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この目に映るものは

 立ち幅跳びの最高記録は2m40㎝、どうもゴリスナー・オルタです。

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常識とは18歳までに蓄積された偏見の累積に過ぎない。
────アルベルト・アインシュタイン

 そうやって斜に構えるのも結構だけど、実際問題生きて行く上で学ばなければいけない事というのは、往々にしてある。別にそれがないと生きていけないワケではないが、覚えておくと何かと便利な知識、立ち回り、発生、ガード硬直差、その他諸々。そういったものが真にゼロだったなら、社会生活なんてとてもじゃないが生き辛すぎる。
 けれどその人が生きて行く上で必要な生存戦略というのは、当然個々人によって異なるだろう。そういう意味では成程、確かに常識というものは在って無いようなものと言っても良いかも知れない。

 だから、何を学んだかではなくて、何に学んだかの方が遥かに重要なんじゃないかと最近は思うわけ。「人生において大切なこと」っていうのは、人それぞれ違う。ある人はそれを仕事から学び、ある人は恋愛から学び、ある人は戦車道から学ぶ。じゃあ俺が何に学んだかというと、これはもちろん格闘ゲームだと断言していい。何せ俺の大して面白くもない青春時代は、アニメを見たりラノベを読んだりしてた時間より、レバーを握ってボタンと台とキャラを叩いていた時間の方が長いから。

 今回は俺が格闘ゲームから学んだ“人生において大切なこと”をいくつか、ここで紹介したいと思う。ちなみに言うとアインシュタインが格ゲープレイヤーだったというのは、格ゲー界隈じゃ常識だ。


1.ようこそ、実力至上主義の教室へ

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 多くの人(個人調べ)が格ゲーを始めてまず最初に思う事が、他のゲームジャンルを見てもこれほどまでに「楽しむ為のハードルが高いゲーム」は無いって事だ。

 いわゆる対戦型のゲームは、プレイヤーの実力がそのままゲームに反映されやすい。まさにその実力を競う為のゲームなのだから当然だ。
 けどそれと同時に、実力以外の要素が出るのも対戦ゲームの特徴だろう。

 例えばポケモンのレート対戦を見ても、手持ちの構成やわざの選択、相手の行動を読む嗅覚等、長くそのゲームをやり込み、かつ知識をつけた人間が勝つゲームだという点に於いて疑いようがない。
 しかしどれだけミスを無くし敗け筋を断とうが、肝心な場面でわざを外したり状態異常で動けなかったり、場合によっては三回連続はさみギロチンで全滅する事もあり得るワケだ。

 流行りのデジタルカードゲームも、どれだけ構築やプレイングを磨いても、最終的には自分の右手に宿った運命力に左右される。バトロワ系のFPSは少し分かり辛いが、あの手のゲームの勝利条件は基本生き残る事であり相手を倒す事ではない。そういったところで必ずしも上手いプレイヤーが勝利出来るとは限らないし、一度にたくさんの人間がマッチしてプレイする以上、初心者でも運が良ければ格上相手に勝ちを拾える事もあるかと思う。

 対戦型のゲームというのは実力によって勝敗が左右されやすいが、それと同じくらい実力では埋めようの無い部分によって勝敗が分かれなければならない。そうしなければニューカマーの居場所は無く、プレイ人口が先細りしていく一方だからだ。

 では翻って対戦ゲームの王道たる格ゲーがこれに当てはまるのかというと、恐ろしい事にそうではない。格ゲーの勝敗は実力以外では決まらない。格ゲーには「お祈りぶっぱ」や「お願い昇竜」なんて言葉が存在するが、あれは神に祈っているのではない。悪魔と格ゲープレイヤーは神には祈らない、何故なら合わせる両手がレバーとボタンで塞がっているからだ。格ゲープレイヤーは礼節を重んじていて、常に対戦相手をリスペクトしている。だから祈る相手がいるとしたら、それは筐体の向こうの人間に他ならない。俺たちは「お願いだからミスして当たってくれ」と、常に対戦相手に祈っているのだ。

