砂丘の満月

インサイド・アウト 第20話 夢と現実の狭間で(1)

 空を飛んでいた。雲ひとつない大空の下、太陽の光を背面に受けながら、わたしは両腕を大きく広げて羽ばたいていた。時折吹く突風で体が大きく揺さぶられるが、その度に体勢を整え、地平線の彼方の一点に向かって軌道を再修正していく。

 眼下では、広大な森が大海原のようにうねり、連鎖しながら一面にいくつもの波紋を作り出していた。今にもすべてを飲み込んでしまいそうな勢いで、葉は大きくざわめき立っている。わたしは前を向き、飛ぶことに全神経を集中した。空気の流れを読み損ねれば一瞬のうちに落下し、深い森に飲み込まれることになる。

 森の海が終わり、ほっとしたのも束の間、今度は視界が緑色から黄色に一変した。広大な砂漠が目の前に広がっている。地平線の彼方まで限りなく連なる砂丘を眺めていると、まるで地球全体が砂漠で覆われてしまったかのように思えた。

 その何もない砂漠の中から、わたしは何かを探していた。けれど、探しているものが何なのか、自分でもよくわからなかった。時々、旋回して一点を様々な角度から観察しては、また場所を変えて、その付近をぐるぐると飛び回った。

 探し物が何かはわからなかったが、わたしには〝それ〟を見つける自信があった。何もない砂漠の中であれば、変わったものがあればすぐに気がつくと思ったからだ。

 砂丘はしかしどれも似通っていて、同じ場所を何度もぐるぐる探索しているかのような錯覚に陥った。まるで樹海の中を彷徨っている気分だった。砂漠と樹海は、とてもよく似ている。生命の息吹に満ちた深い森と、生命の吐息すら感じられない砂の大地。対照的な場所にも関わらず、どちらも迷い込んだ者を死に至らしめるという恐るべき共通点がある。どちらにいても、真の死からは逃れられない。

 太陽が落ち、西の空が橙色に染まり出した頃になっても、探しているものは見つからなかった。そして日は沈み、あたりは真っ暗になった。月は出ていなかった。

 夜が訪れると、気温はみるみる間に落ちていった。空気抵抗が刃物のように皮膚を刺す。これ以上飛び続けるのは無理だ。わたしは地面に降りた。そして、大きな砂丘のふもとで丸くなってうずくまり、両腕で自分の細く頼りない両肩を抱いて体を暖めた。

 寒さに震えながらも、わたしは冷静に考えを巡らせていた。こんなところでわたしは何をしているのだろうか。だいたい、こんな砂漠の真ん中に探し物などあるのだろうか。そもそも、これは現実なのか。現実なのだとしたら、翼もなしに空を飛んでいたこと自体がすでにおかしいのではないか。もしかしたら、わたしは最初から空を飛んでなどいなかったのではないか。

 そうだ。これは夢に決まっている。今まで見たものは、レム睡眠が作り出した脳内の虚構に過ぎない。眠りから覚めたら、こちら側の世界は終わり、わたしは元の世界へと戻るだろう。そうしたらまた、いつも通りの日常がやってくる。そう、いつも通りの日常が……。

 しかし、今度は別の疑問が頭に浮かんだ。わたしにとっての〝いつも通りの日常〟とは何なのだろう? 夢から覚めた先で待っているのは、果たして日常と呼べるものなのだろうか。呼吸をするだけで息苦しさを感じるような世界に戻るくらいなら、このまま目覚めない方がいいのかもしれないとも思った。夢の中で自由気ままに空を飛び回っている方が幸せなのかもしれない。このまま夢の世界に留まるのも、悪くない。それに、ここにいれば再び〝あの人〟に会えるかもしれない——。

 あの人? そうか、だからわたしはこんな夢を……。

 自分が探し求めていたものに気付いた時には、もう遅かった。砂漠の風の中に不自然なノイズが混じり込み、夢の世界に現実的な彩りを添えていく。高速のサービスエリアでの休憩時間の終わりを知らせる深夜バスのアナウンス。急いで席に戻る人たちの慌しい足音。バスの扉が閉まる音。エンジンの唸りと共に大きくなる走行音。それらの音が単なる幻聴ではなく、現実世界の音であることを確信した瞬間、目の前の砂漠は何の未練も残さず、跡形もなく消え去った。そして、わたしの意識は、夢から現実世界へと一気に引き戻されていった——。


