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オフコース愛を止めないで!【2】大ブレイクの5人時代。「Yes-No」の強すぎる歌詞と「さよなら」の本当の魅力

突然「オフコース沼」にはまった 1976年生まれの著者がお送りする、連続コラム【オフコース愛を止めないで!】

【1】すごいのは小田和正さんだけじゃない。隠れた名曲「きかせて」で、その魅力にはまる
【2】大ブレイクの5人時代。「Yes-No」の強すぎる歌詞と「さよなら」の本当の魅力 ←今回はこちら
【3】80年代シティポップもあり?名曲、英語曲多数。聴かなきゃもったいない4人時代
【4】1982年解散騒動、伝説の武道館コンサートから40周年。改めて解散について考える
【5】NHK「若い広場」でみる、メンバーの素顔

※他の回は、下記リンクよりご覧いただけます


5人オフコースの誕生

three and two

1976年、ベースの清水仁さん、ギターの松尾一彦さん、ドラムの大間ジローさんを迎え、オフコースは5人になった。
(正式加入は1979年のようだが、1976年発売のアルバムから参加していた)
1979年発売のアルバム「three and two」で、ジャケットの表面にまだ無名だった新加入の3人の写真を掲載したことは、ファンの間では有名な話だ。

ゆずが、ロックバンドになったようなもの⁉

小田和正さんと鈴木康博さんは小学生時代からの幼なじみだったと、【1】で書いた。
幼なじみで結成したフォークデュオといえば思い浮かぶのが、著者と同世代の「ゆず」。彼らも、音楽を始める前からの友人同士で、共に音楽を作りながら、二人でプロミュージシャンまで上りつめたという点では同じだ。

でもオフコースがゆずと違ったことは、フォークデュオのままではブレイクできなかった。そして、3人を加えてバンドになった。
もしゆずが、突如ロックバンドになったらかなり驚く。ベースやドラムの若いメンバーを入れ、ギターもエレキに持ち替えて。

5人オフコースへの転換はそれくらい劇的なものだったのかもしれない。と、40年後の世界で私は想像している。

*   *   *   *   * 

ふたつの音楽性の融合

ブレイク前夜の名曲「思いのままに」

5人オフコースの誕生を世に知らしめたアルバム「three and two」。
1曲目の「思いのままに」という曲が私は、すごく5人オフコースっぽい、と思う。【1】でふれた「きかせて」とは真逆の、超直球の曲。

♪ア~アア~~ と、とても美しいハーモニーで始まる。
きれいな歌だなと思ってると、ベースやドラムがズンズン入ってきて、
ギターがギュルルルーンときて、サビでそれと、小田さんの澄み切ったシャウトとが全部合わさる。
そのドラマティックさに、聴いている方はすっかり引き込まれてしまう。

私は普段、作りこんだおしゃれな曲のほうが好き。
難しいジャンル的なことはよくわからないけど、多分、ソウルとかジャズとかファンクとか、そんな要素が入っているもの。
でもそういう好みと関係なく、ある曲やアーティストが、直感的に好きになってしまうことがある。「思いのままに」はまさにそんな曲。
そしてそんな曲が、オフコースには、特に5人時代にはすごく多い。

「さよなら」の本当の魅力

「three and two」の発表からまもない1979年の冬、シングル「さよなら」が発売される。これが大ヒットを記録し、オフコースはデビュー10年目にして、待望のブレイクを果たす。

「さよなら」は、「思いのままに」と同じタイプの曲だ。
①美しくアコースティックに始まって
②バンドが徐々に入ってきて
③サビで全てが合わさって、一気にテンション上がる
全く素人目線だが、こんな構成。

「さよなら」は、「もう、終わりだね」と「さよなら、さよなら、さよなら」のメロディーが独り歩きしていて、美しいアコースティックの曲みたいなイメージがある。
でも改めて聴いてみると、ギターの音バリバリのロックナンバーだ。特に終盤の激しいギターソロは「さよなら」には欠かせない、と個人的には思う。
激しいギターの音と、イントロの美しい小田さんのソロとのギャップが、聴く者の気持ちを否応なく盛り上げるから。

