砂丘の満月

インサイド・アウト 第15話 原点O(2)

「その男を、仮に『S』と呼ぶことにしよう。彼は昭和五十六年三月一〇日、この世界に誕生した」とローブの男は語り始めた。「そして彼は三十七歳のときに自ら命を絶とうと心に決め、そこから二度目の人生を歩み始めた」

 話の出だしから、僕はすでにわけがわからなくなっていた。『S』と呼ばれる人物の誕生日が、自分と同じだったからだ。それに数日前、命を絶とうと一度心に決め、その試みは失敗に終わった。しかし僕はまだ三十二歳だし、二度目の人生を歩むというほどのことはまだしていない。

 話をさえぎって男に尋ねたいところではあったが、「話の途中で疑問があっても決して遮ってはいけない」と男が言っていたことを思い出し、僕は口をつぐんで、男の話を最後まで聞くことにした。

「昭和五十六年——私から見たその頃の日本は、高度経済成長を遂げ、人々にとって豊かな暮らしは当然のようなものとなっていた。凄惨な戦争の記憶は消えつつあった。理不尽な争いからも、貧困からも解放され、人々は立ち向かうべき敵も寄り添うべき味方も見失っていた。常にどこかに仮想敵を作り、孤独と戦っていた。遺伝子に深く刻み込まれた闘争本能は行き場を失い、生存本能は鈍化していく一方だった。

 そのような悶々とした感情は、自分自身や周囲に向いた。自死。殺人。武力のような直接的な暴力だけでなく、人々はありとあらゆる手段を使って他人を貶め、自分を優位に立たせようとした。言葉による情報・印象操作。負の感情を煽ることで購買意欲を引き出す宣伝広告。人々は互いに洗脳し合い、世の中は心を乱す負のメッセージで溢れ返っていた。家庭は崩壊し、学校の窓ガラスは割られ、戦時中でないにも関わらず、人々の心は荒廃し、混沌としていた。世界大戦が集結しても、寿命と病気以外の要因による死者は減るどころか増える一方だった。


 そんな中、Sは東北地方の寂れた田舎町で生まれた。四人兄弟の末っ子だった。一番上に兄、それから姉が二人いた。

 彼の父親は単身赴任でほとんど家にいなかった。だが、たまに帰ってくると、溜まり溜まった負の感情を家族に当たり散らした。母親は何一つ口答えせず、黙ってしたがった。父親からの影響のせいか、やがてSの兄も母親に対してそのような態度をとるようになった。父親が家にいないときでも、家の中に怒声が鳴り響くようになった。

 そのことでSはひどく心を痛めた。母親に同情したのではない。自分も、父親や兄と同じように感情を抑制できなくなってしまうかもしれない、とひどく恐れたからだった。彼は自分の中に確実に通っている父親の血を恨んだ。それと同時に、その血が通っていることを言い訳にしてはいけないと強く心に決めたのだった。父親と兄の言動が引き金となって、自分の生まれ持った凶暴性が発動することがないように注意しなければならないと考えた。心に壁を作り、殻にこもるようになった。そのときSは、まだ四歳になったばかりだった。

 必然的に、彼は常に他人の顔色を伺って生活するようになった。

 他人に対してすっかり臆病になってしまっていたが、幸か不幸か、頭だけは人一倍良かった。彼は一度見聞きしたものをすぐに記憶し、物事を関連づける能力に長けていた。そのため、大人たちの些細な会話から事の真相をすぐに見抜き、触れられたくない事実を事細かく指摘し、その気になれば容易に論破することができた。『子供だから理解できないだろう』と高を括っていた家族や親戚たちは、やがて彼のことを恐れるようになった。

 周囲の大人たちに邪険にされながらも、そのような些事に心乱されることもなく、彼は自分自身の世界を作り上げた。頭の中に、誰からも侵されることのない自分のためだけの領域を作り上げた。

