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労働時間、最低賃金... 「制限値」が「基準値」になりやすい話

「1日8時間、週40時間労働」の根拠は何か

 これは、労働基準法で定められた、いわゆる「法定労働時間」が該当します。

労働基準法 第三十二条 使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない。

 ここで注意すべきは、40時間以上働かせてはいけませんよ、と言っているだけです。同じように労働基準法では、労働時間の延長(残業)なども、限度時間を超えてはいけませんよ、と言っているにすぎません。“労働者保護”の観点から、労働時間に関して様々な制限が設けられているのです。

 そして、これを実効化しているのが、労働契約における「所定労働時間」です。

制限に対し、人はどうするか

 当然、「制限値ギリギリ」を狙います。「おひとり様3つまで」、と言われれば、3つでしょう。しかし、制限ピッタリというのも、なんとなく浅ましい気がしなくもなく、制限値に少し満たないくらいを狙うのが、謙虚な気持ちというか、奥ゆかしさというか...。

「1日8時間まで」ならば、8時間。いやいや、ちょっと遠慮して7.5時間か、7時間か…

 同じくして、パートタイマーの賃金も、定められた最低賃金のギリギリが狙われ、若干の“奥ゆかしさ”が加味されます。

「最低賃金は1,163円」なら、1,163円。ちょっとだけ色をつけて1,165円か、1,170円か…

 別に、1日2時間でも、5時間でも良いのです。1,500円でも3,000円でも、制限は越えていません。

 しかし、設けられた制限が、「基準」のように注目されてしまうのです。これは「カリギュラ効果=制限されると、それが気になってしまう心理」によるものと考えられます。

労働時間の話しに戻しますと

 合理的な労働では、業務に係る時間は短縮され、逆に無駄が多い労働では、時間を多く必要とします。時間に対価を宛がってしまえば、合理的な労働に対する対価は少なく、無駄が多い労働に対する対価が多くなる、という矛盾が生じます。

 対価は、労働時間ではなく、労働の成果に宛がわれるべきものでしょう。

 とすれば、裁量労働制が正か?、といえば、それはNOです。裁量労働制では、労基法が労働時間の上限を定めた本質である、“労働者保護”が抜けてしまうためです。使用者と労働者との関係は、だいたい、対等ではないため、労働者に不利益が生じやすくなってしまいます。

 つまり、労働時間(の上限)の管理は必要としながら、労働時間ではなく、成果に対価を宛がう必要があると言えるでしょう。

労働時間の短縮で、給与を減らさないという選択

 一般的に、所定労働時間より、労働時間が短くなってしまうものは、遅刻、早退、欠勤などが挙げられます。この場合、有給休暇などを除いて、その分の給与は減ってしまいます。

 しかし、給料を減らさなければならない、という決まりはありません。

 労働時間に対価を宛がってしまうと、労働時間が短くなった時に、どうしても「値引き」したくなってしまいます。しかし、使用者が、労働者から十分に成果が得られているかどうかを判断をすれば、必ずしも値引きする必要はないと感じられるのではないでしょうか。

 会社都合による休業では、会社側の責任によって労働者を休業させることができ、その場合、労働者に対し、平均賃金の60%以上の休業手当を支払う必要があります。これも60%以上なので、奥ゆかしく62%にすることもできますが、100%でも構わないのです。言ってみれば、そもそも差し引かない、という選択もできるのです。

 “会社の都合”で、“給与を減らすことなく”、労働者を早く帰すことも、遅く出社させることも、休ませることもできるのです。

 適切なアウトプットを、見込み通りに、あるいは見込みより早く得られたなら、そうすべきだと思うのですが、いかがでしょうか?

 適切なアウトプットが得られているかどうかを判断することは、もともと管理職の業務でもあります。労働者の利益だけではなく、使用者にとっても、様々なリソースの使用を削減できるなど、利益があります。

 なによりも、こうすることで初めて、合理的に、適正な生産量と労働時間を把握することができるようになります。正確な人時生産性の把握は、業務改善だけではなく、企業における様々な意思決定においても、とても重要な要素の一つでしょう。

 なにごとも、制限値と適正値は異なるもの。制限の範囲内で、適正な値を追求しましょう。

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