オフコースブレイクの起爆剤となった「ロック魂」

アコースティックな美しいサウンドと、骨太なロックのサウンドとの振り幅。これこそが、オフコースが5人になったことで生まれた化学反応だった。

小田さんは2017年、NHKBSプレミアムのインタビューで、5人オフコースになった時の変化について語っている。

-1970年代後半、ギターの松尾一彦さん、ドラムスの大間ジローさん、ベースの清水仁さんの三人が加入し、オフコースは本格的なバンド編成に生まれ変わりましたね。
はっきりと「五人のバンドになりました」とは打ち出さなかったから、たぶん、バックバンドのような見え方だったと思うけど、おれはできるだけ一つのバンドとして見せようと思ったんだ。
(中略)五人になったライブは、音も大きいし、表情とか、いろいろなことに大きく影響したね。それと、やっぱりバンドは楽しいしね。そこから、お客さんがつくようになった。二人でやってたら、どうなっていたかわからないけど、だんだん盛り上がっていったのは、五人のバンドになったおかげだったね。

ーそして、曲調もいわゆるフォークから、ロック色といったものに変わりましたね。
そうだね。新しく入った三人がロック畑から来たからね。とくにロックをやりたいなと思ったわけじゃないんだけど、たとえばレッド・ツェッペリン(1960年代後半にデビューした伝説のハードロックバンド)とか、全然自分が通ってこなかったジャンルだったから、これはライブには好都合だなと思ったね。
ー小田さんの歌い方も変わって。
シャウトしたよね。それまではシャウトしていなかった。大きな声でどう歌っていたのか、覚えてないんだけど。レコーディングしているときに、メンバーがかわりばんこにディレクションしたりしてたんだけど、おれが歌ってたら、ベースの清水がディレクションしてくれて、「小田ちゃん、もっとシャウトせーや」って関西弁で言うんだよ。
「えっ、シャウトしてるよ」って言ったら、「いや、シャウトしてへん。そんなん、シャウト違う」みたいなことを言われて。そこで、歌い方が変わったというか、ちょっと幅ができたね。
バラードでも、本当にシャウトするというね。もちろん、ただただ、がなってもしょうがないし、きれいに歌うことも大事なんだけど、やっぱりステージではシャウトすると聞いている人に伝わるわけ。言葉と一緒になって伝わったんだろうね。

PHP研究所「『100年インタビュー』保存版 時は待ってくれない」より

これ以外にも、小貫信昭さんという音楽評論家の方が、小田さんへのインタビュー本を複数出されている。1998年に刊行された「YES-NO 小田和正ヒストリー」の中では、5人オフコース時代のエピソードがよく語られている。

小田さんと鈴木さんは、進学校から一流大学に進み、そのまま行けば企業に就職して安定した地位を得ていたような人たちだ。
一方、後から加入した三人は、2人より年下ながら、高校を出てまもなくプロのミュージシャンになった人たちだった。NHKのインタビューで語られていた通り、音楽の趣向も違っていた。
小田さんがそんな彼らと自分たちとの違いを楽しみ、特に清水さんのことを楽し気に語る様子が、この本にはある。