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 格ゲーに運は無い。勝敗を分けるのはいつでもキャラ性能(スペック)とプレイヤーの技術(スキル)だ。このゲームを楽しもうと思ったら、まず始めにやることは対戦ではなく、暗い部屋に籠もって指の皮が剥げるまでトレモでコンボの練習をする事だ。でないとせっかく対戦環境に移っても「初狩り」と呼ばれるハイエナプレイヤーがやってきて、琥珀の不愉快なちゃぶ台ループとサボテン起き攻めによって愛用しているキャラが蹂躙されるところを死んだ目で見せられ続け、最終的にレバーを握ると手が震えて寒気で寝込んでしまう身体にされるからだ。それともし対戦環境が家庭用では無くゲーセンのアーケードなら、ある程度君自身のフィジカルも鍛えておかなくてはいけない。少なくとも面倒な絡み方をされない為の身だしなみというのは必要だろう。俺はここから、実力社会の厳しさと、生活における身だしなみの大切さを学んだ。

2.不愉快を楽しもう

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 格ゲープレイヤーは2秒に1回キレている。それは何もその人自身が怒りっぽい性格なのではなく、単に格ゲーにはそれだけ理不尽で不愉快な場面が多いという事だ。

 技同士がかち合った時に何故かこちらだけが一方的に負けたり、頭の中では立っていた筈の中段が何故か立てていなかったり、相手の不愉快極まりないループコンボを長時間見なければいけなかったりする。あまりに見てられないので、相手のコンボが始まると同時に席を立ち、両替機の横にある自販機で飲み物を買って席に戻ってきたらまだ相手のコンボが続いてたりする。なぜ俺は100円払って相手のオナニーを見なければならないのか、と世の無常を感じたのは一度や二度ではない。
「そんなに怒ったり不機嫌になるなら辞めれば?」という言葉を俺は友人に冗談抜きで100回は言われた。しかし辞められない。それは何故か。

 それは自分が不愉快になる以上に、相手を不愉快にさせるのが愉しいからだ。
 俺たちは敗北が悔しい事を知っている。1つの技だけをチンパンジーのように擦られているだけなのに負けた時は筐体の向こうに回ってリアルファイトも辞さない勢いで怒り狂い、ガラの悪そうな金髪のチンピラが座っている事を確認して冷静になり(人間の怒りは6秒しか持続しないんだ)、怒りを殺意に換えてまた筐体に100円を入れる。そんな黒い憎悪を誰もが持っている。
 普通に生活していてはなかなか他人に抱く事もなければ、他人からそういう風に思われる事もないような強い感情を、相手から向けられているのがめちゃくちゃに気持ちいいのだ。だから格ゲープレイヤーは格下には舐めプをするし、勝利の後には相手をこれでもかと煽り散らかす。それは相手の憎悪を膨らませ、より純度を磨いた殺意を見る為の儀式なのだ。人間が格ゲーをやる理由は、程度の差はあれこの歪んだ承認欲求を満たす為以外に無いと思ってもらってもいい。

 少なくとも俺はその為に格ゲーをやっている。それは相手を不愉快にするだけでなく、自分も不愉快になる為に。屈伸やシャゲダンは自分の気持ちよさを満たす為だけではなく、そこまでして自分が負けた時に相手がたまらなく気持ち良くなる事も知っているからやるのだ。そうして気持ちよくなった相手を再び理解(わか)らせた時の快感、際限なく高まる殺意のキャッチボール。そんなマイナスの信頼関係を、たった100円で見ず知らずの人間と結べるのが格ゲーの凄いところだ。俺はここから信頼関係を学んだ。


3.光すら 俺らにとって 遅すぎる

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 電脳格技メフィストワルツを読んだ事があるか?ない?じゃあこれを機会に1話だけでも読んでみるといい。俺の好きな作家の杉井光が原作を書いてる。「神様のメモ帳」や「さよならピアノソナタ」の作者と言うと分かりやすいだろうか。

