「理性」と「本能」
自分の中には「人間」と「動物」の2つが共存していると思っていて、もし類語があるなら「理性」と「本能」がそれぞれに挙げられると思う。
そして私は他人より「動物」のほうが手綱を引っ張り回しているな、と常々感じている。
車通りが苦手。轢かれたらどうしよう、なんて想像するまでにも至らず、うるさくて大きなJを持ったボディが自分の横をビュンビュンすり抜けていくのが苦手。
幸いに今住んでいる場所は「閑静な住宅街」と言うやつで、数分うろつくだけならエンジン駆動の “やつら” に遭遇することはほぼない。
でも、最寄りのスーパーへ行くためには、地元の人が裏道として使うような、信号のない掠れた横断歩道が敷いてある、2車線の車道を横断しなくてはならない。しかも裏道らしく曲がりくねっているせいで見通しが悪くって、渡るたびにちょっと顔をしかめたくなるようなストレスがある。
その日は普段通る道の1本隣からその車道に出て、ちょうどカーブに近い位置だった。塀に隠れたカーブから車が飛び出してきたらどうしよう、とそわそわする不安があったけど、杞憂で時間を食うわけにも行かないのでえいやっと車道に飛び出した。
すると、まあ、図ったように車がカーブを越えて私の視線の先に姿を現した。
退かなきゃ、と意識は光屈性の図のオーキシンみたいに背中側へぎゅっと集まったんだけど、そんな意識とは乖離して、なぜだか踏み出しかけた右足は取り憑かれたように1歩前へ踏み出した。
それからは何かに引っ張られるような足取りで反対側へたどり着き、迫る車体を見つめていた私の左顔面に風圧を押し付けて、車は何事もなく行ってしまった。
「行けたでしょ」
と声が聞こえた気がした。
理性だ! “冷静” な理性が手綱を操り、怯みそうな本能を抑えて引っ張ってくれたと感じた。その日初めて、自分の中に理性の存在を感じて、見て、触れた気がした。
でも、振り返ってみて、あれは本当に「理性」だったのかな?と考える。もしかしたら「車に轢かれそうだから退く」と判断したのが理性で、脊髄反射なんて言葉があるみたいに、それを押しのけて足を進ませたのが「本能」だったんじゃないかと。
そう考えると、節々で判断してきた「理性」と「本能」、どちらがどちらなのか判断がつかなくなった。
そもそも、「理性」と「本能」で合ってるのかな?もしかしたら、それぞれもっとふさわしい別の言葉があるんじゃないのかな?
そして二項対立させるものなのかな?どこで、どんな基準でもって区別をつけるんだろう?当然のように使っていた言葉たちだけど、境界なんてあやふやで、もしかしたら同質のものなのかもしれない。
P.S. 書いてるときに、フォロワーさんの“「閑静な」の9割は「住宅街」へ続いていませんか?”というツイートを思い出して笑ってた。
了
画像引用元 :【高校生物】「光屈性」 | 映像授業のTry IT (トライイット) https://www.try-it.jp/chapters-15371/sections-15372/lessons-15382/
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