 目を開いた時、真っ先に飛び込んできたのは、暗闇の中に浮き上がる緑色のLED時計だった。それはまるで乗客に気を遣っているかのように、遠慮がちな弱々しい光で現在の時刻を告げている。午前3時13分。バスの乗客は、皆、死んだように寝静まっている。カーテンの隙間から窓の外を覗き見ると、高速道路の照明灯の明かりが色濃い影をアスファルトに落としていた。日の出はまだ、だいぶ先のようだ。ガラスから漏れ入る冷たい空気が、夢の中で感じていた夜の砂漠の冷気を想起させ、先ほどの夢の内容が鮮明な映像となって一瞬のうちに脳内で再生された。

 つい今し方見ていた夢は、《青木ヶ原樹海》でSと共に過ごした夜に見た夢と、ほとんど内容は同じだったけれど、最後の方はだいぶ異なっていた。わたしは、Sを見つけるのに失敗した。砂漠の中で彼がいるはずの小屋を見つけることができなかった。まさに今これから、S——日並響を探しに行こうとしている矢先に、彼を見つけられない夢を見てしまった。

 こんな不吉な夢を見てしまったのは、バスに乗る前にあんな本を読んでしまったせいなのかもしれない、とわたしは思った。しかし、その内容を思い出そうとして、わたしは頭を抱えた。その本の内容をまったくもって思い出すことができなくなっていたからだ。

 深呼吸をして、昨晩の出来事を時系列に整理していく。

 日並響が装着していたスマートウォッチのGPS信号を追って、わたしは久慈行きの深夜バスに乗ろうと、東京駅の八重洲口に訪れていた。発車時刻までしばらく時間があったので、近くの喫茶店に立ち寄り、そこでわたしは彼の自宅から持ってきた『始まりのない物語』という本を読んだのだった。夢などではなく、確かにその本を読んだ。最初から最後まで、この目でしっかりと——。しかし、読み終えてからまだ数時間しか経っていないのに、残っているのは、ただ不思議な物語……という曖昧な印象だけだった。登場人物が誰で、何をしていたのか、それすらも思い出すことができなかった。

 何よりも疑問だったのは、本のタイトルにもなっている、『始まりのない』という言葉の意味だった。だが、それが一体どういう意味なのか、物語を最後まで読み進めても、結局は理解できなかった。いや、「理解できなかったという記憶だけが残っている」と言い表した方が適切かもしれない。モヤモヤした気持ちを解消できないまま、わたしは喫茶店を出て、そのまま夜行バスに乗り込んだのだった。

 22時45分、バスは定刻通りに出発した。それから都内のいくつかの停留所に寄って客を拾った後、高速道路の本線に入るや否や、車内は消灯になった。わたしが眠りに落ち、空を飛ぶ夢を見たのは、それからすぐのことだった。

 まるで雲を掴むかのようなふわふわした読後感のせいで、心の中に無力感のようなものが生まれたのだろう。無意識のうちに刷り込まれた不可抗力感によって、夢の中でSを見つけられないという不甲斐ない結果を招いてしまったのだ。おそらく彼は今も、あの小屋の中で誰かの助けを待っているに違いない……そんな気がした。

 3時間ほどしか眠れていないはずなのに、これまで次から次へと色々なことが起こったせいか、頭はやけに冴え渡っていた。見知らぬマンションの一室で目覚め、出かけた先の喫茶店で意識を失ったかと思えば、今度は病院の一室で意識を取り戻した——それも、頭部だけの変わり果てた姿で。それから《左右対称の顔の女》の話を聞き、わたしたちの意識は入れ替わった。結局のところ、頭部だけの状態になっていたのは彼女の方で、わたしは彼女の意識を追体験しただけのことだったらしいが、確かにわたしはその時、本当の生き地獄というものを体験した。

 不可解なことが立て続けに起きていた。わたしは目を閉じ、呼吸に意識を集中する。明日はもっと大変なことが待ち構えているかもしれない。夜行バスに乗っている今のうちに、しっかりと休んでおかなくては……。しかし、そうは思っていても、気持ちが全然落ち着かない。心のざわつきが治まる気配はない。

