あのノートには、何が書いてあったんだろう #デジタルで変わったこと
結婚して夫と同居しはじめた、20年ほど前のこと。
私はそれまでに書いてきた日記や小説のノートを、全部捨てた。
夫はそういうものをこっそり見るような人ではないけど、
私にもし何かあって死んだりしたら、見られることもあるかもしれない。
それは絶対絶対、嫌だった。
ノートの束は、段ボールいっぱいにあった。
私はあれこれ調べ、シュレッダー業者を見つけた。
その名も「必殺・抹消本舗」(仮)。
段ボールがまるごと巨大なシュレッダーで粉砕される衝撃画像が、Webサイトに載っていた。
「ずっと書いてきた思い出のものなのに、もったいない」
と夫は言った。
(若干引いてもいた。そこまでやばいもの書いていたのか、と思ったのかもしれない)
でも私は誰かと暮らしながら、自分のドロドロした分身みたいなものを置いておくのに、耐えられなかった。
身近な人にほど、見られたくないものなのだ。
「必殺・抹消本舗」に無事段ボールを送って、私はほっとした。
私が10代・20代の頃書いてきたものはすべて、あのシュレッダーでばりばりと粉砕されたはずだ。
それからまもなく、ブログやSNSの時代がやってきた。
私は親しい人たちに向けた、たわいのない文章を書いた。
そこから徐々に、好きな音楽について書いたり、時にはあけすけな打ち明け話をしたり。
結局、あの時捨てたものと、同じようなことを書いていた。
だけど私の気持ちは軽かった。
書いたものを、自分で抱えて保存しなくてもいいから。
ブログやSNSは、クラウドサーバーが全部抱え込んでくれる。
それから何年も経って今、昔よりのびのびと物を書いている。
身近な人にあれこれ詮索されないほうが私は、書きたいことを思いきり書ける。
デジタル・ネットワークの発展でそういう場を手に入れた人は、きっと私だけではないはずだ。
10数年前に書いたSNSブログは、ごくまれに見に行く。
恥ずかしさもあるけど、こんなことを書いていたんだ、面白い、と思ったりもする。
シュレッダーに飲み込まれたあのノート達には、何が書いてあったんだろう。
今ではもう、ほとんど思い出せない。
夫の言った通り、たしかにもったいなかった。
だからと言って、抱えていることは絶対できなかったけど。
あの巨大シュレッダー、実はクラウドにつながってたってことないかな。
そしたら今でも、こっそり見に行けるのに。
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