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虹ヶ咲2期5話についての私見~桜坂しずくの悩みと成長~
2023年7月8日、更に過疎ってナンボ!!氏によって投稿された動画「【どうしてだよ】アニメ2期のしずくに関するあの問題について満を持して語ります【桜坂しずく虚無問題①】」を皮切りに、更に過疎ってナンボ!!氏とmagikascas氏による議論が展開されています。
お二方の表面上では論理的で冷静ですが根底は熱い議論を拝見して、桜坂しずくについての解釈を深めることができました。
※本記事を書き進めている途中に、magikascas氏が新たな記事を執筆されました。
本記事では、お二方の議論を手掛かりにTVアニメ2期5話についての私見を綴っていきます。
どうぞ気軽に楽しんでください。
1. magikascas氏と更に過疎ってナンボ!!氏の解釈の相違点
・ランジュから侑への忠告に対するしずくの認識について
更に過疎ってナンボ!!氏とmagikascas氏の2期5話に対する解釈の相違を生んでいる認識の違いの1つは以下の点と読み取れます。
(他にも考えられますが、本記事ではこの1点を採り上げます)
magikascas氏は、しずくはランジュの侑に対する忠告の背後にある構造を理解した上で、自分に当てはめたと解釈しています。
一方で、更に過疎ってナンボ!!氏は、しずくはランジュの侑に対する忠告の背後にある構造を念頭に置いておらず、忠告の一節をその時の自分の状況に当てはめたと解釈しています。
ランジュから侑への忠告とは、TVアニメ2期5話における以下の発言を指します。
ランジュ「やっぱりそうなのね。 中途半端なのって見ててイライラするの。 いい加減、同好会の活動に付き合うのなんかやめて、もっと自分の夢に向き合ったら?」
(中略)
ランジュ「同好会で夢を叶える、そう言っていたのに今のあなたは周りに自分の夢を重ね合わせてるだけよ! あなたはそれで満たされたとしても、何も生み出してないわ!」
magikascas氏は、上記のランジュから侑への忠告を以下のように解釈しています。
『たとえ侑の応援している人が夢を叶えたとしても、それはその応援している人の夢が叶っただけであって、侑自身の夢が叶ったわけでない。たしかに応援している人の夢が叶ったら侑も嬉しいかもしれないけれど、それは「応援している人の夢が叶ったことを自分の夢が叶ったことにしている」だけで、侑自身の夢は何ひとつ前進していない』
また、同氏はランジュの侑への忠告を聞いたしずくについて次のように主張しています。
『侑が「自分の夢」があるのに「他者への応援」をしていたように、
しずくも「自分の夢」があるのに「他者への応援」をしていた
からこそ、嵐珠の忠告は侑に対してのものだったにもかかわらず、しずくに刺さったと私は解釈しています。』
これらのことから、magikascas氏はしずくが、ランジュの「周りに自分の夢を重ね合わせている」という発言を「自分の夢」があるのに「他者への応援」をすることを意味すると認識していると解釈していると考えられます。
しずくはランジュの発言の構造(下図)を理解しているため、しずく自身と侑を重ね、ランジュの侑に対するはずの忠告が刺さったということです。
しずくがランジュの発言の構造(下図)を理解していることを前提として、同氏は主張を展開しています。
![](https://assets.st-note.com/img/1700034953780-3M9vsosRhC.png?width=1200)
一方、更に過疎ってナンボ!!氏は、magikascas氏のランジュから侑への忠告に対する解釈を認めつつ、当該忠告をしずくがどのように受け取ったのかについて以下のように発言しています。
「なんだろう、この図の通りじゃない気がするな。うん。あの、しずくはもう明確にそのメタ的な視点でこうゆー論理構造としては把握してなくて、単純にあのランジュのセリフのえーと、あなたは周りに自分の夢を重ね合わせてるだけっていう、ここの言葉ーだけでくらってるような気がしますね。僕の解釈だと。でぇ、かつ、しずくが実際ゆってる通り、えーとー、しずくはあれがあのやりたいことだったんですよ。まあその、えー、脚本を書くってことね、で、お話の内容も当然しずくの好きな内容だったと思うんですよね。でそれをあっ私こうゆー話好きだからあこれは、なんかこのキャラは歩夢さんにやらせたらすごくマッチしていて、こっちはせつ菜さんにマッチしていて、あっでも逆もいいんじゃないみたいな感じですごい盛り上がってあのウキウキやってたと、うんでえそのウキウキやってた時に、えー横にいるランジュがえーこういうことを言うから食らっちゃってあ自分おんなじことやってたな~っていう風になってるっていう、なんかねもうちょっとシンプルな構図の話の気がしてきましたね。気がしてきたっていうかそういう風に捉えてた、うん。」
