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2013年8月10日

譜面難易度のインフレやプレイヤーの地力のインフレが加速度的に進んでいることや、プロリーグの設立も相まって、
たくさんの卍†ゴリラリザルト†卍が流れてくる毎日。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?(急に何)
そうは言っても音ゲーの真髄は"過去の己"を超えること。
皆様におかれましても、思い出のリザルトの1つや2つはあるのではないでしょうか?(だから急に何)


2013年8月10日 Broken EXC


トップランカーから程遠い凡人でしかなかった私にとっては、文句なしのベストリザルトです。
早いもので10代ギリギリで出したこのリザルトから10年。
私も明日で30歳のおっさんです。
律儀にこの8月10日という日付を覚えてくれている人もいて有り難い限りです。(はくくんありがとう)

今回はこの出来事について、思い出話を語らせて頂いてもいいでしょうか。(いいとも〜)(ありがとう)


※注意事項※

必死こいて昔のガラケーやスマホから写真をサルベージしました。
自分語り100%の自己満足の記事ですので、人を選ぶかと思います。
それでも読みます!といった優しい方、ありがとうございます。
最後までお付き合いください。
1人の音ゲーマーの思い出話を当時の時代背景を交えながら語りたいと思います。
重ね重ねになりますが、ブラウザバックをするなら今です。
では、

Broken / dj TAKA feat.AiMEEという楽曲

親の顔どころか自分の顔より見たジャケット

初代においてレベル100で出現する最後の隠し曲であり、最初のボス曲といった立ち位置の楽曲。
ノーツ数だけでなくスコア詰めにおいてもTHE FALLENの方が上という意見もありますね。
あまりの道のりの遠さに「財布がBroken」など揶揄されることもありました。

解禁と初プレイ(2011年9月)

譜面に関して言えば、LO+16分トリルが当時としては珍しく、他に練習となる譜面が無かったと記憶しています。
初代はWIN COUNTだったので正確なPLAY COUNTは分かりませんが、ランカーの方々は数百回~四桁回数は当たり前の世界でした。

dj TAKAのTRANCE、元祖最終解禁という立ち位置、譜面のカリスマ性などが相まって人気(?)楽曲であったBrokenですが、
譜面としっかり向き合うまでは「良さが分からんのやが…w」といった感じでした。

ひかり、嘘だよな…?

プロフィール

生年月日:1993年8月21日
当時の音ゲー経験:(リズム天国ゴールド、) 太鼓の達人AC12.5~14、太鼓の達人CS DS1,2,3,PSP1,2,DX
REFLEC BEATとの出会い:初代稼働3ヶ月後くらい(部活の後輩に誘われて)
本格スタートは稼働半年後(SEEDが出たくらい)
座右の銘:『出るまでやれば出る』

本格的に音ゲーをやるようになったのは高1の9月で、界隈では普通~やや遅めでしょうか?
ゲーマーの兄が居るのですが音ゲーは一切やっておらずだったので、その兄がやっていればもっと早くから触れていたのかもしれませんね。
太鼓をやっていた頃の自分は、「回数を少なくして高いスコアを出すことこそが真の上手さ」と考えていたので、死ぬほど動画研究する人間でした。
(ケータイ代を差し引くと月々2000~3000円くらいしか自由なお金が残らないのもありましたが)
しかし、limelightの春頃に行われた調布モナコの東西戦の配信を観ていた際に、ARPAさんがDEADLOCKで97%近いスコア(当時のランキングで一桁くらい?)を出して会場が大盛り上がりの中で言い放った言葉、
「自分は回数やっているんで…」
この何てことのない一言が当時の自分には衝撃で、
「韓国のお方なのに日本語上手すぎ…」
「トプランが回数積んでるんだから自分はもっと積まなきゃだめでしょ」
という考え方に変わりました。
この考え方は文字通り良くも悪くも自分の音ゲー人生に大きな影響を与えましたし、座右の銘『出るまでやれば出る』のルーツとも言えます。
ちなみに、この考えを持ってソシャゲのガチャを引いている人はバカです。(ひろゆき)

limelight当時のREFLEC界

当然ですが、ハイスピやGOOD OFFなんてものはありません。
(ハイスピ→VOLZZA2、GOOD OFF→リフレシア)
フレームの話は私は全然分からないのですが、JUSTの判定幅は
初代→IIDXのPGと同じ
limelight~VOLZZA2とリフプラ→pop'nのCOOLと同じ
リフレシア→SDVXのCRITICALと同じ?
と言われていますね。

