神様

人生の意味のなさについて、人生がどうでもいいと思ってるなら意味の有無は全くどうでもいい。考えることも意味がないなら脳みそは要らなくて、脳みそがないならあんまり生きている必要が無い。必要に迫られて生きているわけではないとしても、考えることだけが正しいと思ってしまうのは、それだけが自分にあるものだから?「それしかない」ということを「それに長けている」と勘違いしてしまうのも脳に物事を屈折させて考える部分があるから。


夢を見ました。
「死にたい死にたいと言っている人は案外なかなか死ねなくて、ずっと楽しそうだった人が突然ふわっと死ぬ」みたいな話をされていた。死について考えることが自分を否定する行為か肯定する行為かどちらともつかないのかはそれぞれだと思うしその時によっても違う。経験していないことについて話すことは全て憶測と幻想であるとしたら、「私は死んだことがあるんだけどね、」と語り始める人と出会わない限り死はいつまでも幻想なのか。
夢の中で「死ねるなら早めに死になよ」と言われて、同じことを現実でも言われたなと考えていた。つまり明晰夢だったんだけど私は話をただ聞いているだけの空気で、夢の中で私はいなかった。

死んだあとどうなるのかを考えることもあまり意味が無い。と思っていたけど最近は輪廻転生や天国みたいなことを少し信じています。死んだあと、肉体は確かに無くなるのだろうけど意識はどうなるのか。天国的なところがあるとして、そこでまた肉体を得るのか。時間がなければいいな。死んでからも時間に苦しめられるのは嫌だな。
本当は、死んだら全部終わりで体も意識も何も無くなっちゃえばいいなと思います。今生きているけど、時間も体も精神も全部嘘なんじゃないかって思う。また適当なこと言って〜って言いたい。誰に?
神様はいないと思っているから鳥居の真ん中を通る。
もし神様がいるならそいつは悪趣味すぎる。そういうのは人間だけで十分なんじゃないの?でも見ててくれるなら嬉しい。誰も見ていない時にやることは大抵悪いことで、罪悪感からどうしても逃れたい。神様に見られているしな、と思うことで開き直って行きたいんだけど、どう?ぜんぶ見ててよ、罰があるならなるべくちゃんと受けたい。

無意味なものが無価値だとは思わない。全部意味が無いし意味がある。何にも価値はないし価値がある。

死ぬことにあまり興味が無い。生きることには興味の持ちようがない。生きていくことには興味があります。

人生っていうのは、ないんだなー、達観気取りをしたくないけど、どう考えても人生ってない。死ぬことも生きることも正しい。みんなが正しいことをやっている。今までの最悪だったことは全部自分がアホすぎるせい。
アホだから、みんなが正しいことをやっていて、もしかしたら神みたいなのがいて、見られているって信じていくことにした。なるべくたくさん本を読んで音楽を聴いて人と関わる。許せないことは何もない。どう生きるとかどう死ぬとかいう目標も指標も手本もここにはない。

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