砂丘の満月

インサイド・アウト 第14話 アウトベイディング

世界で初めて、生きたヒトの頭部移植手術に「成功」/ABC News Webより(5月8日 19時25分)

 日本人医師I氏は5月8日、東京都で行った記者会見で、某国の医療チームとともに身体提供者2人で試みる世界初の頭部移植手術に「成功した」と発表した。

 頭部移植手術は、I氏の共同医療チームとともに某国N医科大学で行われた。医療倫理上の問題から、日本での手術は行えなかったという。生きたヒトの頭部移植手術の詳細は、数日後に医療雑誌に掲載される。

「10時間足らずの手術で、私たちのチームはヒトの頭部を別のヒトの脊椎・血管・神経とつなげることに成功した」とI医師は会見で述べた。また生きた人間の頭部移植手術の成功について「医学にとどまらず、人類の新たな可能性の大きな布石となるであろう」と自負した。

 I医師によると、提供された身体は2人とも日本人で、そのうちのひとりは『株式会社 日本アウトベイディング』代表取締役の等々力敦史氏とのことである。今回のプロジェクトは等々力氏の資金提供によって推進され、資金提供者自らが身体を提供するという異例の試みだった。一方、もうひとりの身体提供者に関しては、日本人なのかどうか、どのような人物なのかという質問に、I医師は最後まで回答を避けた。

 医療チームは今回の手術成功の条件として、ドナーは手術後48時間は生存しているもの、と定めているという。

 頭部移植は、生命倫理の観点から、以前から大きな物議をかもしていた。米国亡命中の某国C氏は、世界的大富豪たちの長寿の秘訣は、継続的な肉体移植であると指摘した。C氏によると、すでに頭部移植は一部の権力者では実際に行われていると主張しており、今回の事例はあくまで氷山の一角に過ぎないとの噂が、関係者たちの間で囁かれている。


頭部移植手術に踏み切ったトドリキ氏の【現在と過去】/週刊未来 5月11日号より

 このたび、日本人医師による頭部移植手術の身体提供者となったことで一躍有名になった等々力敦史氏(以下、トドリキ氏)は、実は企業の代表であり、頭部移植プロジェクトの資金提供者だったという話は、我々の記憶に新しいところである。今回の件をきっかけに、トドリキ氏の経営する会社の名称を初めて知る者も、決して少なくないだろう。実は私もその一人である。

 そこで今回編集部では、彼が代表取締役を務める『日本アウトベイディング』がどのような会社なのか、その詳細の情報を入手するべく、様々な線から調査を行った。スポンサーとなりうるだけの資金力とスキャンダラスな大手術に踏み切った決断力の両方を兼ね備える人物に、世間が強く興味を惹かるのは時間の問題であると踏んだからだ。

 したがって、我々の期待は膨らむ一方であり、世間の皆さんが求める情報をいち早く提供できるように最善を尽くそうを考えた。プロの企業評論家に協力を依頼し、取引のあったと思われる人物に接触し、時には探偵をも雇って企業の実態をつかもうと努力した。

 しかし、我々が得られたのは、失意と己の無力感だけだった。どんなに探っても、事業内容の実態をつかむことができなかったからだ。我々と秘密裏につながっている国税庁の人間にも尋ねてみた。すると、その企業について触れるのはタブー視されているとのことだった。どうやら上層部からストップがかかっているらしかった。同じく、裏でつながっている警察関係者の筋を当たってみたが、そこでも同じ答えしか得られなかった。国家レベルで隠蔽するほどの企業——『日本アウトベイディング』。頭に『日本』と付いているので、海外に『アウトベイディング』という会社がないか探してみたが、それでもやはりヒットしなかった。『日本』と付けたのは、きっと国際企業のように見せかけるためのダミーなのだろう。結局我々は、彼の会社について、有益は情報を何一つ得られなかったのである。

 ……が、だからといって黙って指を咥えているほど我々も甘くはない。それこそ死に物狂いで、何でもいいので彼らに関する情報を入手しようと試みたのだった。すると、思いもよらぬ情報が得られた。なんと、トドリキ氏の過去を知る人物から、彼の幼少期の話を聞くことができたのである。