「えー高咲としずくが、その物語上でイコールの存在にはたぶんなっていない。っくて、もっとシンプルにランジュの言った、えー言葉の一節がえーその時のしずくの、えーリアルタイムの状況にこうマッチしていたので刺さってしまった。具体的には、えー脚本を書いてこれはえー歩夢さんこっちかなしz、えーせつ菜さんこっちかな~ってやってたあの行為ですね。が、自分の好きなものを他者に押し付けていたものだったんじゃないかってしずくがそのランジュの言葉の一節を聞いて思ったって感じですね」
この発言から、同氏はしずくは自分自身を侑と重ねてはおらず、ランジュの「周りに自分の夢を重ね合わせている」といった趣旨の忠告の一節が対象とするものに、歩夢とせつ菜に役を当てはめるという自分よがりの妄想が該当すると認識したと解釈していると考えられます。
すなわち、更に過疎ってナンボ!!氏は、しずくが先述のランジュの発言の構造を理解していないことを前提としていると言えます。
以上のことから、magikascas氏は、しずくはランジュの侑に対する忠告の背後にある『「自分の夢」があるのに「他者への応援」をする』という構造を理解した上で、自分に当てはめたと解釈しているのに対し、更に過疎ってナンボ!!氏は、しずくはランジュの侑に対する忠告の背後にある構造を念頭に置いておらず、単純に忠告の一節をその時の「歩夢とせつ菜に役を当てはめて妄想していた」自分の状況に当てはめたと解釈しています。
つまり、magikascas氏はしずくはランジュの侑への忠告の構造を理解し念頭に置いていることを前提としていますが、更に過疎ってナンボ!!氏はしずくはランジュの侑への忠告の構造を念頭に置いていないことを前提としていると考えられます。
この前提の違いが、後の主張の差異を生み出していると考えられます。
「歩夢とせつ菜への当て書き」(百合の妄想)が100%しずくのやりたいことなのか、歩夢とせつ菜への応援なのか 等々
以下、筆者の妄想ですが、
ランジュの「周りに自分の夢を重ね合わせてるだけ」という発言について、「自分の夢を重ね合わせる」ことが「他者への応援」によって行われると解釈すると(magikascas氏のように)、しずくの脚本の執筆は他者(歩夢、せつ菜)への応援と捉えることができます。(この場合、しずくは忠告の構造を理解し念頭に置いています)
一方で、しずくが忠告の構造を念頭に置かず、「自分の夢を重ね合わせる」ことに「歩夢とせつ菜で妄想を膨らませていた」ことを単純に当てはめたと考えると(更に過疎ってナンボ!!氏のように)、脚本の執筆は他者(歩夢、せつ菜)への応援ではなく、しずくのやりたいことであると解釈できるのかなと思われます。
2. TVアニメ2期5話に関する私見
本記事で述べる2期5話における私見は以下の2点です。
magikascas氏と更に過疎ってナンボ!!氏の議論を手掛かりに述べていきます。
①しずくはランジュの発言の構造を念頭に置いていない
②TVアニメ2期5話におけるしずくの
悩みは「妄想が自己の内に留まっており何の価値も生み出していない」
気付きは「型にはまらず、目一杯自分を表現すれば、想像以上の価値が生まれる」
解決法は『しずくの妄想を即興劇として具現化し、「楽しさ」「自己表現の可能性の拡大」という価値を生み出す』
① しずくはランジュの発言の構造を念頭に置いていない
筆者は、しずくはランジュの侑に対する忠告の構造を念頭に置いていないと解釈しています。(更に過疎ってナンボ!!氏と共通しています)
なぜなら、しずくがランジュの「何も生み出してないわ」という発言の構造を念頭に置いていると仮定すると、整合性がとれないからです。これは、しずくが自身の当て書き(脚本)を歩夢とせつ菜への応援と認識するかにどうかに関わりません。
構造とはmagikascas氏が作成された下図が表すものを指します。
![](https://assets.st-note.com/img/1700048554390-5keXmqRJ29.png?width=1200)
「何も生み出していない」という趣旨の発言が、ランジュとしずくに共通しているため着目しました。
以下、しずくが自身の脚本(百合の妄想)が歩夢とせつ菜への応援であると認識している場合と、認識していない場合に分けて考えます。
