中央アルプスに初夏の天の川_中

インサイド・アウト 第5話 黒ベストの男(3)

 小学校の卒業記念で木彫りのオルゴール箱を作ったとき、僕がその箱に彫ったのは、太陽系の幾つかの惑星だった。オルゴールの蓋の左手前側に太陽を彫り、そこから対角線状の隅に向かって遠ざかっていくように、水星から土星までを順番に彫っていった。落ちこぼれの僕にとって、無限の可能性を秘めた宇宙はこれ以上ない大きな希望だった。魂を込めて作り上げたオルゴール箱は、漆黒の海に散らばる無数の宝石を入れるのにふさわしい代物になった。

 幼い頃から、少しでも暇ができると子供用の学習事典を開いては宇宙に関するページを眺めてばかりいた。その事典では、太陽系の惑星だけでなく、この広大な宇宙に存在する多種多様な天体について幅広く触れていた。中でも、オリオン座の一等星ベテルギウスについての説明は、僕に大きな衝撃を与えた。その直径は十四億キロメートルあり、太陽の大きさの千倍に相当するというのだった。そして太陽より大きい星は、ベテルギウスだけでなく他にも多数存在する。はくちょう座の一等星デネブ、現在の北極星であるこぐま座α星ポラリスなど、枚挙にいとまがない。

 この感動を、僕は誰かと共有したかった。そこで思い切って、学校のクラスメイトに話してみることにしたのだった。引っ込み思案で、普段自分から話しかけることはなかったが、このときばかりは自分の興奮を分かち合いたいという衝動が強く作用し、この宇宙のスケールの大きさについて自分でも驚くほど熱弁した。

 だが彼らは、この宇宙で最も大きい星は太陽だと信じて疑っていなかった。彼らだけでなく、彼らから意見を求められた担任の先生でさえも、太陽こそが宇宙で最も大きい星だと信じ、僕の言うことには全く耳を貸さなかった。それだけに留まらず、皆で一致団結して僕のことを嘘つき呼ばわりした。十七世紀初頭に、地動説を唱えたことでカトリック教会から異端尋問をかけられ、「宗教」と「世界の真理」の板挟みに苦しめられたガリレオ・ガリレイのように、二〇世紀末の僕もまた「絶対的な力を持つ教師と優良な生徒たち」によって同じような板挟みにあったのだった。

 この出来事を機に、おかしいのは自分ではなく、世界の大多数の人たちだと考えるようになった。学校生活では何事においても最下位を取るのが専売特許だった僕でも、他人にはない知識を身に付けることで、将来的にこの地位を大きく逆転できるかもしれない、という微かだが大きな手応えを感じ始めたのもこの頃だった。

 それから僕は、自分の興味の赴くままに、勉強したり本を読んだりして特定の分野に特化した知識を身に付けるようになった。それは、劣等感に苛まれていた自分に確固たる自信をつけるための行為でもあり、自分を見下してきた人たちに対する復讐でもあった。

 やがて、この世の真理を追求したいという想いが強くなり、大学では宇宙物理学を専門にした。その頃も相変わらず、無限の可能性を秘めた宇宙に大きな夢を見出していた。しかし、専門的な知識を蓄えるに従って、その無限の存在は《無》と同義なのかもしれないと考えるようになった。そこにあったのは希望などではなく、絶望だった。ブラックホールに吸い込まれるかのように、僕の心はその強い重力に引き込まれ、抜け出すことができなくなっていた。

 宇宙は無限なのかもしれない。しかし僕たち人類が観測できる宇宙の範囲には限界がある。その技術があるかどうかではなく、「原理上」どうやっても不可能となる境界があるというのだ。それはつまり、宇宙が有限か無限かを直接的に確認することは論理的に不可能だということを意味していた。

 もしかすると遠い未来、英知を得た人類は、膨大な年月を費やして宇宙の果てを観測するのかもしれない。しかしその「果て」の向こうには何があるのだろうか。その先に、何も存在しないという保障はあるのだろうか。そもそも何も存在しないとはどういうことなのだろうか。それがわかったところで人類に何の意味があるのだろうか。

 宇宙に比べると、人間はちっぽけで無力な存在だ。そこには存在する意味を与えられる隙さえもない。人間だけでない。有機物、無機物問わず、この世界のすべてのモノに対して同じことが言えるだろう。もしかすると、最初から存在しなくてもよいものなのかもしれない。せっかく生を受けても些細なことで突然死を迎えるように、我々のいる地球はちょっとした出来事によって一瞬にして消え去る可能性もある。地球ごと消えるかもしれないし、太陽系ごと消え去るのかもしれない。もしかすると、宇宙ごと無に帰すのかもしれない。

