ひとりでいること
子どもの頃の記憶。学校の友達と遊ぶとき、みんなと交わらないで、ひとり口を噤んでいた。一緒にいるのだけど、そこにいない。ぼんやりと遠くの世界を眺めている。
私はここにいてもいいのだろうか。
どこにも所属することのできない、罪悪感のようなものをいつも感じていた。
学校の特別な行事のとき、特に、修学旅行のためのバスの座席を決めたりと、ふたり一組で何かをしなければならないとき、私はひそかに恐怖を感じていた。
相手が見つからなくて、ひとりぼっちで居残ってしまったら、どうしよう。
幸い、ふたり一組の相手を決めるとき、やさしい誰かが必ず声をかけてくれて、ひとり居残ることはなかった。けれども、ひとりで完結することのできない行事は、私にとって、楽しさよりも恐怖がまさっていた。
ひとりでいることが好きなわけではないし、ひとりでいることは、寂しい。
ただ、みんなに合わせようとしても、うまく合わせられなくて、合わせているつもりでいても、やっぱり何かが違う。相手の表情や、目や、言葉が、みんなと私は何かが違うということを物語っている。何かがおかしいと訴えかけてくる。
そういう空気を感じとることが度重なるにつれて、いちいち恐怖を覚えることにも愛想が尽きて、誰かといるよりもひとりでいるほうが楽だ、と思うようになった。
✴
ふたり一組であること。
そのことの喜びを本当の意味で感じられるようになったのは、心から好きだと思える人と付き合うようになってからだった。
彼とは、長い、長い時間をともにした。ふたりでいる日常が当たり前になって、いつもひとりでいたあの頃の自分に戻ることが想像できなくなっていた。
それでも別れはやってくる。
立ち直るまでに、長い時間がかかった。ふたりで過ごす未来を何度も心の内に描いていたから、その未来の訪れないことが嘘みたいで。
結局、私はひとりなのだ、と思い知らされる。ひとりでいることは、こんなにも寂しいことだっただろうか。
けれど、彼と一緒にいない季節がひとつ、またひとつと過ぎてゆく中で、ひとりでいることにもまた慣れてきて、ひとりでいることを楽しめるようにもなってきた。
私は、彼に合わせようとしすぎて、自分でも気が付かないうちに疲れていた。彼の思考や感情に染まって、振り回されて、うまく自分を保てなくなっていた。
私は、私のままでいいのに。
きっと、私は他人との境界線を引く事が苦手で、昔から自然と、ひとりでいることを選んでいたのだと思う。
どうして忘れていたのだろう。誰かと同じであるよりも、違いがあるということの素晴らしさを。
無理をして人に合わせようとするよりも、違うことを清々と認めて、私はひたすら私でありたい。今日もひとり、そんなことを考えている。
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