10+のエクセは2曲…だったはず。
【2012年3月頃】 STELLAR WIND
→収録後1週間くらいでHO4-KETIさんがエクセ(未回収)
【2012年5月頃】 Broken
→ZYDさんが2027で全一 0-0-2とか1gr未回収などを出していた
【2012年11月頃】 FLOWER
→KAC2012の予選課題曲となり、エクセ者が3人

Brokenに関してはZYDさんが1人だけ頭一つ以上抜けていました。
limelightのこの時期で出しているのはおかしいですね…。
HAERETICUSが収録されるのが数ヶ月遅ければ、この時期にエクセが出ていたのでは?
ちなみに我らがROZA大先生は2024点。あまりにも上手すぎる。
フルコンランプが点いているだけで上手い時代、2000点は30人くらいでしょうか?(これについては本当に記憶がありません)
limelightの終了時で100人ちょっとだった記憶があります。

きっかけ

Broken狂との出会い

教か狂かでどっちの文字を使うか迷いましたが、どっちも正しいですね。
当時、設置台数8台を誇る池袋のプロAがlimelightで一旦3曲設定になってしまい、
新宿のタイステGWが6台の4曲設定で聖地となっていました。
ROZA大先生と初めて会ったのもここ。
ICE-MIさん、BA★MUさん、Nさん、RALさんなどなど、
当然全員が私よりREFLECが上手く、刺激を受けたゲーセンNo.1です。
8月くらいにプロAが4曲設定になるまで、平日は大体ここに居ました。
いつ行っても5Fのエレベーターが開くとBrokenをやってる音が聞こえてくるんですね。(大体ROZAさんなんですけど)
当時言われたのは"Brokenは1000回やって1回とカウントする"ということ。
ろ「君はまだ0回だね。」
ひ「え?」

狂ってる。

反射の達人 Broken部門

言わずとしれた(?)REFLEC BEAT非公式大会の最大手 、反射の達人。
2012年GWに開催された第一回大会では、Broken部門なるものがありました。
そもそも参加登録もしておりませんでしたが、熱を出してしまったので家からUstreamにて観戦…。
チームこりんのお二方、本番強すぎです。
名勝負の数々に加えて、おまけに最後はお忍びで訪れていたZYDさんの電撃参戦で大盛り上がりでしたね。
詳しくは当時のHPをご覧ください。

リザルトと共に振り返る

limelight

そういうわけで、様々な影響を受けた私は本腰を入れてBrokenを詰めることを決意します。
ここからは写真が多めです。

2012年5月

フルコン狙いとAAA+
必死に拾ってる感じが窺えますね。

2012年5月13日

初めてのフルコンです。
初代が24回だったと思うので、PLAY COUNTの8〜9割はこの1ヶ月あまりで増えました。
この頃は譜面に関する理解は浅く、訳も分からぬままべちゃべちゃやって繋いだだけですね…。

1回マグレで繋いだだけでこの調子である

フルコンランプを手にしたので、ここからは精度を高めることだけを考えます。
YouTubeでひたすら譜面動画を見て机ビートの繰り返し。
より多くのパターンを見るために、様々な人の動画を探しました。

2012年5月25日

めちゃくちゃ当たってたんだと思いますが、ARの大幅更新のみならずフルコンの点数をも上回るリザルトが出ました。
こういうのって何故だか今でも誰が対戦相手だったか覚えてるんですよね…。(知り合いに限る)
当たりを引いたことで、譜面に対する理解度が一気に上がった手応えが確かにありました。
どうでもいいけど5月25日って初めてのバイト給料日ですね。
1万円くらいしか入ってないと思うけど。

2012年6月,7月 自身初の単独全一を添えて

そして、2度目のフルコンでAR自己ベタイ文句なしの55点更新。
やればやるほど理解が深まっていくことに快感を覚えていきます。
97%近辺が出るようになってから「本当に良い譜面だなぁ」と感じるようになりました。
5枚目はおまけ。
ちなみに出した日の夜にすぐ追いつかれました。(どうして)