また、ランジュの「何も生み出してないわ」という発言は、「自分の夢」を持つ主体が、「他者への応援」をしている際に「他者の夢」が前進して満足感を感じても「自分の夢」は前進していないこと(前進したと錯覚しているだけ)を指すと解釈します。
(magikascas氏と共通しています)
これを念頭に置いていることが、ランジュの侑への忠告の構造を念頭に置いていることになると考えます。
2つの場合に分けて説明していきます。
A.しずくが自身の脚本を歩夢とせつ菜への応援と認識している
B.しずくが自身の脚本を歩夢とせつ菜への応援と認識していない
A.しずくが自身の脚本を歩夢とせつ菜への応援と認識している
この条件の下では、言葉の意味が以下になります。
応援する主体→しずく
「他者への応援」→当て書き(脚本)
「自分の夢」→しずくの自己表現
応援される主体→歩夢、せつ菜
「他者の夢」→歩夢、せつ菜のやりたい事、自己表現
★しずくがランジュの侑への忠告の構造を念頭に置いていると仮定します。
この仮定の下では、構造が以下の流れになっています。
「他者への応援」→「他者の夢」が前進(応援が貢献するかは問わない)→「自分の夢」が前進したと錯覚しうる(実際は前進していない、何も生み出していない)
「自分の夢」が前進していないにも関わらず前進したと錯覚する、すなわち、何も生み出していない状況になるためには「他者の夢」の前進が先に起こります。
先ほど確認した言葉の意味を当てはめてみると、
しずくの当て書き(脚本)→歩夢、せつ菜のやりたい事、自己表現の進展→しずくが自分の自己表現が進展したと錯覚
2期5話では、しずくが「結局何も生み出せていないんです」と発言した時点で、「他者の夢」の前進、すなわち、歩夢、せつ菜のやりたい事、自己表現の進展が起きていません(しずくが脚本を執筆してから発言までの期間で)。
そのため、しずくはランジュの忠告の構造を念頭に置いた上で、実際はランジュが意図する「何も生み出していない状況」に至っていないにもかかわらず、「何も生み出せていないんです」と発言したことになります。
構造を念頭に置いているならば、発言時点ではランジュの意図している「何も生み出せていない」状態に至っていないため、背景(構造)も含め同じ用法で「何も生み出せていない」と言わないと考えられます。
したがって、しずくがランジュの侑への忠告の構造を念頭に置いていないと解釈しました。
B.しずくが自身の脚本を歩夢とせつ菜への応援と認識していない
★しずくがランジュの侑への忠告の構造を念頭に置いていると仮定します。
発言の構造の流れは以下のようになります。
「他者への応援」→「他者の夢」が前進(応援が貢献するかは問わない)→「自分の夢」が前進したと錯覚しうる(実際は前進していない、何も生み出していない)
忠告の構造から何も生み出していない状況になるためには「他者への応援」が前提となっていることが分かります。
この仮定の下では、しずくが「何も生み出していない状況」の前提となる事柄(他者への応援)を認識していないにもかかわらず、「何も生み出していない」という構造の終着点を表す発言をしたことになります。
したがって、発言者(しずく)が構造を理解し念頭に置いて発言しているとは考えにくいと解釈しています。
以上のことから、筆者は、しずくがランジュの侑に対する忠告の構造を念頭に置いていないと解釈しています。
理由として、しずくが脚本の執筆を応援と認識している場合と認識していない場合に分け、それぞれの場合について、ランジュの「何も生み出してないわ」という発言の構造を念頭に置いていると仮定すると整合性がとれないことが挙げられます。
今回、しずくがランジュの発言の構造を念頭に置いているという仮定と実際の行動に整合性がとれない場合、「構造を念頭に置いていない」と結論付けましたが、「念頭に置いているか否か分からない」という結論に至る可能性もあるのかと考えております。(判断材料が少ないなどの理由で)
② 2期5話におけるしずくの悩み、気付き、解決策
筆者は、2期5話におけるしずくの悩み、気付き、解決策は以下の通りであると解釈しています。
a. 悩み・・・「妄想が自己の内に留まっており何の価値も生み出していない」
b. 気付き・・・「型にはまらず、目一杯自分を表現すれば、想像以上の価値が生まれる」
c. 解決法・・・『しずくの妄想を即興劇として具現化し、「楽しさ」「自己表現の可能性の拡大」という新たな価値を生み出す』
a. 悩み・・・「妄想が自己の内に留まっており何の価値も生み出していない」
2期5話で、しずくは思い悩んだ様子で以下のような発言をしています。
