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生活感について

世には「生活感」という気持ちの悪い言葉がある

私も、皆さんも、基本的に生きて動いている限り生活をしているわけであって、働いてお金を稼いでご飯を作って洗濯を回していようが何もしなくても三食きっちり出てこようが寝たきりであろうが、生活は一人ひとりに与えられている。生活にする・しないの選択肢はなく、生活をどうするかということを選べたり選べなかったりするだけで、少なくとも生きている限りはそう、なのに

前述したとおり、世には「生活感」という気持ち悪い言葉がある
この気持ち悪さの原因の一つは、多分、呼吸と同じくらい無自覚無意識にやっていて、かつ止められない、かなり存在感のあるもの「生活」に、「感」という何となく・フワッと・輪郭をぼかす言葉がつけられていること。つまり、基本的にやる・やらないが選べないもの、意思とか状態に関係なく続いているもの、に「感」ってつけなくないっすか?ということを言っています。全然調べたりはしていないので実際どうかは知りませんが…

例えば
倦怠感 幸福感 満腹感 とかはあります
倦怠感を感じるかどうかは基本選べませんがずっと続くことはない。幸福も残念ながらずっと…続いてほしいよね泣。満腹になるまで選んで食べているし、時間が経てば空腹感に変わっている。

例えば2
呼吸感 排泄感 とかはない
当たり前だし選べないし避けられない。もし呼吸ではない別の何か、お尻をめっちゃ振る、とかで生命を維持できたとして、尻を振って生きることが主流だとしたら「呼吸(してる)感」はあり得るかもしれません、そういう非現実的で特殊な状況に置かれない限り生きるたびに続いていることを「感」として捉えることってなくないですか?というか、キモくない?
生活も然り。

「生活感」という言葉は一旦受け入れるとして、これのキモいところその2として、「悪しきもの」「なるべく消した方がいいもの」と捉えられがちなこと(なんで〜?)がある
Instagramとかで、おしゃれな部屋づくり、またはおしゃれな部屋づくりにぴったりな家具・小物、系の投稿を見たことがありますか?ありますよね、わたしはめちゃくちゃ見ますが
あれは「生活感」という言葉の宝庫ですが、宝という字を使うのが憚られるほど「生活感」が敵視され忌み嫌われている場所でもある。どれだけ生活感を消せるかという競争・戦争が日々行われているということです。しっくり来ない人はInstagramで「生活感」と検索してみてね♪

さて

どうして生活感を消した方がいいのか

例えば人を家に招くときに、
脱いだ服が散らかっていたり丸めたティッシュが落ちていたりしない方がいい
→わかる
テッシュ箱をティッシュケースに入れ、かつ机の上ではなく裏側にくっつけておいたり、全ての収納の中身が見えないようにモノトーンで統一された箱に仕分けておいたり、調味料や袋に入った食材をそのまま置いておくのはみっともないのでこれも全てモノトーンで統一されたビンやケースに詰め替えたりした方がいい!!!
→はい?

お察しの通り後者がアンチ生活感のみなさんの手法ですが、

やりすぎじゃない?
少しの生活感も許さなすぎじゃない?

推測するに彼らはモデルルームのような無機質で人の生活している感じがない部屋を目指している。とにかくものを減らしたい(極端な)ミニマリストとはまた別の志を持っているのでしょうが、生活感を消そうと脅迫的になるあまり究極のミニマリストになってしまった人もいるのではないか。

しかし、いくら見た目がモデルルームのようになろうと、生活感を完全に消し去ることはできないことは自明。当たり前ですがそこで生活してしまっているから。
モデルルームのティッシュケースにはティッシュが入っていなくてもいいが、生活している部屋にはティッシュケースではなくティッシュが必要であり、それが生活であるから。

究極のミニマリストは寝袋と最低限の食器、数セットの服で暮らすかもしれない。寝袋と最低限の食器、服がある部屋は「ここで人が生活していますよ〜」と大きな声で教えてくれる。生活感を消そうとするあまり、無機質な部屋が生活の足音を大きく反響させてしまっています、反響させてしまって、いますよ〜


無機質といえば綾波レイの部屋ですが、ベッド、冷蔵庫、薬、血がついた包帯…めちゃくちゃ一生懸命生きている感じがしていませんか?逆に






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