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自分の言葉でって何!?

色々な書類、多種多様な原稿、イメージの変わる文章を求められる時、必ず自分の言葉で。自分らしく。と言われます。

自分の思う、その時に合った言葉でかいていますが、恐ろしいほど校閲が入り、出来上がった文章は誰が書いたのだろうという私が居ない、だけどそこに合ったものが出来上がってそれを暗記してあたかも自分の言葉のようにいう。

くだらないと思っています。くだらないは言葉がよくないですね。

私が思うそこに合うような言葉でさえも私らしいか?と問われたら即座には首を縦に振れないような言葉なのに、好きだから。という理由でそれらしく書いています。

それは好きだから。たしかに、教養があるほうか?と言われたら無い方ではありますが、TPOには乗っ取っている(?)風にはなっていると思います。

私は言い回しが変わると途端に文章が覚えられなくなります。自覚していないだけで自分の言い回しや好きな言葉の順番があるのだと思います。

正直、誰にどのように修正されても、あっちゃ〜、めちゃめちゃ直されちゃった。と思う程度なのですが、言い回しまで変えられると自分の言葉で書けっていうことに自分も相手も嘘をついているような感覚に陥ります。

それでは、『自分の言葉で書く』の正解は何なのでしょう。

自分の言葉=その場ではふさわしくない
というのはわかっています。

なので、正解は『自分を消して、その場に合わせた、自分風のきちんとした良い人』を自分の中に作り上げてその人が書いたような文章です。

自分の言葉なんて、どこかに漂っています。それをそのまま文章に組み立ててくれる機械があればいいのですがね。

発明博士が、発明してくれれば。

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