![](https://assets.st-note.com/img/1702310319110-gLqszGyBjI.png?width=1200)
しずく「自分のやりたいことを周りに重ねていたのは私です。 勝手に妄想して、勝手にユニットを考えて」
(中略)
しずく「私は、自分だけで満足して…… 結局何も生み出せていないんです」
しずくはランジュの発言の構造を念頭に置いていないことを前提として考えます。(筆者の解釈の下で進めます)
上記発言より、しずくは「自分のやりたいこと」が「勝手に妄想して、ユニットを考えること」であると認識していると考えられます。また、「勝手に」や「自分だけで満足して」と発言していることから、しずくは妄想(脚本)が「自分よがりである」と意識していことが読み取れます。
また、発言の様子からしずくは「何も生み出していない」ことを問題視していることが分かります。
以上の発言の様子と内容から、2期5話における、しずくの悩みは「妄想が自己の内に留まっており何の価値も生み出していない」ことであると筆者は解釈しています。
b. 気付き・・・「型にはまらず、目一杯自分を表現すれば、想像以上の価値が生まれる」
2期5話における、しずくの気付きに関連する場面として以下の2つを挙げます。
①スクールアイドルの展示を見るシーン
②歩夢とせつ菜の寸劇を見守り、その後参加するシーン
①スクールアイドルの展示を見るシーン
物語中盤でしずく、侑、歩夢、せつ菜は「スクールアイドルの軌跡」の特別展示を見に行きます。
![](https://assets.st-note.com/img/1702310046564-cUmpy0KCXl.png?width=1200)
しずく「サンバにジャズに、ジャンルもいっぱい」
侑「スクールアイドルってほんと自由だよね。型にはまらず目一杯自分を表現してて」
しずく「自由...…」
しずくはスクールアイドルの表現の多様性に目を見張っていることが分かります。
②歩夢とせつ菜の寸劇を見守り、その後参加するシーン
しずくは、自身の妄想を基にアドリブで劇を進行する歩夢とせつ菜に心動かされていることが窺えます。また、寸劇の終わりには自身の気付きについて言語化しています。
![](https://assets.st-note.com/img/1702311175631-JqoHAj4l8P.png?width=1200)
侑「すごいね。アドリブだけで話が進んでる」
しずく「わぁ」
![](https://assets.st-note.com/img/1702311080504-k7kkXYZSAw.png?width=1200)
しずく「お二人とも自由すぎます。でも、その自由さが大事なんだと教えてもらいました。今の歩夢さんやせつ菜さん、展覧会で見たスクールアイドルの先輩方からも……型にはまらず、目一杯自分を表現すれば、びっくりするほど楽しいものが生まれるんですね」
上記の発言から、しずくは歩夢とせつ菜の寸劇やスクールアイドルの展示から、「型にはまらず、目一杯自分を表現すれば、びっくりするほど楽しいものが生まれる」という気付きを得たことが分かります。
以上のことから、2期5話における、しずくの気付きは「型にはまらず、目一杯自分を表現すれば、想像以上の価値が生まれる」ことであると筆者は解釈しています。
c. 解決法・・・『しずくの妄想を即興劇として具現化し、「楽しさ」「自己表現の可能性の拡大」という新たな価値を生み出す』
「妄想が自己の内に留まっており何の価値も生み出していない」というしずくの悩みを解決する手段として、しずくの妄想を即興劇として具現化し外部へ表出させました。
これにより、妄想がしずくの内に留まっていることが解決し、妄想の具現化を通して寸劇の演者と観衆に対して「楽しさ」、そして、しずく、歩夢、せつ菜に対して「自己表現の可能性の拡大」という新たな価値も生み出しています。
![](https://assets.st-note.com/img/1702313712194-RFUsi2pxTi.png?width=1200)
しずく「自分のやりたいことを周りに重ねていたのは私です。 勝手に妄想して、勝手にユニットを考えて」
(中略)
しずく「私は、自分だけで満足して… …結局何も生み出せていないんです」
せつ菜「そんなことやってみないと分からないじゃないですか」
せつ菜は、しずくの「結局何も生み出せていないんです」という発言を受けて、やってみなくては分からないと言い歩夢とせつ菜による寸劇(しずくの妄想の具現化)の実施を提案します。
これによって、しずくの悩みの一部である「妄想がしずくの内に留まっていて、独りよがりであること」が解決します。
