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カゴの中身

皆さんこんばんは、那須野です。
先週佐々木さんがいつまでも暑いと仰っておりましたが、ここ数日は雨の助けもあって随分涼しい滋賀県です。
秋のお彼岸も明日が中日です。


さて、私は本日の午前中、スーパーへ買い物へ行きました。
いつものようにレジに並びます。
大体、待ち人数の少ないレジ、もしくは前の人のカゴを見て中身が少ないと、その方の後ろに並んだりします。
皆さんもそうではないでしょうか。

今朝の私も“買い物の少ないカゴ“の後ろに並びました。
私の前の前に並んだ老夫婦の会計を見ておりましても、レジの係りの方は割とスムーズに仕事をなさる様子です。
ところが私の前に居た“買い物の少ないカゴ“を持つ方の番が来て、カゴを空けて行くも、会計が中々終わらないのですね。
手首のカゴが重たく感じ始めたので、「おいおいまだかい」と前の方のカゴを見てみました。
するとどうでしょう、出て来る出て来る猫の餌。
何チュールみたいなんがぎょうさん出てきます。

タイミングよく館内に流れるアナウンス

 毎月22日恒例の『ニャンニャンデー』(=^・^=)🎶
 キャットフード各種2割引です、どうぞお買い求めください🔈

なるほどなるほど、猫ちゃんを飼っていない我が家には関係ないことだから、今まで知らなかったお得情報。
そのカゴの中に詰まったたくさんのチュール。
中々終わらない会計。
どうしてカートを使わなかったのか、そんなに買い物しないと思ってた数分前の自分。
私には全く見えてもなけりゃ想像もしませんでした。
チュールが溢れ出てこなかったら、きっと館内アナウンスも聞こえていなかったでしょう。


結構そんなことってありませんか?
自分が勝手に筋書きを作って、そうなるように過ごしているようなことが。
何気ないように過ごしてる様でいて、脳内では自分の筋書き以外のことは排除されているようなことです。
私の筋書きにニャンニャンデーは無かった訳です。
こういう思い込み、自分勝手な筋書きは、対人関係でも起こったりします。


最近、私が普通に使っていた言葉が、相手にとっては普通では無かったことを知る、ということがありました。
こちらが良かれと思って言った一言が、相手を傷つけてしまったみたいです。
大変悪いお口ですね。
相手のカゴの中身が見えて無かったのですね。
私の筋書きにも入っていない展開でした。
そもそも私は良かれと思っていたのですから。
まさかそれが全く逆の意味を持っていたとは思いもしませんでした。


そんなことがありましたので、今朝スーパーからの帰り道もモヤモヤした気持ちがどこか抜けきれず、でした。
そんな時に車のスピーカーから聞こえてきたのが、大尊敬する大好きな中西昌弘先生のお言葉です。

心配や不安はお育てなんですよ。
真如の内薫て言うてな。
真如が私の内側から囁きかけてくれているねんで。
「お前それでええんか、大丈夫か、そんなことでええんか」
不安というのは本来あるべき在り方をしてないから不安なんだから。
安定した世界を知らせようとする、それが真実のはたらきですから。
外側からは経典の言葉、それを親鸞聖人が浄土真宗と開いてくださった。
それが南無阿弥陀仏という本願の念仏のはたらきである、というね。
その教えによって呼び覚まされ続けている。
外薫と内薫によって本来の私の在るべきいのちの在り方に気付かしていただけるっちゅうことですよ。




口では悪かったと言いながら、心の中では「そうは言うけど…」という気持ちもあり、相手が傷つくからって、果たして優しくすることだけが良いことなんだろうか、頭の中は混乱状態です。


そうか、これは真如の内薫だったのか。
在るべきいのちの在り方を気付かせてくださっている囁きだったのか。
もちろん、私の中に真如があるわけではありませんよ。
お育ての中で、そう聞かせていただくということです。
内薫やら外薫やら言うてますが、これは内からの薫習、外からの薫習と行くことで、
薫習というのは香りが薫じ着くように、少しずつ影響を受けることを言います。

また、経典の言葉や、南無阿弥陀仏という本願の念仏のはたらきである外薫と合わさることで、内薫は内薫たります。
阿弥陀さんのご本願があって、初めて内薫がはたらく、ということです。
お聖教のおみのりを聞いて、初めて私は真実に出遇うことができるのです。
そうでなかったら在るべきいのちの在り方など、到底知ることはできません。
知ったところで実践できないのが私です。
でも知ることはできます、そして自分が不安定で在ることを知らされるのですね。


自分の筋書きにはなかった、この展開、それがなかったら、ニャンニャンデーと同じように中西先生の言葉も聞こえてなかったかもしれません。


仏願の生起本末を聞いた時、あるのは大きなお慈悲の心でした。
不安に目を向けてどうしたものかと躓いた時、それでええんかという如来の囁きは、南無阿弥陀仏のお慈悲に気付かされることでありました。
大した慈悲心は持ち合わせておりませんが、阿弥陀さんの真似事させていただいて、人が傷つくことに敏感でありたいと思う今夜は22日。
ニャンニャンナムナムさせていただきます。


称名

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