東京タワー

秋の風に吹かれて、丁度ススキの様に猫背の俺は、ロングコートを靡かせて歩く。小一時間ほどの道のりを決して足跡の残らぬよう、漂うように進む。漂泊の旅に習慣は必要ない。

赤坂に諸用があり、揺れる気持ちで目的地へと向かう。時計と次停車する駅の名前を交互に見比べながら曖昧な約束に間に合うか簡単な計算を重ねる。天才的な数学者は含みのあるこの問いに頭を抱え部屋の中をぐるぐると歩き回るかもしれないが、この計算を解くのは超簡単で、答えは間に合うか間に合わないかの二択しかない。つまり、複雑なxの話とかxへの愛情の重さなんてのはこれっぽっちも答えを出す事には関係しない。
結局、遅れてもいいし早く着いてしまってもいい、俺が生きて君の前にいればいいんだろ、なんて安いニヒルに答案を渡して心の声を聞くのをやめた。
天井から首を吊った0の羅列を揺らしながら電車は進む、時としてこの空虚にしがみつかなければならない人の気持ちなど無視して線路の上を無機質な数字は移動する。
 俺は赤坂まで歩いて行くことにした。車窓から望む夕暮れにひどく感動して、オレンジに化粧した街並みを格好をつけて散歩してやろうと、咄嗟の思いつきで決めた。空いた席にどっかりと座って、遠くまで歩くために靴紐でも結び直してやろうか、俺は夕陽との共犯を成功させるためにあれこれと台本を練りはじめた。
電車は渋谷で停車し、人の群れがホームへ逃げ出す。いつもは知り合いでもない人混みからはぐれないように必死に歩くのだが今日は別だ、夕焼け小焼けの赤とんぼの散歩が待ってるから。見知らぬ人の後ろを歩いている暇なんかない。時間を気にしてたあいつはもう雑踏の中に消えてしまった。子供の悪戯のように「新しい快楽には多少の犠牲も必要だ」とあいつの背中に貼り紙を貼り付けてやりたい気分のまま勝ち誇った気持ちで階段を登った。

しかし、改札を抜けた頃にはもう太陽は燃えきって、残された黒い灰が風に飛ばされ空を舞っていた。コートなんかを着ているのに、季節のことを忘れていた自分を睨む。
「xの日は釣瓶落としなんて言うけど、すぐ暗い気持ちになってしまうものね。」

思っていたシチュエーションとは違ったけど取り敢えず目的地を目指す、思い通りに事が運ばなくても心は助走し切っていたので構わず歩みを進めた。このまま改札に戻って電車に乗ってしまったら、例え群衆に隠れても確実にあいつの目からは逃れられない気がする、なんてね、そんな律儀さは持って無いけどとにかく暗幕のかかった空を歩いた。



 歩いた場所のことはあまり覚えてないけど、携帯を頼りに靴を鳴らした。途中、青山霊園から望む東京タワーがこの散歩のきっかけと等しく美しかったことを覚えている。たぶん初めて見た東京タワーだったと思う。墓場から見たこの街の象徴は二度と忘れないだろう、傍で揺れるススキもなんだか俺らしくて面白かった。
寒くなると目一杯丈の長いコートを着たくなる。許されるのであれば地面に引きずるほど長い方が良い。
海月みたいにゆらゆら揺れるから好きだ。何も持たずに漂っているようで。
寒い日は目一杯丈の長いコートを着たい。「ごめん、待った?」とは言わないけど、目一杯の君と居たい。










この話は赤坂まで歩いたのは事実だけど、他の気持ちとかは殆ど嘘です。女と会った訳でもなく、以前お世話になった方と久しぶりに酒を囲む約束をして予定の時間に余裕があったので電車賃を節約するために歩いただけです。
現実が+で虚構が−なのであれば、いつもマイナスが勝ってしまうと言う悲しい話も聞きますが、こんな嘘ばっかの与太話より、俺はただ懐かしい人と酒飲んだだけのリアルの方が好きです。所詮、目一杯の誇張と妄想です。

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