 等々力敦史。彼は、一九八一年、東京都文京区千石の病院で誕生した。父親は東京大学の教授であり、天才的な頭脳と持ち前の貪欲さによって、気鋭の宇宙物理学者として世に名を馳せていた。それに対して、母親は凡庸で大人しい性格だったという。

 父親の熱心な教育の甲斐もあり、トドリキ氏は驚異的な速度で次々と知識を身に付けていった。弱冠三歳にして、すでに高校卒業レベルの微分積分をマスターしていたのだという。少し信じがたい話なので、多少は脚色されているのかもしれない。彼は、周囲と比べて高い知能を持っていたが、性格においては母親の方の血が濃く出たのか、穏やかで優しい子供に育った。そして、持ち前の頭脳を私利私欲のためではなく、周囲の人たちのために使った。そんな感じだったこともあり、幼少期の彼の周りには温かい笑いが常に絶えなかったようである。

「彼は本当に何でも出来る優しい子でした」と懐かしそうに語るのは、彼の一番の親友だったO氏だ。「同じ時間を過ごしているはずなのに、彼は何年も先に習うはずの知識をすでに身に付けていました。それでいて彼は自分の賢さをひけらかすわけでもなく、誰にでも理解できるようにわかりやすく言葉を選んで丁寧に説明してくれました。小学校を卒業する時には、一般相対性理論についての解説を小学生向けにやさしく噛み砕き、卒業制作として著作を発表するほどでした。中学では、量子力学や超弦理論についての論文を毎日のように書き上げ、マサチューセッツ工科大学の教授に送っていたといいます。そのときから彼は世界中から注目され、一躍物理学の寵児となっていました。同年代の子たちは、まだ物理なんて本格的に学び始めてもいないのに」

 O氏はそれから、彼を追いかけるように自分も勉強し、同じ高校に進学しようとしたのだという。しかし——。

「彼は日本の高校には行かず、アメリカにあるマサチューセッツ工科大学の博士課程に飛び級で進学してしまいました。文字通り、一気に手の届かない存在になってしまったのです。彼が別人のようになったのも、ちょうどこの頃のことです。アメリカに渡る数日前から、彼は突然、私たちに冷たく接するようになりました。「接する」というより、あれは「無視」と言った方が適切かもしれません。今までのような温厚さは失われ、その代わり、あからさまに他人を見下すような態度をとるようになりました。ニヤニヤと笑い、小馬鹿にするように僕の方を見るのです。そのくせ、こちらから話しかけても、うんともすんとも言いません。あそこまで他人に愚弄されたのは、今までの人生を思い返しても一度としてなかったように思います。数日前まで聖者のように優しかったのが嘘のようでした」

 ここまでが、彼のことを唯一詳しく知るO氏が私に語ったことである。温厚だった少年が、なぜ突然別人のようになったのか。そして、アメリカに渡ったあとの彼はどんな様子だったのか。謎はますます増えるばかりである。しかし、これだけは断言することができるだろう。トドリキ氏——そして彼の経営する『日本アウトベイディング』は、決して気を許してはならない組織であり、この先、特に注意して動向を追わなくてはならないということを——。


世界主要都市5カ国で同時クーデター/日本政治新聞 5月12日 朝刊

【ワシントンD.C. 11日=中村純一】米東部時間の十一日午前九時(日本時間同日午後十時)ごろ、ワシントンD.C.中心部にあるホワイトハウスが何者かに占拠された。約二十分後にはさらにモスクワ市の旧ロシア帝国の宮殿であるクレムリンが、それから十分後に北京市の中南海、イギリスのダウジング街10番地、そして最後にフランスのエリゼ宮殿が次々と落ちていき、各国リーダーの身柄が拘束されている。(関連記事を国際面に)

 主要5ヶ国の官邸が占拠されるに伴い、国連安全保障理事会(安保理)は「テロリストと同等の行為に起因する国際の平和と安全に対する脅威」だとして、あらゆる手段で闘うことを決定し、「個別的又は集団的自衛の固有の権利を執行する」と宣言した。

 米CNXテレビなどによると、今回クーデターが発生した5ヶ国は、国連安全保障理事会の5つの常任理事国であると同時に、核拡散防止条約(NPT)で核兵器保有の資格を正式に認められた5つの核保有国でもあることから、犯行の狙いは全世界に対する決議権の獲得と核兵器の保有、その両方であるとの見方が強まっている。


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