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#5 言葉を頼れない人たち(前編)〈1話完結ストーリー〉

東北在住のとある家族・竹井家の1話完結ストーリー(2割くらいは実話)
【竹井家】

竹井ヒデキ(父)
物事に動じない性格。野球で言えば松井秀喜世代。
竹井アユミ(母)
言葉遣いは荒いが穏やかな性格。野球で言えば 新井(貴)・里崎世代。
竹井リク(長男)
小学校低学年。コミュ力抜群だが怖がり。ポケモンと鬼ごっこが大好き。
竹井カイ(次男)
幼稚園児。おしゃべりが苦手だが、陽気なマスコット的存在。

「非常に、アンバランス」
検査結果を聞くアユミに主治医は、何度もそう言った。

次男のカイが、小児科の発達外来で知能検査を受けた。結果は軽度の知能の遅れや自閉的傾向が認められ、発達年齢は、実年齢マイナス2歳の3歳程度とのことだった。

「でもね、検査結果を平均にならすとこの通り3歳なんだけど。全てが同じように3歳ってわけじゃないんですよ」

そういって主治医は、各検査項目を示した。
図形など、視覚でとらえられる問題では年齢相応の成績だが、言語を使った問題では、2歳相当の問題でもバツがついている。

「つまり、視覚からの情報は年齢なりに理解しているけど、言語情報は非常に苦手としていて。2歳程度にしか理解できていない問題もある。そういう非常にアンバランスな発達をしているんですね」

アユミは、それほどショックを受けなかった。発達に遅れのない長男のリクを育て、続いてカイを育て始め、2,3歳頃には明らかな違いに気づいていたのだ。

2年前幼稚園に入園したカイは、歯みがき、お着替えと目まぐるしく進む日常ルーティンに、まったくついていけなかった。担任の先生の言葉の指示に、ろくに反応しないというのだ。
先生は一計を案じ、日常ルーティンを絵で描いてカイに示してくれた。
するとカイは、すんなりそれらをこなすようになった。

そんな風に周囲に大いにフォローしてもらいながら、ここまで成長してきた。
今回の診断は、今までずっと向き合ってきた彼の特性に、ある程度専門的なお墨付きが与えられた、という程度のものでしかない。


「カイ、明日は幼稚園だぞ」
診察を受けた帰り道、アユミはカイに言い聞かせた。この日は幼稚園を休んで通院していた。

「幼稚園、しないの」
カイは首を振った。
「しない?行きたくない?新しいハト組さんは、楽しくないの?」
「楽しくないの」
カイはそう言うが、アユミはひるまない。ただのオウム返しかもしれないから。

「えーそうなのかぁ。担任のアヤ先生、カイくん明日ニコニコで来てね、楽しく遊ぼうね、って言ってたぞ」
カイは、ううん、と首を振って横を向いてしまった。

カイとの会話は、いつもこんな感じだ。
彼のごく少ない語彙からネガティブな言葉が出るとき、それは心からの否定だったり、照れかくしだったり、はたまた単なるオウム返しだったりする。でもそれを区別することは、アユミには難しい。
幼稚園に、単に気が乗らなくて行きたくないだけなのか、新しいクラスのお友達になじめないのか、幼稚園の活動で苦手なものでもあるのか。
「幼稚園、しない」という言葉からは、想像することしかできないのだ。

こういうときもし夫のヒデキだったら、カイの気持ちを強引に乗せてしまうだろう。
「カイ~何言ってんの?明日はようちえーん!たのしーーい!!」
と歌うように言い、カイを抱き上げて高い高いをし、グルグル回す。
カイは
「やめて~……たのしーい、じゃなーい!」
と言い返しながらもそのうち笑って、ヒデキのペースになる。

ヒデさんはすごいな、とアユミは思う。

ヒデキは、非言語コミュニケーションがうまい。動物あしらいもうまい。初対面の犬猫でも、あっという間にヒデキになついてしまう。

アユミはからきしダメだ。ぶっきらぼうで、表情や所作で相手を和ませることが苦手だ。ヒデキがいなければ、子ども達をここまで育てることはできなかっただろう。

そう思いながらアユミは、いつまでもヒデキのやり方に頼ってばかりはいられない、とも思う。それこそ、まだ動物的なところの多い、2歳くらいの子どもに対するやり方だ。

長男のリクが5歳の頃には
「誰々に意地悪されるから行きたくない」
「給食のサラダが嫌いで完食できない」
「プールで水に顔をつけるのがこわい」
など、幼稚園に行きたくない理由をあれこれと話してくれた。

アユミはそれを聞いて励ましたり、時には担任の先生に相談したりして乗りこえた。
今は友達に囲まれ、給食も毎日おかわりするような、元気な小学生だ。

カイにも、きっと彼なりの嫌なこと、その逆の好きなこともあるのだ。
語彙は赤ちゃん並みでも、思考はきっと育っているはずだ。
ヒデキのハイテンションな励ましで気分が変わるような赤ちゃんの時期は、過ぎている。

かといって、話をよく聞いてやって一緒に解決する、という、リクの時の方法は使えないのだ。

「言葉に頼りすぎてるんだよな」
アユミはつぶやいた。
言葉のコミュニケーションにばかり、頼りきりの自分。
たわいのないことを話したり、PCやスマホで自分の思いを綴ったり。
アユミが見ているのは、いつも言葉に彩られた世界だ。

カイには、その世界はまだ通用しない。
自分の子どもがどんな世界をみているのか、アユミにはまだ、想像すらできないのだ。


後編につづく

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