 わたしは再び夢のことに想いを巡らせていた。《青木ヶ原樹海》のホテルでSと一緒に寝た時、わたしは深い森の中で目覚め、そこから羽ばたいて空を飛び、砂漠へ行く夢を見た。そこでわたしは幼い頃のSに会った。何もない砂漠の、何もない小屋の中で、Sは泣いていた。彼は、わたしにこう言った。

 ——この先に、大きな塔があるんだ。ここで待っていれば、そのうち迎えが来るってお父さんが言ってた。だから僕はここで誰かが来るのをずっと待ってたんだ——

 今なら、わかる。Sが待ち続けていた〝誰か〟というのは、きっと、わたしのことなのだ。

 Sの言葉の続きが頭の中でこだまする。

 ——『この世のすべてがそこにある』って、おとうさんは言ってた。この世界をダメにしてしまった犯人がそこにいるんだって。そいつがせいで、他のニンゲンは一人残らず死んでしまったって——

 この世のすべてがあるといわれる塔。そこにいる人物のせいで、その世界のニンゲンは一人残らず死んでしまったという。そんな恐ろしい場所に、なぜSはひとりで行こうとしていたのだろうか?

 どんなに考えても答えは見つかりそうもない。夢の中の話なのだから、筋が通らないのは仕方のない事なのかもしれない。だけど、これは夢ではなく、現実に起きている話のような気がしてならなかった。

 わたしにとって、もはや夢は単なる夢ではなかった。わたしは今、特別な強い流れの中にいる。《ローブの男》と《左右対称の顔の女》に導かれ、わたしが暮らしていたところとは少しだけ異なる宇宙に来ている。何が起きているのか、まだ完全には理解しきれていないけれども、これだけは断言できる。わたしは確実に、彼に近づいている。昨日よりも着実に、今日は前に進んでいる。彼が身に付けていたスマートウォッチのGPS信号が最後に示していた地点に、あと数時間で到着しようとしている。そこできっと、わたしは彼に会える。《青木ヶ原樹海》の写真から始まった奇妙な旅も、そこで終止符を打つことになるだろう。


 夜行バスは、午前9時15分に岩手県沿岸北部の久慈駅に到着した。結局、わたしはあれから一睡もできなかった。バスを降りると、北国の春風はパーカーの分厚い生地を難なく通り抜け、長時間のバス移動で暖まりきった体を容赦無く冷やした。体を伸ばしながら大きくあくびをして、朝の澄んだ空気を肺に一気に取り込むと、朦朧としていた意識はいくらかはっきりとした。わずかに潮の香りを含有した風が、沿岸沿いの町に到着したことを告げていた。

 駅の売店でおにぎりとお茶を買い、ホームに停車していた八戸線の上り列車に乗り込んだ。空いている四人掛けのボックス席に座り、静かに食事を済ませた。

 ドアが閉まり、列車が発車してしばらく経つと、車窓から太平洋を一望することができた。そこにあるのは、夢で見た森の海ではなく、本物の潮の海だった。重苦しい雲が海面を灰色に染めている。まだ肌寒い季節にも関わらず、サーフィンを楽しむ人影がぽつぽつと見えた。もう少し暖かければ寒い思いをせずに済んだのだろうに、とわたしは思ったが、ウェットスーツを着ている人たちは、冴えない曇り空を恨む様子もなく、ただ目の前の波にうまく乗ることだけを考えているようだった。

 始発駅を出発して30分ほどが経過したところで、列車は目的地としていた海岸沿いの駅に到着した。乗降場しかないシンプルな無人駅だった。改札機のようなものはもちろん見当たらない。列車から降りた車掌に切符を手渡すことで降車の手続きを簡易的に済ませると、列車は重々しく次の駅へと向かった。車体が過ぎ去ると、何物にも遮られることなく、どこまでも続く砂浜が目の前に広がった。海は、微妙な空模様に苛立つかのように波を荒立て、シュワシュワと砂混じりの濁った泡を寄せては、しぶしぶと引き返していた。わたしはホームから車道に直接つながる段差の大きい三段の階段をひとつひとつ慎重に降りた。

 そこから内陸の方に向かって、緩やかな登り坂が続いている。道路の両側には杉の老木がそそり立ち、ただでさえ陰鬱な田舎道に、より一層深い影を落としていた。大きめの一軒家がいくつも建っているにも関わらず、人の気配は一切感じられなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?