中央アルプスに初夏の天の川_中

インサイド・アウト 第2話 樹海からの招待状(3)

 それから三十分ほど待っても、Sからの返信はなかった。

 彼がわたしのコメントを読んだのかどうかはわからない。見ず知らずの人間から来た短いコメントに、どう対応すべきか困っているのだろうか? もしかしたら、わたしは気持ち悪いと思われているのだろうか?

 後悔にも近いもやもやした気持ちが胸を覆っていく。

 反応が欲しいのなら、そっけない短文などではなく、相手が反応しやすいようなコメントを送るべきだったのだ。いや、そもそも知らない人に対してコメントすること自体、わたしには行き過ぎた行為だったのかもしれない。

 今さらどうしようもない問題だった。すでに終わったことなのだ。頭ではそのことを理解していても、一度膨れ上がった負の感情を制御することができなくなっていた。頭の中に棲む蜘蛛が、黒い糸を吐き出し続ける。

 わたしは何度か深呼吸した。それから頭の中で「仕方ない」と唱えた。それから「まあそんなものか」と言い直した後で、もう一つ、昔から使い慣れている魔法の言葉を思い出した。「どうせわたしは」だ。

 ——どうせわたしは、誰からも好かれないのだ。

 心の中でそう唱えるや否や、半ば脊髄反射的にSNSアプリの投稿フォームを開いて文章を打ち込んだ。アルコールで鈍った頭を精一杯働かせ、誤字脱字がないことを何度も確認してから「送信」ボタンを押す。

 『生きる上で便利な言葉ベスト3』
   ・仕方ない
   ・まあそんなものか
   ・どうせわたしは

 我ながら悪くない出来だと思った。投稿した後で何度も読み返し、自己満足に浸る。ぱっと見たところ前向きな言葉が並んでいるように見えて、たっぷりと行き場のない怒りと悲しみの感情が込められている。

 この文章を投稿できただけでも今日一日生きた甲斐があるというものだ。冗談などではなく、心からそう思った。自分の不毛な人生の中で、いかに自分を滑稽なピエロに仕立て上げ、世の中を愚弄してやるか。それが無力で無能なわたしにできる世の中への唯一の抵抗手段だった。それがたとえ蚊が刺すほどのほんの小さな違和感しか与えられないにしても、それで十分だった。

 この世にあるのは地獄と砂漠だけだ。天国や楽園などといったものは存在しない。神だって、おそらく存在しないのだ。もし仮に存在するにしても、わたしに何の恩恵も与えてくれないのなら、そんなものは存在しないのと同じことである。神も天国も、わたしにとっては完全に別世界の話なのだ。

 だからわたしは、わたし自身の中に楽園を創造するしかなかった。「自分の、自分による、自分のための楽園」だ。それはわたしの頭の中にある。誰にも侵されることのないわたしだけの世界であり、唯一の聖域——。そこでわたしは、どこにも向けられない怒りを他ならぬ自分自身に向けて放出するのだ。自虐にも近い怒りを。

 先ほどの投稿内容をもう一度読み返した。冷静に考えると、「仕方ない」と「まあそんなものか」はどちらも似たようなニュアンスだということに気が付いた。

 すっかりぬるくなった発泡酒を勢いよく喉に流し込みながら、わたしは再び「仕方ない」と心の中でつぶやいた。


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