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学生最後の授業

公開忘れてました。今更です。

寒くて布団からなかなか出れずに気づいたら昼前だった。大寒を過ぎたあたりから急激に寒くなっている。今年は暖冬だとテレビや新聞が騒いでいるけども、寒いものは寒い。

布団を出て猫を撫で、顔を洗ういつものルーティーン。冷たい水が顔に突き刺さるように感じたとき、今日で授業が最後だと急に思い出した。

学生として受ける授業が今日で最後か、と思いながら昼食を取り、いつも通り支度を済ませていつも通り駅に向かう道を歩いた。

今日は、とても寒い。空気が冷たく乾いていて、尖っているようだった。いつもは歩く大学までの道もバスに乗ってしまった。

最終日くらい、早めに学校に行ってのんびりしようと思っていたが、なんだかんだでギリギリの到着に加え、会社のWebテストが終わってないのを思い出し、急いで教室に向かいパソコンを開いた。最後まで何かに追われて忙しくしているのは自分らしいような気がした。そのせいもあって最後だ、という特別感はなくいつも通りの感覚だった。

考えてみると、学生最後の授業というのはかなり特別なイベントだ。我々は22年間生きてきたなかのまだ殆どの時間が学生だ。授業を受け、課題やテストに部活動。そんな生活もこれからガラリと変わると考えると、恐ろしい。

学生が終わるというのは残念な反面、少し楽しみでもある。自分がどれだけ通用するのか、何を成せるか、まだまだ分からないからだ。また、不安もたくさんたくさんある。

最近不安で眠れなくなる事がある。将来の目標や夢を持たない自分が、借金を返しながらギリギリの生活の中で自分のことを考えられるだろうか。なんとなく働いて、借金を返しながら老いていくのだけは嫌だ。

奨学金なんてすぐに返せるだろうと思って大学に入ったが、覚悟が足りなかった。たくさんの大切なものを大学で得たし、大学生活は本当に楽しかったが、果たして奨学金を借りてまで行くべきだったのだろうか。レベルを落としてでも国立に入るべきだったのか、今でも悩んでしまう。

自分なりにかなりの努力はしたと思ったが、凄い人はもっと、もっとたくさんいた。だからこそ悩むし、親の金でテキトーに大学に通いその場凌ぎの就職をする奴が憎い。「俺がその環境だったら」などと考えてしまう。そんな自分にも嫌気がさす。自信を持ち切れるまで努力をするべきだなと考えつつも弱い自分がたまに顔を出す。

苦手だった勉強も人付き合いも、人の何倍もやってなんとかしてきた。大した才能はないのだから努力量だけは負けちゃいけないのをこれからも忘れてはいけない、と書いておけば頑張れる気がする。

最後の授業は、ゼミだった。

マーケティングのゼミに落っこちて受けた経営戦略のゼミ。頭が良くて成績の良い人ばかりだったので受かるとは思わなかったし、よもやゼミ長になるとは思わなかった。色々な経験をさせてもらったゼミだ。

2年間お世話になった教授は、早稲田の中ではかなり若いと思う。頭がよくて、効率的で論理的な方だ。最初は怖くて厳しくて、人の気持ちがわからない人なのかと思っていたが、実は学生想いの本当にいい先生だった。人付き合いに不器用でゼミ生とのコミュニケーションに悩むところも愛おしかった。

アルバイトをさせてもらったり、寝ないでプレゼンを作ったり、分厚い英語の教科書を読んだり、飲み会で潰れたり、濃いゼミ生活だった。

教授は最後に、「やるかやらないか、そこで差が出る」という旨の話をしてくれた。多くの場面で才能よりもそうした部分が大切になると、言っていた。自分の価値観というか、今まで大切にしてきたことが認められたようで嬉しかった。

まさに「やるかやらないか」の連続だった学生生活はコロナウイルスによってあっけない幕引きとなった。卒業式は自粛ムードのなか中止、結局大学には行き、教授に挨拶をし仲のいい友人と写真を撮り、食事に行った。

最後はいつも呆気ない。駆け抜けた日々は締め括られ日常がすぐに戻ってくる。そして次の日々が幕を開ける。この連続だ。

家に帰って寝て起きれば新生活。次のゴールは、いつなのか。

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