妄想が具現化して他者の目に触れることによって、しずくの内に留まっていることが解決します。また、この点に加えて他者(歩夢とせつ菜)を妄想の具現化に組み込むことにより、独りよがりであることが解決します。
寸劇はアドリブで進行するため、しずくの気付きである「型にはまらず、目一杯自分を表現すれば、想像以上の価値が生まれる」を通して悩みが解消される流れとなります。
せつ菜が、しずくの気付きがどのようなものであるか認識しているかはそれほど重要ではないと考えています。しずくが気付きを得たことによって悩みを解消できることが、2期5話のテーマの一つといえる「しずくの葛藤と成長」という観点で重要であり、そのきっかけ(今回はせつ菜が提案した寸劇)がしずくの心の動きの全体像(悩みが生じた過程)を把握したうえで考案される必要はないと考えているからです。
また、歩夢とせつ菜、しずくの寸劇は「楽しさ」と「自己表現の可能性の拡大」という新たな価値を生み出します。
![](https://assets.st-note.com/img/1702316342323-VmcPR0j9yT.png?width=1200)
しずく「型にはまらず、目一杯自分を表現すれば、びっくりするほど楽しいものが生まれるんですね」
歩夢「そうかも!」
せつ菜「ですね」
しずく「今日ここから私たち3人のステージが始まります」
侑「もうどうなることかハラハラしちゃったよ。素敵な即興劇だった。すっごくときめいちゃった」
上記シーンでは、観客が寸劇を観て拍手をしていることから「楽しい」と感じた(もしくはそれに準ずるような肯定的な感情を抱いた)と考えられます。観客の1人である侑もときめいています。また、しずくの発言とそれに対する歩夢とせつ菜の反応から、3人が寸劇を演じることを楽しんでいたことが分かります。
また、しずくは『「びっくりするほど」楽しいものが生まれる』と発言しており、型にはまらず、目一杯自分を表現することによって「想定外」の表現が可能であることが分かります。筆者は、この点を自己表現の可能性の拡大と解釈しています。
しずくが「今日ここから私たち3人のステージが始まります」と発言しており、また、A・ZU・NAは「自由さ(型にはまらない)」という特色があることから、寸劇での気付き(型にはまらず、目一杯自分を表現すれば、びっくりするほど楽しいものが生まれる)を踏まえてしずく、歩夢、せつ菜はユニット活動を通じた自己表現を行っていると考えられます。そのため、寸劇で得た気付きはユニットを組んでいない状態と比較して自己表現の幅を広げていると解釈しています。
しずくの妄想を基に寸劇をやってみたからこそ、「楽しさやそれに準ずる感情」と「自己表現の可能性の拡大」が生じたという肯定的な結果となったことを以て、新たな価値を創出したと考えています。
この点で、しずくの妄想が「何も生み出していない」ことを解決しています。
よって、2期5話における、解決策は『しずくの妄想を即興劇として具現化し、「楽しさ」「自己表現の可能性の拡大」という新たな価値を生み出す』ことであると解釈しています。
以上のことから、2期5話における、しずくの悩み、気付き、解決策は
悩み・・・「妄想が自己の内に留まっており何の価値も生み出していない」
気付き・・・「型にはまらず、目一杯自分を表現すれば、想像以上の価値が生まれる」
解決法・・・『しずくの妄想を即興劇として具現化し、「楽しさ」「自己表現の可能性の拡大」という新たな価値を生み出す』
であると筆者は解釈しています。
筆者は、しずくの悩みと解決について、「目一杯自分を表現」よりも「何も生み出せていないこと」に重点を置いて解釈しています。
また、寸劇の前後でしずくの脚本(妄想)は、しずくの内に秘められているのか外部に露出しているのかという相違点があると考えています。
3. 2期5話で描かれた桜坂しずくの成長
筆者は、2期5話で描写されたしずくの「成長」とは、「自分をさらけ出すことの意義」を体感し、ユニットを通して体感した気付きを自己表現に組み込むことへ一歩踏み出したことであると考えています。
①桜坂しずくの葛藤と気付き、「成長」の形
初めに、TVアニメ虹ヶ咲1期にて描かれたしずくの葛藤と気付きについて整理し、桜坂しずくの「成長」の形についての私見を述べます。
筆者は以下のように考えています。
葛藤・・・「自分をさらけ出せない」(≒他人の尺度で意思決定してしまい、本心を開示することができない)
気付き・・・「自分をさらけ出しても自分を嫌いにならない人がいる」