頭が狂っていたときの待ち受け

「ところで目標は何点なのだろう?」
漠然とスコア詰めをしていたところに、段々と2000点の5文字がチラついてきます。
しかしながら97%半ばから壁は厚く、思うようにスコアが伸びない時期が1ヶ月ほど続きます。

(いやいや、まだ回収コンすらできていないし…。)

時は流れ、あっという間に8月末。
「池袋で大きな飲み会があるらしいしプロAに行こう!」
夏休みの大学生は無敵。見切り発車で足を運びます。
まだ当時はFF外だった彩雅さまが遠征で来ており、かなりの人数が集まっていました。
そんな中で…

2012年8月27日

【悲報】ワイ陰キャ、飲み会飛び入り参加と言う選択肢を捨ててプロAに残る。
一番最後の6連トリルを逆入りしました。人生そんなもん。
私の決定力の無さはご存知かと思いますが、昔はもっともっと酷かった。
この時点でPLAY COUNT 876。
意地になって終電近くまで粘着するも出るはずもなく…。

★赤ネになって帰りました★

数日後に家族旅行で海外へ行くことが決まっており、ACのREFLECはおあずけに。
なんというタイミング…
ただ、バイト代をiPadに全ツッパすることで旅先でもREFLEC BEAT 。(何をしに行っているんだ)
それが功を奏し…?

2012年9月15日

帰国の翌日に無事達成できました。(滞在中にiPadでも出せていました。)
ぶち抜くのも気持ちいいですけど、2000点ぴったりというのもまた気持ちいいですよね。
当時のツイートを見るとリーベーのLO3本のところで残り0グレだったらしいです。
PLAY COUNTは、、、、1999点を踏んでから200回以上増えていますね。
確か2000点は90人目くらいだったかな…?あんまり覚えていません。
一旦ここで一区切りと思いきや、繋げば200x点みたいなリザルトを連発していたのもあり、やめられるはずもなく…。

2012年9月~11月

limelightは2013点でフィニッシュ。
大躍進ですね。えらい!
初代+limelightの通算で2086回です。
(colette先行稼働でデータを引き継いだ後も少しlimelightをやっているので、本当はもう少し多いです。)
というか冷静に約半年で2000回て。

2012年10月25日

こんなこともありました。
Lv8エクセ制覇王手のANCHOBIさんにエクセ出さずに待ってもらったり、
事故ってエクセしちゃったAK・∀・NEさんが気を遣って筐体の電源を落としてくれたり、
本当にたくさんの方々に迷惑をかけました。
誠に申し訳ございません。
ちゃんとAK・∀・NEさんのリザルトを横から撮って残してあるのマジで草(1枚目)
このとき後ろでROZAさんがDDRで選んでいたことで知ったLeaving…は、今でも思い出の曲です。
偶然とは思えないレベルの選曲すぎて…ww
ご存知でない方は良かったら聴いてみてね。

colette -Winter-

2012年11月,12月

いよいよcolette -Winter-が稼働です。
1枚目は先行稼働初日にサープラ多摩センターに行ったときの写真。
文字通り瞬間全一で、夕方バイトしてる間に確か1121さんに2000点超えを出されて終わりました。
limelightの2013点は先行稼働の後に出したので、幻の自己べになってしまいましたが、割とすぐに2枚目の歴代自己べが出たので良かったですね。

2012年12月14日

2015点から約10日、14落ちから一気に半分まで減らして2022点。
ラスト突入時にまだ5グレで、
「ずっと追いかけてきたROZA大先生とついに肩を並べてしまうのか?」
そう考えた瞬間にぶっ倒れそうになり、2-1トリル後の同時押しでグレ。
人生そんなもん。
ちなみに今は亡きパトリです。
第二金曜日に行われていた全音ゲー2クレの日。
この頃はイヤホンアンプが無かったのにようやっとる。