清水仁という男は、その人間的な魅力で、他を圧倒していた。ベーシストは、他にも候補がいたし、それなりのテクニックを持った男だった。しかし、「長い間、楽しくバンドをやっていけそう」という理由で、小田は仁を強く押した。
(中略)
「仁のことは、俺らのことを手伝ってもらう前から、なんとなく知ってたんだ。オフコース・カンパニー(著者注:オフコースの個人事務所)を作る前、俺らはサブ・ミュージックというところに所属してたんだけど、実はバッド・ボーイズ(著者注:清水さんがオフコースの前に在籍していたバンド)も、大阪から出てきて、同じ事務所にいたんだ。で、まさにバッド・ボーイズって名前の通り、不良なんだ(笑)。(中略)こっちは早稲田の大学院に通いながら、しかも親のところに住んでる。そんな俺とは全然違うんだ。そういう人間は、それまで、俺の周囲には、一人もいなかったんだ」
仁はオフコースの旗頭だった―。小田はそうも言う。
「例えば仁が、”あいつは信用せんほうがええで”と言ってたら、”そうか、そうしよう”ってさ(笑)。オレはその言葉を信じた。要するに、俺やヤスより、仁のほうが先に”社会”に出たわけだから。知識や教養も、大局的な意味では大切だけど、仁がこれまで生きてきた経験は、ちっちゃい頃から”自分で獲得してきたもの”だよ。言葉そのものが、キラキラ輝くんだよ。教養も、使いようによっては輝くかもしれないけど、ただ詰め込まれたものでしかない。オフコースの周辺にいた人間でも、そういうことに免疫ない奴は、すぐ仁に服従しちゃう(笑)。俺もオフコースを通じて、仁と付き合うことで、”不良の疑似体験”」をしたんだよ」
(中略)
音楽性は豊かだが、無味無臭なところもあったオフコースの音楽に、ある種の無骨さ、生活感が加わっていくのも、彼がいたからだった。
「確かにそれまでのオフコースは、お坊ちゃんが、アカデミックに、好きな音楽やってただけなんだということを、仁を通して学んだんだよな。俺は仁から、”ロック・ボーカル”というものを学んだんだ」

小貫信昭「YES-NO 小田和正ヒストリー」より引用

もちろんこういった精神的な部分だけでなく、それぞれの持つ音楽的な力の結集があった。
オフコースはメンバーの誰かが作曲した曲に、メンバー全員でアレンジを行い、編曲者を必要としなかった。後に小田さんが「(全員が)いいプロデューサーになれると思った」「誰かに依存しようと思っているやつは一人もいなかった」と語る能力を、皆が持っていた。

小田さんと鈴木さんの培ってきた繊細な音楽性と、新加入三人のワイルドなロック魂との化学反応。そして何より、5人の音楽に対する情熱と確かな実力があったからこそ、オフコースはブレイクしたのだろう。

2人時代と5人時代を聴き比べる

2人時代と5人時代の曲を聴き比べてみる。
2人時代の曲「ワインの匂い」を聴いても、小田さんが歌っていると、言われないと私は多分わからない。
他の曲も、すぐには小田さんの声とわからないほど、控えめなものが多い。あえて個性を抑えているように思えるほど、上品な発声。

それが5人時代になると変わる。
小田さんの声は、シャウトするほどに澄み切って美しく響いてしまうので、よくあるロックボーカルとは全く趣がちがうけど、その強烈な個性が表に出たことが、逆に「ロック」なのだなと私は思う。

「さよなら」のヒット後、オフコースはライブ活動、レコードのセールス双方で快進撃を続ける。テレビ出演によるプロモーションを全く行わない中での人気は、異彩を放っていた。

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ブレイク、快進撃から一転

が、事態は突然暗転する。
1980年末頃、鈴木康博さんが脱退したいと告げてきたのだ。
結局翻意はされず、鈴木さんは実質1982年で脱退することになる。
このことについては【4】で詳しくふれたい。

中心人物だった鈴木さんの脱退は、オフコースの根幹をゆるがすものだったに違いない。
もしゆずがロックバンドになって、北川さんか岩沢さんのどちらかが脱退してしまったら、それはもうゆずではないだろう。
(ゆずファンからすると、縁起でもない話ですみません。彼らを引き合いに出すのは、これでおしまいにします)

ここから鈴木さんが実質脱退するまでの2年足らずの間に、オフコースはアルバム「over」、シングル「I LOVE YOU」「言葉にできない」「Yes-Yes-Yes」など、今でも親しまれる作品を多数生み出した。

1982年、5人としての最後のコンサートツアーが行われた。ツアーの最後を飾るのは、前代未聞の日本武道館での10日間コンサートだった。最終日6月30日に行われた公演の映像は、今なお多くの人に親しまれている。

5人時代の愛すべき曲たち

ここからは、5人時代の曲で、著者が好きなものをご紹介します。
前回激推しした「きかせて」も5人時代の曲だけど、他にも好きな曲、アルバムがたくさんあります。ほんの一部ですが、どうぞ。