 彼はよく勉強した。中卒で勉強嫌いの両親から誕生したとは思えないほど、勤勉で、学業に熱心に取り組んだ。

 Sはこの世界の真理を追い求めていた。生命はどのようにして誕生したのか。生きるとは何なのか。なぜこの宇宙が存在するのか。そして、人類はこれから先、どこに向かっていくのか。——このような疑問の答えを見つけるべく、彼は様々な学術分野へと手を広げて多岐に渡り学問を習得していったのだった。小学校を卒業する頃には、その辺の大学生を遥かに凌駕するほどの幅広い知識と教養を身につけていた。

 中学一年の時、そんな彼の能力に目をつけた担任の教諭は、当時日本では珍しかった〝飛び級〟をすることを彼の両親に勧めた。しかし、勉強というものを学校のお遊戯の一つとしか考えておらず、教育そのものに価値を見出していない両親にとってはどうでもよい話だった。『頭は良くても、まだ子供だから判断力がないはずだ』と思い込み、自分の息子には普通の人生を歩んでもらえればよいと、飛び級の申し出を勝手に辞退したのだった。

 両親が下した独断は、Sを深く失望させた。より高度な知識を身に付け、世界の真理に近づくための大きな一歩を歩み損ねただけでなく、言い争いの耐えない、息苦しい家の中から抜け出すためのせっかくの機会を失ってしまったからだ。

 それからというもの、Sは両親に対して完全に心を閉ざした。賢い彼は、自由を得られないのは〝まだ子供だから〟という単純な理由ではなく、根本にあるのは〝お金を稼いでいないこと〟だと気がついていた。他人の援助なく、自分だけの力で生活することができれば、誰も文句は言わないだろう。そう信じた彼は、特待生入学を受け付けている高校を選んで受験した。そして見事に首席で合格を果たし、目論見通り学費は免除された。学費が浮いた分で一人暮らしをさせてもらえるよう、両親に頼み込んで下宿生活を始めた。こうして少しずつではあったが、彼は親から着実に独立していったのだった。

 三年が経ち——周りの誰もが予想していたことではあったが——彼は日本のトップを誇る大学の理学部に首席で合格した。大学四年間の学費は免除され、さらに民間団体の支援により、毎月の生活費も援助されることになった。安アパートを借りて節約すれば、両親に頼らずとも生活できる程度のお金を得られる見込みができたのだった。

 春になり、地元を離れて上京した彼は、両親との直接的なつながりをすべて断つことに成功した。これで、彼は本当の自由を手に入れたのだった。


 だが、Sの大学生活はそう華々しいものにはならなかった。友人と呼べるものは一人もできなかった。その頭の良さが、同年代のエリートたちには目障りだったからだ。さらに臆病で不器用な性格によって、些細なことでよく誤解を招いた。大学入学時点ですでに大学院博士課程レベルの専門知識を身に付けていた彼に対して周囲が抱いた感情は、尊敬でも関心でもなく、恐怖と嫉妬だった。大学生活の始まりは、息苦しい牢獄生活の始まりだったのだ。

 とはいえ、絶望とはそう長く続くものではない。激しい雨が長く続かないのと同じように。彼の頭上を覆っていた分厚い雨雲の隙間から、わずかに光が差し込もうとしていた。

 Sの飛び抜けた能力に目を留めたゼミの担当教授は、高IQ保有者しか入ることができないと言われる組織に彼を推薦したのだった。入会テストをほぼ満点でパスし、人口上位2パーセントのIQを有する集団の中でも、彼の知能はさらに上位に位置していることが判明したのだった。

 良くも悪くも、これが彼の人生にとって大きな転機となった。彼はそこで初めて自分の居場所を見つけた。世界の天才たちと接点を持つようになり、〝世界の真理を紐解く〟という壮大な夢に一歩近づいたのだった。そこには、今まで得られなかった人脈があった。人から人を紹介してもらい、世界の最前線で活躍する研究者とインターネット上で情報交換を行って、自分のやりたい研究を独自のやり方で進めていった。その時間は、大学に通うよりもずっと有意義だった。

 しかしそのとき彼は少しも気がついていなかった。自分のやっていることが、人類どころか、この宇宙全体の運命を大きく変えることになるということに——」

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