「成長」の形・・・「他人の尺度で意思決定し自分の本心を開示できていなかったしずくが、他人がどう思うかに関わらず本心を開示できるようになる」
1期8話から、しずくは自分の好きなものが他人と違っていたことで奇妙がられた経験から、自分の好きなものや他の事に関して他人から違うと思われて嫌われることが怖くなり、他人に好かれる人物を演じるようになったことが分かります。
しずくの葛藤は「自分をさらけ出せない」(≒他人の尺度で意思決定してしまい、本心を開示することができない)と解釈しています。
このことは以下発言から読み取れます。
![](https://assets.st-note.com/img/1702355037508-8aPZdDdAtl.png?width=1200)
しずく「私、小さい頃からずっと昔の映画や小説が好きだったの。でも、そんな子は私しかいなかったから、不安だった。誰かに変なのって顔されるたび、嫌われたらどうしようって。そのうち、他の事でも人から違うなって思われることが怖くなって、だから、演技を始めたの。みんなに好かれるいい子の振りを。そしたら、楽になれた」
自分をさらけ出すことを怖がっていたしずくでしたが、自分をさらけ出したとしても桜坂しずくを好きでいてくれる存在(かすみ)がいることを知りました。
しずくの気付きは「自分をさらけ出しても自分を嫌いにならない人がいる」ことであると解釈しています。
![](https://assets.st-note.com/img/1702359202837-S1qCb264wV.png?width=1200)
かすみ「しず子も出してみなよ!意外と頑固なところも意地っ張りなところもほんとは自信がないところも全部!」
しずく「それ、褒めてない」
かすみ「もしかしたらしず子のこと好きじゃないって言う人もいるかもしれないけど!私は桜坂しずくのこと大好きだから!」
しずく「あっ……」
かすみ「だから心配しなくても……」
かすみの言葉に背中を押してもらって、演劇において自分をさらけ出した演技をすることができました。
物語の終わりには、以下のような発言をしています。
![](https://assets.st-note.com/img/1702359269027-OZsmiw3cZG.png?width=1200)
新聞部員「役者そしてスクールアイドルとして何かメッセージはありますか」
しずく「本当の私を見て下さい!」
自己表現の手段として演劇やスクールアイドル活動を行うことを鑑みて、役者とスクールアイドルとしてのメッセージは、しずくがやりたいこと(≒自己表現、理想像)であると解釈しています。
(メタ的な視点になりますが、気付きを得て一歩踏み出した直後の発言であるため、本心を言っていると判断して良いと思われます)
すなわち、しずくの自己表現(≒やりたいこと、目指す姿)は「本当の自分を他人に見てもらうこと」であると考えています。
これらを踏まえて、しずくの「成長」とは、「他人の尺度で意思決定し自分の本心を開示できていなかったしずくが、他人がどう思うかに関わらず本心を開示できるようになる」と解釈しています。
しずくの「成長描写」とは、上記「成長」の過程が描かれているものとします。
(今回、筆者は「成長」という言葉を「理想状態に近づくこと」と捉えています。また、しずくのやりたいことである「本当の自分を他人に見てもらうこと」は後述の十分に自分をさらけ出せていない現状から見て高次の段階であるため、"理想" と表現しています)
以上のことから、TVアニメ1期にて描かれたしずくの
葛藤は「自他の価値判断のズレを恐れ、他人の尺度で意思決定してしまい本心を開示できないこと」
気付きは「自分をさらけ出しても(他人の理想と異なったとしても)桜坂しずくを好きでいてくれる人がいること」
「成長」の形は「他人の尺度で意思決定し自分の本心を開示できていなかったしずくが、他人がどう思うかに関わらず本心を開示できるようになること」
であると解釈しています。
②2期5話の段階でしずくは十分に自分をさらけ出せていない
2期5話ではしずくが十分に自分をさらけ出せていないことが分かる描写があります。
「十分に自分をさらけ出せている状態」とは、かすみのように「他人の価値判断に関わらず、自分の良いと思うものや良くないと思うものを躊躇いなく表に出すこと」と考えます。
自分の発言や行動に自信があるか否かで十分かどうか判断します。(自信がない場合、十分に自分をさらけ出せていないと判断します)
十分に自分をさらけ出せていないことが分かる描写として以下のシーンを採り上げます。
・しずくが侑に脚本を見せるシーン
