見出し画像

〈音楽的自己紹介・私の音楽ルーツ〉姉のダビングテープと岩手のAMラジオ

noteを始めた頃、時事ネタと音楽ネタを書きたいと思っていた。でも気づけば、音楽ネタばかり書いている。書いても書いても、書きたいことが終わらないから(そして時事ネタは、今はあまり書きたい題材がない)。

どちらを書くにしても、年齢がわかった方が読んでくれる方が共感しやすいかな、と思い、プロフィールに生まれ年を書いている。しつこいですが1976年生まれ。

でも最近思うのは、もしかしたら私、生まれ年以上に昔の曲を知っている?ということ。そこで、音楽的自己紹介として、私の音楽ルーツについて書きたいと思います。


お姉ちゃんのカセットテープ

私の音楽ルーツ。よくミュージシャンの人が言うように「両親がビートルズ好きで」「父がオーディオ好きで、家にはオーディオ機器とレコードがたくさんあって」とか言ってみたかったけど、そういうのは一切ない。

私の父は音楽を全く聴かない人で、母も音楽は好きだけど、ラジオで聴くくらい。家にはポータブルの小さなレコードプレーヤーがあるだけで、それも物心つく頃には壊れていた。

こんな感じの。白っぽくてもっと垢抜けなかった

私には、3歳上の姉(以下お姉ちゃん)がいる。1973年生まれ。

お姉ちゃんは、ダビングできるWラジカセを入手してから、たくさんのダビングテープ(空のカセットテープに、アルバムカセットなどを録音したもの)を作り始めた。アルバムカセットは、友達から借りていたのか。

参考までに、懐かしのWラジカセ!カセットからカセットに録音可能♪

私はお姉ちゃん子で、お姉ちゃんのやることは何でも真似をしたかった。それで小学生の頃から、お姉ちゃんのカセットをこっそり聴き始めた。
ちゃんと許可を取って聴けばよいのだけど、なんとなく怒られそうな気がして(生意気なものを聴くなと)、こっそり聴いていた。アナログなテープだから、必ず、どこの曲から始まっているか最初にチェックして、聴き終わったらその曲まで巻き戻し(早送り)。何かに後ろめたい男子中学生のように、棚に戻すときの向きまで気をつかい。そんな風に、いつもこっそり持ち出して聴いていた。

お姉ちゃんの聴いていたものは、久保田利伸、TM NETWORK、米米CLUB、バービーボーイズ… 他にもいろいろあったけど、思い出せるものを再現してみた。当然実物は残っていないので、再現画像。

お姉ちゃんのカセット、Canvaを使って完全再現。暇なんですか

当時、お姉ちゃん中学生。今改めてこのラインナップをみると、かなり感度が高かったと思う。
私が一番夢中になったのは久保田さん(こちらの記事の通り。ラジオきっかけではまり、お姉ちゃんカセットでより沼落ちした感じ)だけど、TMといい米米といい、今でも評価が高いし、聴いていたのはまだメジャーになりきる前の名盤だったりする。(ちなみにバービーボーイズはこの夏個人的にドハマりしたので、近日中に記事にします)

しかし、後年これらについて周りに話を振ると、同世代の反応がいまいちなのはわかるとして、3,4歳上の人でも「?」となることがあった。5,6歳上になってようやく話が合う。

お姉ちゃん、けっこう大人びていたのかな。あとこの後にふれる、故郷岩手の特殊な音楽環境も、関係しているかもしれない。

お姉ちゃんにお礼をしたいけど、こっそり聴いていたとは言いにくいので、今のところする予定はなし。何かと忙しい人で、今はあまり音楽を聴いていなさそう。でも彼女のセンスにはとても感謝している。

岩手のAMラジオ

以前こちらの記事でふれた通り、故郷 岩手には長い間、テレビの民放がTBS系と日テレ系しかなかった。TBS系局の「IBC」が絶大な力を持っており(地元新聞の系列なので)、ラジオ局も持っていた。

そのIBCラジオが80年代、岩手の若者達の最強娯楽コンテンツだった。
月~金は夜に帯番組があり、局アナが日替りでDJをする。人気DJになるアナも少なくなかった。
土曜日の夜は、No.1人気DJのアナがつとめる電リク番組。周りでもハガキを出す者多数(私も出して何度か読まれた)。

そして日曜日の夕方は、これらの最高峰ともいえる「IBCトップ40」(今年の夏、1日限りで復活していたらしい ↓ )

しかし週7日全部、自社制作の若者向け番組。
今思うと、なかなかクレイジー。

これらはラジオ番組には欠かせない「ふつおた」やテーマに沿ったおたより、楽しいコーナー企画(この辺は全国区のラジオ番組と同じ)ももちろんありつつ、音楽もたっぷり聴かせてくれた。

土日の番組は特に小学生の頃から、皆がこぞって聴いていた。翌週学校で話題になることも日常。
「TOP40」には「気になるあの子」というコーナーがあり、叙情的なピアノの旋律と共に、思い人へ向けた投稿ポエムが公開。

「○○○子さん(フルネーム本名)、好きです。何月何日、✕✕で待ってます」
という、個人情報もへったくれもない投稿もよくあった。エキサイティングだった。(隣のクラスの人が名指しされて、軽い騒ぎになったりしていた)

「気になるあの子」BGMだったピアノ曲 ↑ けっこう有名な曲では。
サビ部分(1:40頃~)が切ない!

基本的にどれも中高生をターゲットにした番組だったので、小学生の頃からそれを聴くことで、結果的に5,6歳上の人達と同じ曲を聴くようになった。
そしてそれは周りの友達も同じだったので、今でも地元の友達とは、音楽の話が合う。

一言で言えば、娯楽が少なかったからね、ということ。
でもそんな娯楽の少ない岩手で、自社制作でそれだけのコンテンツを作っていたIBCは、今思えばすごい。
制作側のマンパワーも(その他のパワーも)、受ける側の人口的ボリュームも潤沢だった80年代だから、成立したことかもしれない。

そんなガラパゴス岩手だからこそ、私は思い切りたくさんの音楽を吸収できた。

*  *  *  *  *

そんな感じの、私の音楽ルーツでした。

長くなりましたが、これからも音楽記事をたくさん書きたいと思います。
何卒ご贔屓に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?