その後、約1ヶ月後の1月21日にNAGIさんに1-1-0の2026点を出され、colette全一は奪われてしまいます。
ただ、ここまで来るとある種の電子ドラッグになりつつあって、
「とりあえず1点でも更新したい」という気持ちだけで身体が勝手にBrokenを選んでしまうんですね。(たすけて)

2013年2月20日

この期に及んでグレ数をまたしても約半分に減らす男 
2025は発狂抜け2グレ…!
緊張は無く、頭がぽわぽわして気づいたらグレが出てたらしい。もはや意味不明。
colette全一が再び見えてきます。
言うまでもなくここで止まりません。選曲の8割はBroken。
1クレ4曲設定で毎クレ3回やったとしても7.5割ですから本当に意味不明ですよね。

エクセの練習も欠かさず

colette -Spring-

ANCHOBIさんとお会いする機会があり、たった4連奏であっさりと2026点を出されてしまいます。
635点率の高さ、自分にはできない右TOP下の誤爆回避も軽々こなす姿を見て、トプランとは何かを思い知らされます。
それもあって、この頃からコソ練癖が出てきます。(あまりにも姑息)

2013年4月14日

同率ながらもcolette全一に返り咲き。通算PLAY COUNT3331。
この写真は多分初公開だと思います。すごくどうでもいい。
そんな喜びも束の間、歴史が動きます。

2013年5月9日(奇跡的に残っていたスクショ)

大学の2限の最中にTwitterを見ると(見るな)、2027点のリザルト。
昂ぶる気持ちを抑えながら講義を受けつつ再びTwitterを見ると(見るな)、
サムネの時点で何のリザルトか分かるレベルのツイートがありました。
悔しい気持ちもありながら、清々しい気持ちが勝っていたことを覚えています。
ANCHOBIさんの常にREFLEC界を引っ張っていく感じ、尊敬していました。
本当に凄い。

この数十分後に2029が出ました

さて、最速の2文字が消え、ここからは自分との戦いとなります。
歴代が2027点ではなくなったため、この辺りから明確に2029点を意識するようになります。

2013年5月~6月

もはや意味不明。
本当に辛い時期で、一番呪われていたのはこの2026点でした。
ここまで呪われても何故やめないのか。
この男の原動力は何なのか。
ここはどこ?私は誰?一昨日の晩ご飯、何を食べましたか?(川島隆太教授)
しかし、追い打ちをかけるかのように事件は起こります。

2013年6月16日

流石に効きました。
発狂エクセ抜けは数回目だったと思いますが、リーベーのトリルも抜けられたのは多分初めてだったはず。
今まで感じたことのない緊張感、サーッと血の気が引いていく感覚の中でノーツを捌いていると、普段やったことのないミスをするんですよね。
というより、3グレからエクセを決め切れるほどのメンタルはそもそも持っているわけがありません…。
コンボ数を見ると、終盤に降ってくるただの3連のトリルをスカっています。
その後、2-1がハズれつつJRを飛ばし損ねながらもJUSTで抜けたことだけはえらい。
勝利の女神はいつ微笑んでくれるのだろう?
(直後の写真が無いのですが、撮影時間的に通算PLAY COUNT4112くらい)
かなり多くの励ましのリプライを頂いたのもあり、一晩寝たら立ち直りました。
ありがとうございました。

コメントを変えたのも翌日らしい

ここ辺りで自分の中で吹っ切れた感覚があり、
少し前まで抱いていた「2026点から伸ばせないんじゃないか」という不安はもう無くなっていました。
また、この時期あたりからJRを止めてもらっているリザルトが明らかに増えています。

99.5%以上(=グレ1桁)のリザルトを撮っていました

言葉の伝わらない画面越しでも、皆さんの温かみを確かに感じました。
本当にありがとうございました。

colette -Summer-

colette -Spring-も終わり、colette -Summer-が稼働します。
夏が好きなのも相まってモチベアップ。
この男、あまりにも単純。

2013年6月27日

2ヶ月以上停滞していた自己ベストがようやく更新されます。
雨は上がり、空は晴れ渡り、草木は生い茂り、花は咲き乱れ、小鳥たちはさえずり、人々は争うことをやめて手を取り合います。
この1点更新に実に1000回近く費やしており、長い長い冬がようやく終わったような感覚でした。
このときに述べている新しい運指が何だったかはもう忘れました。
2027点は旧歴代。止まるわけにはいきません。