電車内でしずくが脚本を書いたノートを侑に見せるシーンから、しずくが他者の価値判断に依存していることや「変」と思われることを恐れていること、しずくの自身の無さが分かります。
![](https://assets.st-note.com/img/1702363033581-ZZXQ5LScEY.png?width=1200)
侑「これ...…」
しずく「へっ変ですか...…」
侑「すっごくいいよ!」
しずく「やっぱり!侑先輩なら分かってくれると思ってました」
上記発言から、しずくは脚本の内容を他者(侑)に「変」と思われることを懸念し、他者(侑)が肯定したことで安心したことが読み取れます。
また、しずくは、基本的に何でも肯定する高咲侑に脚本の相談をしていることから、保守的な姿勢が窺え自信が無いと考えられます。
これらのことから、2期5話においても1期8話の気付きの前に見られる「他人の尺度による意思決定、自他の価値判断のズレに対する恐怖、他人から変と思われることに対する恐怖」が残存していることが分かります。また、それらは自信の無さとして表れています。
以上のことから、2期5話の段階でしずくは十分に自分をさらけ出せていないと筆者は解釈しています。なぜなら、しずくの行動に自信が見られない描写があるためです。
しずくが他者と価値判断がずれることや変と思われることを懸念している場合でも、しずくの発言や行動が本心とは限らないことが、しずくを考える上で難しいと感じました。
しずくが何かを良くないと思っているときに、他者は良いと思っているとしずくが予想して「いいね」と言ったとします。このとき、しずくの予想が外れて他者が怪訝な顔をした場合、しずくは他者との価値判断のずれや変と思われることを恐れるでしょう。ただし、この条件ではしずくの本心(何かを良くないと思っていること)は開示されていません。
③2期5話における桜坂しずくの「成長描写」
筆者の考える2期5話におけるしずくの「成長描写」とは、「自分をさらけ出すことの意義」を体感し、ユニットを通して体感した気付きを自己表現に組み込むことへ一歩踏み出したことであると考えています。
しずくの「成長」の形を「他人の尺度で意思決定し自分の本心を開示できていなかったしずくが、他人がどう思うかに関わらず本心を開示できるようになること」とし、「成長描写」を上記「成長」の過程が描かれているものとします。
本記事3章第2項より、2期5話では現状(十分自分をさらけ出せていない状態)から理想状態(十分自分をさらけ出せている状態)への過渡期であると考えているため、2期5話の「成長描写」はしずくが理想状態に近づく(さらに一歩踏み出せる)出来事であると解釈しています。
以下、詳しく考えていきます。
![](https://assets.st-note.com/img/1702367153038-1G4wB5Igb6.png?width=1200)
しずく「型にはまらず、目一杯自分を表現すれば、びっくりするほど楽しいものが生まれるんですね」
歩夢「そうかも!」
せつ菜「ですね」
しずく「今日ここから私たち3人のステージが始まります」
上記発言より、しずくの感じた「型にはまらず、目一杯自分を表現することの意義」とは「想定外の新しい価値が生まれること」と考えられます。
しずくは「自分を表現」発言しており、「自己表現」と置き換えても差し支えないと考えます。
筆者は、しずくの自己表現(≒やりたいこと、目指す姿)は「本当の自分を他人に見てもらうこと(自分をさらけ出すこと)」であると考えています。
よって、しずくは「自分をさらけ出すこと」の意義が「想定外の新しい価値が生みだすこと」であると気付いたと筆者は解釈しています。
また、寸劇が終わった直後の発言であるため、本記事2章第2項で示した気付き(型にはまらず、目一杯自分を表現すれば、びっくりするほど楽しいものが生まれること)を寸劇によって体感したと考えられます。
さらに、しずくはユニットとしてしずく、歩夢、せつ菜の3人で活動していくことを宣言しています。
つまり、しずくは「自分をさらけ出すことによって、想定外の新しい価値が生まれること」という自分をさらけ出すことの意義を寸劇によって体感し、それをユニット活動(自己表現の機会)に落とし込むと宣言していることになります。
以上のことから、自分をさらけ出したいしずくが、自分をさらけ出すことの意義に気付き、しずくも一メンバーとして自己表現を行う媒体であるユニットに「型にはまらず目一杯自分を表現すること(自分をさらけ出すこと)」を組み込んで、しずく自らユニットの活動開始を宣言することは、しずくが理想状態(自分をさらけ出している状態)へ向かって一歩踏み出した「成長描写」として捉えられると考えています。
