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言葉にならないもの

10月に入り、急に秋らしい気候になってきました。確かに季節が移り変わっているのを肌で感じる今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今週は岩田が担当です。

誰にでも、時折ふと思い出すいくつかの光景があると思います。
私にとっては、2019年7月の「仏教講演会」の一場面がその一つです。
大阪・中之島の中央公会堂で開催されていた歴史ある講演会は、私が初めて参加した2019年が最後の開催となってしまいました。

我々ブログメンバーの出身校である行信教校の天岸校長先生・山本先生・中西先生という重鎮の先生方がお話しくださったのですが、思い出すのはご法話のことではなくてですね。(なんか、すみません)
ご法話を終えられた山本先生が、控室から会場に入って来られた場面でした。

中西先生のお話が始まって少し経った頃、先に講演を終えられた山本先生が、静かに、でも悠々と会場に戻って来られて、すぅっと前方の席に着かれました。
ご自分の講演が終わってお帰りになるのではなく、お聴聞者の一人としてその場に戻って来られたのです。

後方から見えた先生の横顔は、全身全霊でお聴聞されている気がして「同じお話を聞かせて貰っていても、受け取れるものは全然違うんだろうな~」とボンヤリ考えていました。

そんな一連の山本先生のお姿が当時の感覚と共に、繰り返し思い出されるのです。

当時の私は、先生方がなんとか言葉化して伝えてくださるご法話の、その言葉の理解さえ難しい状況でした。(今もですけど)
それに対して山本先生は、言葉を超えたお悟りの世界からのはたらきに、ご法話をされている中西先生とともに耳を傾けておられたように感じて、そのお二人の感性だとか関係性が勝手に羨ましくありました。

行信教校には毎朝学生が法話を担当し、先生がご講評くださる時間があります。しかし、先生方は講評せねばならないからではなく、その場にいる誰よりも真剣にお聴聞してくださいます。
伝道の達人は、教えを我が身に聞き受けるお聴聞の達人でもあります。

「法話はね、何十年もしてきたベテラン布教使さんの法話であっても、今日が初めてという学生さんの法話であっても、同じように尊いですよ」
と聞かせてくださったのも、山本先生でした。

仏教のお話を聞くというのは不思議なもので。私の中にすぅっと入って来て内側から心を揺さぶるような…そんな感覚がもたらされることがあります。
知的好奇心が刺激されたり、感情が動かされたりするのとはまた別の、私ではどうすることも出来ない「いのち」の根源にあるものが喚び起されるような…そんな感じ…上手く言えないのですけどね。

この娑婆を上手に生きるためのスキルや技を習得するためのお話ではないので、「使えるor使えない」とか目先の利益を念頭に聞けば、「それがなんの役に立つのか」と、「暇ですか」と、反感を持つばかりで肝心なところが受け止められ…なかった…のは、他でもないこの私のことであります。

その跳ね返り者が、どうやって仏教のお話を聞いていたいと求めるようになったのか。
それは、先の山本先生をはじめとした「一生をかけて聞き続けねばならないもの」「一生をかけて聞いていける教え」に出遇われた先輩方の姿を見せていただいたから。というのが直接的な理由です。頭の固い私はそこを通らずには、お聴聞の世界には入れなかったでしょうね。

ただ、その出遇いがもたらされたのは、私の手柄ではなく、また偶然でもなく、お慈悲のはたらきからの必然と思わざるを得なくなりました。

そういう私ですから、このブログメンバーのお味わいは、読んでいてワクワクします。
メンバーだけではなく、同じお悟りの仏様を仰がせていただく無数の先人方は、どのような仏道を歩まれたのか。どのようにお味わいされたのか。
お聖教には一生かかっても読み尽くせないお味わいが遺されています。

ただ、一人で読み抜いていくのは難しい。導いてくださる先生、仲間が絶対に必要です。


そんな弟子の現状を見抜いてか、恩師がおいでくださり、8月から名古屋で勉強会が始まりました。

『恵信尼文書』という宗祖親鸞聖人の奥様の恵信尼様のお手紙がテーマです。
久しぶりにオンラインではなく目の前で聞かせていただくお話は、型どおりではない、あの行信教校での濃密な時間そのままでした。

「聞き続けていかねばならない、聞いていきたい」私の思いであるけれど自発的にではなく、やっぱり揺さぶられ出てきた感覚が残りました。

ちなみに『恵信尼文書』とは、遠く離れて暮らす娘様に宛てられたお手紙です。
大正時代に発見され、親鸞聖人の存在を証明し、実像に迫ることの出来る文献として大変重要な意味を持っています。
文章には恵信尼様の教養の高さ、当時の宗教観・文化・身分制度・習俗などが表れていて、そうした時代背景も知らねば、正しく読み進めることが出来ないように考えます。おそらく、その歴史的価値は真宗の枠に収まらないのではないでしょうか。

ただ、我々にとっての価値はそれだけに終わるものではありません。

親鸞聖人の一番近くで過ごされ、苦楽を共にされた恵信尼様。宗祖の沢山のお言葉と、言葉にならない世界を身に受けられたお方です。

そのお方がどのような仏道を歩まれたのか。恵信尼様ご自身のお味わいに触れ、刷込まれた既成の価値ではない、私にとっての『恵信尼文書』の有難さを窺いたいと思います。

また、仲間と皆さまにお味わいを共有…するかもしれません 笑

今は、豊かな時間をいただいたことに、感謝です。

称名


〈追記〉
上記の勉強会は名古屋の本願寺名古屋別院(西別院)で2ヶ月に1回のペースで開催されます。
どなた様にもご縁に遇っていただけたらと思います。
お近くにおいでの方、ご興味のある方、行信教校の雰囲気に触れてみたいなと思われる方、ご参加をお待ち申し上げております。


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