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「ブランド物には興味ありません」

「いただけるなら、ちょっといい日用品がいいです。石鹸とかタオルとか。ブランド物には興味ありません」

 そう笑った三十代女性の目の前に座る私の脇には、バーキンがあった。結婚式等のフォーマルな席以外では、当たり前に私のそばにあるバッグだった。当たり前とはいうけれど、去年一念発起して、というか、出会ってしまったが最後、という感じで手に入れたバッグである。以来、私の外出にはしばしば御伴として連れ歩いている。
 そのひとは丁寧に手入れをされた指先でティーカップを持ち、膝の上にハンカチを広げてクッキーをつまむひとだった。品のいい白いブラウスに紺のペンシルスカートが爽やかだった。パンプスはミッドヒールで、嫌味にならない高さである。
 そんな彼女だからこそ、目の前にあるブランド物を揶揄するかのように「興味がない」と言い放ったのが意外でならなかった。そういうじめじめとした、嫌味とも当てつけともとれない言い方をする人物とは思えない。かといって、バーキンを知らないほどファッションに対する興味がないひとでもない。私は思わず、返事に窮した。
「だったら、上質なタオルとか、私がよく染め物をお願いする染工さんのところの小物はどうか」と提案すると、「素敵ですね!」と嬉しげな返事である。彼女の誕生日プレゼントの話だった。頭の隅で、今年限りだな。と考えている。あいにく、私は気短な性質だ。

「ブランド物には興味ありません」
 ちょっといい日用品と言ったあとにわざわざそう付け加えたということは、Diorの石鹸だとかHermèsの食器だとか、そういったものを贈るように見えたのだろうか。しかし、もともとさほど高額なやりとりをする仲ではないからせいぜいイソップのトラベルセットだとかその程度になる。私がそこそこブランド物を持っていることは日ごろのつきあいから知っているし、彼女の財布がクロエであることも私は知っている。もっとも、そのクロエは彼女が言うにはプレゼントされた品で、デザインや細部については埒外であると以前聞いたことがあった。そうだ、確か「いいお財布ですね、クロエですか?」と私が聞いたのだ。やはり、彼女は私がブランド物をそこそこ好きであることを知っている。

 私はブランド物を持つことを別段ステータスとは思わないし、逆に持っていなくてもそれはそのひとのスタンスやライフスタイルや価値観による違いとしか思わない。自分が気になる品を持っていたら話のとっかかりに口に出すことはあっても、持っていない人に対して「興味ないの?」などと聞いたりはしない。持っていないように見えて、しっかり身に着けているということも少なくはない。ブランド物がすべてでかでかとロゴを背負っているわけではないのだ。
 しかし時折、この先制攻撃なのか予防線なのか「興味ありません」という言葉をつきつけられる。それは大人数での飲み会の席だったり、こうして少しざわついたカフェで話しているときであったり、場面を問わず遭遇する。興味の有無をいちいち詮索する気持ちなどない私は、それだけで以降の会話に服飾の話は出さないほうが賢明だと身構えるのだが、相手はおかまいなしに私の持ち物や服装について言及してくる。大抵、「興味がない」ひとには聞き覚えのないブランドの名前を口にする羽目になる。有名ブランドだと思っているアンドゥムルメステールやリックオウエンスは大抵「知らなーい! 高いんですか?」と返されるし、ジルサンダーやマルジェラは「流行ったやつですよね!」とおおよそそれ以上展開しようがない。

 興味がある(またはありそうに見える)人を前にして興味がないと言うという経験が、私にはない。音楽にせよ映画や小説にせよ、目の前の人間が興味関心があるかもしれないことを、敢えてバッサリと目の前で切り捨てるメリットがないからだ。たとえ相手が好きな映画を私が知らなかったとしても、興味がないとは言わずに「見どころは?」「どんな話なの?」と尋ねればどんなに興味がない話であっても間をもたせることができるし、何より興味がわけばありがたい。

後日、絞り染めの産地で購った布小物数点をギフトにして彼女に手渡した。
「わぁ! 有松絞り! 私、こういうの大好きなんです!」
ピンクベージュのブラウスに白のスカートを着た彼女は、そう言って大層喜んだ。
伊勢木綿でも遠州木綿でも、なんなら小千谷縮などもその特徴をそなえたいわばブランドだ。
浴衣を買えば、安くとも数万はかかる。
手縫いでお仕立てを頼めば、なおのこと高価だ。
なるほど、彼女は「(誰でも知っているような有名な)ブランド物には興味がない」らしい。
そしてそれを、ブランド物好きとみなした人間に言わずにはおれない性質なのだろう。

ブランド物には興味ありません。

その言葉には、「ブランド名に左右されず良い物を選べる人間である」という自負と承認欲求が見え隠れする。
主張しなくていいことをいちいち主張するからそう見えるのだが、おそらく過去にそうしなくてはならない場面があったのだろう。
しかし、「良い物」には次第にブランド名がつくものだ。
産地の名称がそのまま口伝てで広まってゆく。
自分が気に入っていたものにブランド名がついたとき、そしてそれが大衆に広まったとき、彼女は手のひらを返すのだろうか。
シャッターを下ろされた側の私は、「当たり障りのない会話」に終始してその場をどうにか切り抜けたのだった。

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