(しずくがさらけ出すことの意義に気付いたことは、自己表現の媒体にさらけ出すことを組み込む衝動、活力になったと考えています)
(また、この時結成されたユニットであるA・ZU・NAの特色は事後的に分かりますが...…)
(2期5話は、しずくの悩みの解決が彼女の自己表現の進展に繋がっている構成となっていると認識しています)
「成長」についての私見
「気付き」単体で成長と捉えるのか、「気付き」の後に「行動」を伴って初めて成長と捉えるのかという解釈が分かれると思います。(他にも解釈のパターンがあると思われます)
上述のしずくの「成長描写」では、「気付き」+「行動」を「成長」として捉えました。
しかし、筆者は、「気付き」のみを「成長」と捉えることにも肯定的です。筆者は「成長」を「理想状態に近づくこと」と認識しており、「気付き」を得ることはそれを得る前と比べて、一歩前進するための手がかりを掴んでいるという点で理想状態に近づいたと考えられるためです。
4. まとめ
本記事では、TVアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会2期5話における桜坂しずくに関する私見を、magikascas氏と更に過疎ってナンボ!!氏の議論を手掛かりに綴ってきました。
お二方の解釈の相違点
magikascas氏・・・しずくはランジュの侑への忠告の構造を理解し念頭に置いていることを前提としている
更に過疎ってナンボ!!氏・・・しずくはランジュの侑への忠告の構造を念頭に置いていないことを前提としている
「忠告の構造」とは、「自分の夢」を持つ主体が、「他者への応援」をしている際に「他人の夢」が前進して満足感を感じても「自分の夢」は前進していないこと(前進したと錯覚しているだけ)を指します。
筆者の2期5話に関する私見は
① しずくはランジュの発言の構造を念頭に置いていない
理由・・・しずくが自身の当て書き(脚本)を歩夢とせつ菜への応援と認識するか否かにかわらず、ランジュの「何も生み出してないわ」という発言を念頭に置いていると仮定すると整合性がとれないこと
②2期5話における、しずくの「悩み」、「気付き」、「解決策」は
a. 悩み・・・「妄想が自己の内に留まっており何の価値も生み出していない」
b. 気付き・・・「型にはまらず、目一杯自分を表現すれば、想像以上の価値が生まれる」
c. 解決法・・・『しずくの妄想を即興劇として可視化し、「楽しさ」「自己表現の可能性の拡大」という価値を生み出す』
根拠・・・a しずくの「何も生み出せていない」という発言
b, c 寸劇自体と終演後のしずく、歩夢、せつ菜の会話
③2期5話で描かれたしずくの成長は
自分をさらけ出したいしずくが、自分をさらけ出すことの意義に気付き、意義を見出した「型にはまらず目一杯自分を表現すること(自分をさらけ出すこと)」を組み込んだユニットの活動開始を自ら宣言し、しずくが理想状態(十分に自分をさらけ出している状態)へ向かって一歩踏み出したこと
理由
・しずくの成長の形を以下のように捉えていること
「成長」の形・・・「他人の尺度で意思決定し自分の本心を開示できていなかったしずくが、他人がどう思うかに関わらず本心を開示できるようになる」
・2期5話のしずくが侑に脚本を見せるシーンから、しずくは十分に自分をさらけ出せていないことが分かること
・「成長描写」をしずくが理想状態に近づく(さらに一歩踏み出せる)出来事としていること
これら3点を鑑みてしずくの成長を上記の通りと解釈しています。
5. おわりに
本記事執筆にあたり、magikascas氏、更に過疎ってナンボ!!氏の議論が大きな助けとなりました。お二方と更に過疎ってナンボ!!氏の動画及び配信にコメントを残して下さった方々に心より感謝いたします。
異次元フェスでテンションが非常に高まってしまい勢いで書き上げました。SNSを眺めていると普段応援しているコンテンツ以外にも触れている方々がたくさん見受けられて嬉しいですね。これも、それぞれが積み重ねてきたものがあるからこそなのかなと思います。積み重ねの大切さを切に感じる今日この頃です。
ここまで読んでくださり本当にありがとうございました!
ご意見、ご感想等がございましたら、X(旧Twitter)等で伝えてくださると幸いです。様々な意見に触れることで見えてくるものがあると感じている筆者は非常に嬉しく思います。(過去の記事に反応してくださった方々、ありがとうございました。励みになります)
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