見出し画像

卒業、就職、2020年が半年過ぎて考えること

叫ぶように歌う歌手、ゴールを決めて飛ぶ選手、黙々と文章を書く作家、世界にレンズを向ける写真家、猛烈に働く実業家に憧れる。

彼らはみな、「自分の生きがいはコレなのだ」と表現し続けるし、恥ずかしげもなく発信を続ける。本当に凄いことだ。

結果が出ていようといまいと、自身の生きがいをみつけて公表しているし、必死に取り組む姿はなによりも格好良い。

そんな眩しい彼らを見ながら書いた記事すら下書きのまま、リスクを背負って踏み出せずに働き続ける自分が恥ずかしい。好きなことは有るけれど見えない将来に怯えて何も変えられないのが情けないこの頃である。

最近の楽しみといえば、たまに家の前に来る猫、水曜のビール、後先考えない金夜、早く起きてしまった朝のコーヒーだ。暗い。


最近、優しい職場とのんびり安定志向の同僚に何故か危機感を感じている。とりあえず入社すれば勉強できると思っていた私が甘かったのか。

割と私はせっかちで、安定したところよりもストレスにさらされてヒリヒリするような環境にいたほうがいいのかもしれない。


自分はいつも「安全領域」を作りながら「最適解」を探るような生き方をしてきた。安全領域をキープしながら自分が何者かになれるチャンスや、「これしかない」と言えるなにかを探し続けてきた。

そうした考えのもと、安定した地盤で力をつけてからチャンスを見つけてスキルを付けてチャレンジしてやろう、最初は勉強だという魂胆で会社に入ったのだった。

しかし霧のかかった山道のように先は見えず、毎日が二日酔いのようにモチベーションが上がらない。平日が嫌で嫌で、土曜日の夜にはもう憂鬱な気分になる。いくら食べても体重が減った。

「安定志向」「現状維持」という言葉が大嫌いだったけれど、最近はそうした事柄を考えれば考えるほど自分に当てはまり嫌気がさす。いつのまにか現状維持をしながら広く浅くなっていく自分に気がついた。

20年弱も生きてきたのに人に誇れる才能も技術もなくて、成し遂げたい目標すらない。幸にも不幸にも、友人はみな凄い人たちで、彼らを見ていると焦ってしまうから、なにかを頑張っていないと不安で仕方がない。

--------------


今年の抱負は、「ご自愛の気持ちを大切にする」だったけれどやはりご自愛の精神は自分には向かなかったようで、やはり自分をストイックに追い込むやり方が性に合っていると思う。

半年だけど、軌道修正してストイックに行こうと思う。こうして文章にするのも自分への戒めの一環である。

とにかく25歳までに方向性をつけること、そのためにも今の職場はなにかを盗めたら辞める。やりたいことを探すことにストイックになる。そのためにも興味があることにはなんでも挑戦してみる。

とりあえず、尊敬する先輩や友人にはもっと積極的にコミュニケーションを取ることを目標に最近は過ごしている。

本読んだり写真撮ったりしながらグチグチと文章を書くことも、今は続けたいなと思っている。下書きのたまったマイページを見るのも、自分が書いた陰気臭い文章を読むのも本当に嫌だけど、ここで辞めるのは間違っている気がしているからだ。

自身のない私にも自論はあって、「感性」というと安っぽくて小綺麗な表現になってしまうけれど、人間の直感的なものは大切にするべきだと思う。

論理的な思考力は非常に強いけれど、それだけの人間には絶対になりたくないし、そちら側に振り切ったところでなぜ生きているのかわからなくなりそうだ。ビジネス書ばかり読んでいる人は苦手。

今日は書きたいことを書いただけの文章になってしまったけど、そのうちまた練った文章を書きたいと思う。

とにかく20年もあと半分、ギリギリ生きているくらいのラインまで頑張りたいと思う。とにかく鬼のごとく働いてみる、そんな気持ちである。




コメント、いいね、投げ銭が糧になります