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黒い姉とセカンドオピニオン

記憶を辿ると2歳年上の姉とは僕が小学生の高学年くらいから、なんとなく意見が合わなかった。その姉が反抗期に突入し、家族がかけることばに対して「知らな~い」「どっちでもいー」「もういいよ!面倒くさい」と反発する姿を見て、ますます一緒にいるのも嫌になる。
決定的だったのはそんな姉がいわゆるバンドブームに乗っかって、全身黒い服でコーディネートをしたのをした姿を見てしまった。その頃の僕はグラフィックデザインの専門学校へ進み、「若いうちにいろいろな色の服を着るといいよ。黒とか茶なんていつでも着れるし、あんな年寄りくさい色は嫌だね」と先生から聞いてとても共感した矢先の出来事だったのだ。しかもバンドブームが落ち着いてからも姉の黒い服装は続き、ますます距離を取ってしまった。僕が実家を出ると2年・3年に一回ほど「ああ」「まあ」「いいんじゃない」という会話しかしないほど。芸能人を中心にたまに聞く、男女の兄弟でも仲が良いという話はいまだに信じられないだが。

さて思いもしない癌告知を受けて、不仲だった父親に真っ先に公園で電話をし、自宅まで長い上り坂をいつもなら立ち漕ぎで一気に走り抜けるのにこの日は自転車を押して帰った。家に着くと全身の力が一気に抜ける。ベッドに横たわり、天井の模様をただ眺めては、先生からは「手術しかありません」と明確な答えを提示されているのに、この先どうしようか、何をしたら…、ぐるぐるぐるぐる…。頭の中は不規則に散らばる天井の模様そのものだったように思う。
ところがこの不毛とも思える脳みそぐるぐる時間はいつの間にか、診察内容の回想時間に移り変わり、先生からの「セカンドオピニオンも協力しますよ」ということばを脳内から引き出すことに成功した。僕はこれまで服を買うにも定食屋でご飯を食べるにも、最初に目に入る良いと思ったものを頼んで後から後悔するパターンが嫌になるほどすごく多い。でもこの時は、セカンドオピニオンで他の病院の意見を聞いてから判断しよう、冷静に判断できることができた。気持ちは一気にギアチェンジ、「腎臓癌」「腎癌」「腎盂癌」「腎臓癌 関東」「腎臓癌 手術実績」「腎臓癌 名医」「腎臓癌 セカンドオピニオン」…と考えつく検索ワードをGoogleに入れては読み込む。僕は仕事柄、企画やキャッチ、ビジュアルを考えたり調べ物をすることが多いが、普段からこんな短時間で集中できたらいいのにな、とすごく思った。僕のやる気スイッチはどこにあるのだろう、いまだに見つからない。

セカンドオピニオンの調べ疲れと思いもしない癌告知のもやもやを晴らすために晩御飯は近所の定食屋へ。僕の好きな「定食屋の定義」はテレビがあるかないかで、近所の定食屋はばっちり満たしている。小鉢も充実してて完璧だ。ぼーっとテレビを見ているとLINEの着信があり、着信していきなり既読するのもしゃくなので一覧表示だけ見ると、「お母さんから聞いたよ!先生はなんだって?ステージは?ひとつの病.....」
定食屋でゆっくり食べてから自宅で姉からのLINEを読むと、必ずセカンドオピニオンを受けろと書かれている。んなことたあ、分かっとるわい。もう調べているよ。後から読み返すと姉からのLINEは約2年半ぶりだった。

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