込まれた深い因縁があるのだ。生まれながらにして我々には、世界に対して刺激を与え、変化を起こす役割が与えられている。
 人生は物語だ。そして物語は人生でもある。人生は意外性があればあるほど面白い。だが、意外性は何らかの脈絡の中に存在しなくてはならない。たとえ、それが故意に作られたものであったとしても。

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