2013年7月10日

何言ってんだこいつ
約2週間という短さであっという間に1点更新。
誰も出したことのない2028点を自分の目で見ることとなります。
0-0-1、2028点、残すところは2029点。
踏むものは踏んだので希望が確信へと変わっていきます。
この辺りでリフプラ界でも初の2029点が出ました。(リフプラキングFREIさん)

3年後、VOLZZA2でCHAA-R.Uくんがフラグ回収します

翌日、何となく1クレ分だけカメラを回してもらうと2026点が撮れてしまいました。

仕方ない箇所しかグレていませんし出来すぎですね。
当時アップされていたどの動画よりも高いものを撮ろうと考えていたので大満足でした。
ちなみにカメラを回してもらっていた1クレ、これ以外は99%すら出ていません。

この男、暴れすぎである

空中含めてかなりの反響があり、調子に乗って解説も書いてしまいます。

今見ると別に大したことは書いていないんですが、当時考えていたことが上手くまとまっています。
太鼓出身が故に、"指先を動かす音ゲーの地力"はかなり低かったです。
更には好きな曲(≒できる曲)しかやらないようなプレイヤーでしたので、
少ない地力の自分ができることは何か、考えて工夫することがカギでした。
(HAERETICUSなんかは特に酷くて、AAAどころか87%くらいでした。)
この頃の私はベースは親人中の6本指プレイヤーで、LOが来たときにだけ仕方なく薬指を出動させる程度。
そして当時も今も変わっていない考え方なのですが、REFLECは光らせられる指で拾っていくのが大原則だと私は考えています。
光らせられるなら薬指も小指も使えば良いし、そうでないなら使わなくて良い。
その中で1つの譜面パターンに対して光らせられる運指が何通りかあると良いですね。
同じ形だとしても、左に寄るのと右に寄るのとでは主軸となる手は変わりますよね。
そのパートに入る直前の譜面の形によっても、スタートの手の位置は変わりますよね。
そんなことを考えながらBrokenと向き合っていました。
こいつ本当に当たり前のことしか言っていないな。

2013年7月30日

いつも通り吉祥寺プレイロットジョイでやっていると、
REFLECを教えてくれた部活の後輩と1年半ぶりに遭遇し、ローカルをしました。(なゆたんではないよ)
今までかなりの頻度で通い詰めていて会わなかったなんて不思議ですよね。
エクセに王手がかかっているこのタイミングに、REFLECを始めるきっかけをくれた後輩と再会したこと。
今となっては、何かの巡り合わせだったんじゃないかとも思ってしまいます。
そして、

2013年8月10日

本当にありがとうございました。
息が苦しくなるくらい訳分からんほど泣いた。
FINALなのにツイートするのに4分も要しているし、凝った文面考える余裕もなかった。
最後の2-1トリルが大ハズレで降ってきたのが見え、頭が真っ白になってからの記憶がなく、気づいたらエクセが出てました。
今までハズレもちゃんと練習してきて本当によかったね。
そして、川崎ArcadeChampionshipという大会の1週間前で、
スタッフをはじめとする知り合いの方々がたまたま池袋に集まっており、
たくさんのお祝いの言葉を頂きました。
本当にありがとうございました。

BASICとMEDIUMはcolette最終日に急いでエクセしました(右)

あとがき

なんだかんだ今となっても間違いなく音ゲー人生の一番のリザルトです。
この後も嬉しい記録はたくさんありますが、
時代背景や持っている地力などを考慮すると、自分が出して良い記録とかけ離れすぎていたと思います。
ちゃんとエクセできたから良いものの、出ないことも十分あり得たと思うとゾッとしちゃいます。
よい子のみんなは自分の地力に見合った記録を狙おうね!!
ハイスピ実装前にこの辺の10+をエクセしててKACに出れてないのは私だけ

とはいえ、自分に秘めた無限の可能性を知れたこと、
この後1,2年かけて"自分はトプランにはなることができない"のを知れたこと、
全てを引っくるめて大切な思い出!

お付き合い頂きありがとうございました。

なんでAutumnでも出してんだ?

おわり


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