アルバム「SONG IS LOVE」「JUNKTION」「FAIRWAY」

オフコースが5人になってから発表された、最初のアルバム3枚。
ここまで「直球なロックサウンドこそ5人オフコース」みたいなことを書いてきたけど、この3枚はまったく違う。
ジャズっぽいような、ミディアムテンポの落ち着いた曲が並んでいる。
(「JUNKTION」に有名な「秋の気配」があるが、今は知られていない曲が多い)

2人時代からの流れが急に変わったわけではなく、2人時代から5人時代へのグラデーションみたいなものがあったのだなと、この3枚のアルバムから感じられる。
実際、小田さんは前述の書籍「YES-NO」で、この3枚を「試行錯誤」だったと振り返っている。
その後、「さよなら」や「Yes-No」のような売れ線のロックナンバーが出現したのだから、この頃の落ち着いたおしゃれなオフコースを支持していたファンは、さぞかし動揺したのではないかと思う。

でもこのアルバム3枚の「試行錯誤」は、無駄だったわけではもちろんなく、「きかせて」や次にふれる「哀しいくらい」に存分に生かされている。
オフコースの奥深さが、よくわかる3枚だと思う。

哀しいくらい

とっても大好きな、ミディアムテンポの切ない一曲。
オリジナルは、アルバム「over」収録のもの。
「哀しいくらい」が大好きなのは私だけではないようで、4人時代に英語バージョンが作られていたり、小田さんがソロになってから、セルフカバーもされている。(シングル「ダイジョウブ」カップリング)
オフコースに、小田さんにとって、大切な曲なのだろうなと思う。

英語バージョンも小田さんのセルフカバーもそれぞれに素敵なんだけど、私はやっぱり、シンプルなオリジナルバージョンが一番好き。
全編大好きだけど、今はイントロを聴きこむことにはまっている。
頭の「タタッ」というドラムにつづく切ない旋律、ドドドド…と淡々と入るベース。
このシンプルさがなんか青春ぽくていいんだよなぁ、と最近イントロばかり聴いている。イントロだけで、本当に一杯飲める。つまみなしで。

Christmas Day

シングル「愛の中へ」B面曲。
作詞作曲とも、小田さん鈴木さん共作の、珍しい一曲。
10代の頃ベスト盤ではじめて聴いたときは「クリスマスソングにしては寂しいな」と、あまりピンとこなかった。
でもいい大人になった今聴くと、とても沁みる。
大切な人の幸せをそっと祈りながら、静かに過ごすクリスマスの歌。
クリスマス時期に子どもの寝顔を見ながら聴いたら、泣けるな・・・

あなたより大切なこと

アルバム「We are」収録。
疾走感あふれるサウンドで、歌詞がちょっと不思議。
二人称が「君」「あなた」と二通り出てきて、
一途な歌詞と突き放すような歌詞があって、恋人同士のそれぞれの思いを歌っているのかとも思うけど、結局よくわからない。でも、なんともいえず切迫したサウンドがよくて、癖になる。

この頃の、複数のキーボードに囲まれて演奏する小田さんが、最初はとても新鮮だった。TM NETWORK時代の小室哲哉っぽい!でも小田さんの方が、全然先なんですね。

Yes-No

今さらながらの「Yes-No」。
売れ線とか言ってごめんなさい。結局これが一番好きです。
何がと聞かれても、全部、というしかない。

でもやっぱり歌詞が強い。
♪君を抱いていいの 好きになってもいいの
もいいんだけど、いい大人になって聴くと
♪今なんていったの 他のこと考えて 君のことぼんやり見てた
♪言葉がもどかしくて うまく言えないけれど 君のことばかり気になる
あたりに、なぜかグッときてしまう。
でも、全部トータルで聴くのがいいんだよね。

歌詞がいいといっても、曲も、Aメロからサビからラストまでずーっといいし、サウンドもいいし。
どこ聴いてもどう聴いてもいいから、すごいんです。
本当に、どこまでも強い曲。

次回、オフコースファンの間でも賛否両論(?)の4人時代について語ります。一応言っておくと、私は4人時代大好き。

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