昨日、故相良英明(ヒデ)先生のお別れの会に参列した。会には古くからのタンゴ愛好者や先生方、職場の同僚、旧友、そして先生に教わった生徒さんなどが集まり、私たちは生前の先生が活動されてきた、知らない多くの側面を知る。ビデオや写真を通じて、先生のお人柄や功績に触れることができ、会場にいる人々と先生の思い出が共有された。そして、会に参列したことで受けた感銘や、それを通じて感じたことを綴ります。
生き方
昨日のお別れの会で、ヒデ先生の生き方や教えに触れる中で、特に心に残ったのは、先生と詩の研究者との生き方の対比でした。詩のように整然とした合理性を持ちながらも淡白な生き方をする詩の研究者と、言葉を尽くして情熱を語り続けたヒデ先生。この二つのスタイルから、人生をどう捉え、どう生きるべきかについて深く考えさせられた。
効率と情熱の間
現代社会では効率性を最優先する。が、相良先生のお別れの会を通じて、情熱的に、そして深く語ることの大切さを再認識した。私自身も事物を効率的に捉えがちです。先生のように心からの情熱を持って深く語る価値も、改めて認識した。このような情熱的なアプローチが、時にはリスクを伴うことがあるかもしれないが、それによって人生における本質的な価値を見出すことができると、心底感じた。
相良先生の遺したもの
ヒデ先生は高校時代にはスポーツ好きで水泳部がないところに水泳部を作り、また水泳部のコーチがいないとOB会を結成してコーチを務めてた。
ピンクの花柄のシャツで大学の講師を行い、多くの研究論文を残し人生後半に出会ったタンゴを通じて多くの社会活動も行なった。
先生の終焉に立ち会うことで、生きることの真意を再確認し、日々をより意味深いものに変えるきっかけを頂いた。先生が残した喜びと楽しみの中で生きる姿勢は、日常生活の中で直面するさまざまな課題に貴重な指針なりうる。
この場をお借りして、お別れの会を主催された鶴世先生をはじめとする皆様に感謝申し上げます。そして、多くの人の心に深い足跡を残したヒデ先生へ、心からの感謝と敬意を表します。私はヒデ先生とはそれほどの付き合おではなかったですが、先生の人生観や情熱を自らの日々に反映させることで、人生をより楽しめると感じました。本当にありがとうございました。
会で配布された先生の随想の一部。
死を目の前にした時に、生きていることをハッと気づく。死はいつも友のように自分にあり、生はコーチのように色々な課題に直面させる。両方とも生を眩しく光輝かせる。
GYU