 そのことに気がついた直後、追い打ちをかけるように姉が他界し、重層的に奏でられた喪失感によって僕は鬱になった。大学を中退して、しばらく抜け殻のように過ごした。

 それから何とか正気を取り戻し、現在はこうして普通のサラリーマンとして生活するに至る。しかしあの絶望を経験して以来、どんなに嬉しいことや楽しいことがあっても、一度闇に引きずり込まれてしまった心は再び表の世界に戻ることはなかった。漆黒の色にどんな鮮やかな色彩を加えても変わらぬように、表面上はどんなに明るく振舞っていても、心の奥底には、決して拭い去れない闇があった。僕は自分自身に対してだけでなく、人類全体に対してさえも暗い未来しか想像できなくなっていた。


 黒ベストの質問に虚を衝かれ、僕はしばらく言葉を失っていた。その間、忘れかけていた昔の記憶が走馬灯のように流れ、その映像が終わる頃には男の質問の意味を完全に理解していた。

「宇宙の外側……ですか?」、黒ベストの言葉を再確認するために、僕は聞き返した。

「そうです」

「考えたことはありますが、それが僕と何の関係が?」

 黒ベストの男はサングラスをかけたまま嬉しそうに笑った。小麦色に焼けた肌と白い歯のコントラストが神経を逆撫で、忘れかけていた不快感を呼び起こす。僕はできるだけ平静を装い、コーヒーを口に運んだ。

「やはりあなたも考えたことがあるのですね」と男は嬉々として顔を輝かせた。「それならば幾分か話が早いかもしれませんが、うーん……そうですねぇ。まず大前提として、我々の宇宙は観測しようにも、観測可能な範囲に限界があることをあなたはご存知ですか?」

「天体からの光や、その他の放射エネルギーが地球上の観測者のもとに到達することができる範囲でしか、僕たちは観測することができない」

 僕は、記憶に残っている範囲で説明できそうな内容を要約して話した。

「素晴らしい。的確な言葉でしっかり要点を押さえていて、なかなか模範的な回答です」、黒ベストは音を立てずに拍手した。

 僕が思い出せるのはこの程度の事だった。もっと専門的な概念や用語を学んだ記憶はあるが、大学で物理を学んでいたのはもう十年ほど前のことだ。現実社会を生きるのに不要な情報として、その時の知識のほとんどは僕の脳からはきれいに消え去っていた。

 黒ベストは紅茶を一口含んでから、再び話を始めた。

「そう。我々人類は、一般的な方法としては可視光線や赤外線といった様々な波長の電磁波を検出することによって宇宙を観測してきました。しかしそれはつまり、電磁波が電磁波として振る舞える状態の宇宙しか観測できない、ということを意味します。原始の宇宙では、我々にとって当たり前の物理現象でさえも、当たり前ではないのです。他にも、ブラックホールのような巨大な質量をもつ天体が光速に近い速度で運動するときに発生する『重力波』というものを検出することで、電磁波が電磁波として振る舞える状態になる以前の宇宙も観測できるかもしれない、という話もありますね。今ではその『原始重力波』を検知して宇宙の始まりを観測しようと、物理学者たちは国から莫大な予算を得て研究に勤しんでいます。しかし——」

 僕は息を飲んで話の続きを待った。男が何を話そうとしているのかは、大体予想がついていた。

「——しかしそれでも、観測することができるのはせいぜい『この宇宙の始まりまで』が限界であって、『それ以前の宇宙』も『この宇宙の外側にある宇宙』も観測することは不可能だということになります。少なくとも今のところは……」

 ここで男は少し寂しそうに肩をすくめ、すっかり冷めているはずの紅茶をいかにも熱そうにすすった。それから何かを考え込むように黙り込んだ。僕は、疑問に思っていることを訊くことにした。

「なぜあなたがそのような話をしているのか、いまいち理解できていませんが……」、そう前置きしてから僕は続けた。「もし仮に、この宇宙の外側に別の宇宙が存在するとして、だから何だって言うのですか? 僕たちには今のところ何の影響も及んでないわけですから、存在しようがしまいが、何も問題にはならないのではないでしょうか。それを考えて意味があるのは物理学者かSF作家くらいだと、僕は思うのですが」

 もしこのカフェに物理学者かSF作家がいたとしたら、彼らの怒りを買ったかもしれない。幸いなことに、店内には僕たちのことを気にしている様子の人は一人もいなかった。だが僕の目の前に座っている男だけは違っていた。彼は握りしめた手をテーブルに叩きつけて言った。

「日並さんは、それで本当に問題がないとお考えですか? 我々の住む宇宙の外側に別の宇宙が存在したとしても、何の影響もないと?」

 黒ベストは怒っていた。サングラス越しでも、こちらを睨みつけているのがわかった。

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