 光というのは無論この宇宙で最も速い。その速さは秒速約30万キロ、1秒で地球を7周半出来るだけの速さだ。つまりこの秒速30万キロというのが、情報が回線を走る速度と言い換えてもいい。
 しかしこの秒速30万キロというのは、我々格ゲープレイヤーにとって致命的に遅い。日本の端から端まで2500キロ、往復すると5000キロ。これを仮に光が行き来する場合、約1/60秒の時間がかかる。これは格ゲー内で扱われる時間の最小単位である1フレーム(60f/s)とだいたい同じだ。要は日本の端同士で対戦した場合、光の速さを以てしても確実に1フレーム以上(実際はサーバーを経由しているためもっと遅い)遅延が掛かってしまうという事になる。日本国内でこれなのだから、地球の裏側と対戦するのはもっと大変だ。光の速さですら6フレーム前後の遅延を背負っての戦いになる。リュウの小足の発生が4フレームなのだから、見てからのガードじゃ到底間に合わない。小足見てから昇竜を打ったんじゃ遅いのだ。

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 自慢じゃないが、俺は時間を守る事だけはめちゃくちゃ得意だ。他のタスク処理能力はおだやかHDもいいところだが、待ち合わせの時間だけは確実に守れる。それは1/60秒の世界に生きる我々にとって、4フレーム以上の遅延を持つ者には人権が与えられないからだ。


終わりに

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 格ゲーのプレイ人口というのは全盛期に比べれば本当に少なくなった。格闘ゲームというジャンルが一番流行ったのは言うまでもなくストリートファイターⅡの時だが、当時はゲーセンや駄菓子屋、デパートといった場所だけでなく、銭湯や定食屋、コインランドリーにまでストⅡの筐体が置かれていたって言うんだから、どれだけ流行ってたかはこの話だけでもよく分かると思う。
 じゃあなんでそんな格闘ゲームの人口が今こんなに減ったかっていうと、まあ理由はいろいろあるけど単純にゲームが時代と共に難しくなり過ぎたというのが1つある。より面白く、システム的に目新しいものを追求していった結果、ストリートファイターを始めとしたあらゆる格ゲーは、新規で始めるプレイヤーにはとてもついていけないほどそのゲーム性が複雑になっていった。
 しかし現在では色々メーカー側も新規の獲得に力を入れているのか、ボタンを連打するだけでコンボが繋がったり、複雑なコマンド入力をしなくても必殺技が出せるような設定に切り替えることが出来る。おまけにトレーニングモードはめちゃくちゃ丁寧で、「このコンボが強いので練習してみてね!」とレシピまで教えてくれるし、何より昔と違ってインターネットが発達した現在では上手いプレイヤーの対戦動画や細かい知識が家にいながら簡単に手に入る。あとは、一緒にやる人間さえいれば初心者でも楽しく始められる環境が整っているワケだ。
 結局あらゆる対戦ゲームに言えることだが、人とやるゲームは一緒にやってくれる人間がいる事が最大のモチベーションになる。実力が同じくらいならよりパーフェクトに近い。

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 来る9/30に『MELTY BLOOD: TYPE LUMINA』が発売される。つい先日21年ぶりにリメイクが発売された『月姫』の世界観で描かれる2D対戦格闘ゲーム、その最新作だ。
 正直めちゃくちゃ楽しみにしてる。色んな格闘ゲームをプレイしてきたが、メルブラは特に好きだった。なんといってもさつきが死なないし、専用のシナリオがある。俺は当時式とリーズバイフェを使ってたけど、今作はさつきを使ってみたいな~と何となく思っている。
 このnoteを読んでくれたそこの君、俺と一緒にメルブラをやらないか?

 最後に初代MELTY BLOODの主題歌もオススメしておきたい。とある同人ゲームでメルブラのキャラが必殺技を出す度にこれが流れるので処刑用BGMとしても知名度が高い。「コノメニウー」という弾幕は例え格闘ゲームをやらなくてもニコ厨ならどこかで見かけた事があるんじゃないだろうか。普通にメルブラの世界観にマッチしてるし絶妙な下手さがクセになる、いい曲だと思います。じゃあまたどこかで。

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