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両手を空けたい

雨の日でも折り畳み傘を差すことが多い。電車内とか傘を差さなくてもいい場所では、リュックにしまうことができて煩わしくないからだ。

先日土砂降りの日があったのだか、その日は折り畳み傘をやめて大きめの傘を差していった。折り畳み傘ではサイズが小さくてバッグとかが濡れそうだと思ったからだ。

本当なら折り畳み傘にしたかったのだが、やむなくという消極的な気持ちである。

その日はずっと傘を片手に行動していたのだが、煩わしくてしょうがなかった。気持ちもソワソワして落ち着かない状態だった。


自分は手に何かを持つのを極端に嫌がる傾向がある気がする。傘だけでなく、バッグもリュックや肩掛けカバンが常だし。以前トートバッグが周りで流行ったことがあったのだが、手に持つのではなく肩に掛けて持ち歩いていた。

なせこんなに嫌がるのだろう。

実用的なことでいうと、転倒したときのために両手を空けておいたほうがよいと思っている。もういい大人なので、何もないところでつまづいて転倒するということはほとんどないのだが。それでも昔、雨でぬれた路面で転倒して手を骨折したことがあるので油断はできない。

ただその時も両手は空いていた気がするけども。


片手に何か持っているだけで、体の一部が拘束されているような感覚になってしまうのだ。散歩をしているときも、満足に街の雰囲気を感じ取れていないと思ってしまう。

本来意識の全てを散歩に向けたいところなのだが、手に持っている傘なりの荷物に意識の一部を割かなければならない。

もしかしたら割いた分で感じ取ることができなかったものがあるかもしれない。

器用に意識を振り分けている人も多くいると思う。

自分は上手くできないので、どうしても注意散漫になってしまう。

散歩をするときは両手を空けるようにして、全身で街の雰囲気を感じ取っている。