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忘れないぞ

小さな町の小さな居酒屋でアルバイトをしている滝中には、心の内に留めていることがある。

平日ど真ん中、19:00。滝中のことをかなり気に入っている客が来店。「こんばんは」と笑顔で挨拶をする。この人は決まってレモンサワーを呑む。注文も聞かずにレモンサワーを作り始め、座ったと同時に出す。
「たきちゃん、わかってるね」
嬉しそうに呑んでいる。滝中は安心する。
店の中では『たきちゃん』と呼ばれている。

常連客が来る少し前に、滝中と同じくらいの歳の見た目をした女性が1人で呑みに来ていた。
この女性はバツイチの男性が好きだと言い、店長のことをトロンとした目で見ていた。そのことを店長は気づいており、仲良く話したあとLINE交換までしていた。
近くにカラオケしながら呑めるBarが新しくできたから一緒に行こう、と。
その女性は嬉しそうに頷いていた。
そんなことをのちに来た常連客に話し、50を超えたおじさんたち(滝中から見たらかなりおじさん)が盛り上がっていた。23.4の女性が「バツイチが好き」なんて、珍しかったのだろう。
その女性には17個上の彼氏がいるとも言っていた。
店長らは、自分たちにも希望があると思っているのだろうか。

22:00頃、男女6名の団体客が来店した。
たくさん呑んで食べ、煙草を吸いながら仕事の話をしていた。滝中はいそいそと飲み物をつくり、提供した。
店長は常連客と会話をしながらも器用に料理を作っていた。
日付を回った頃、団体客がお会計を済ませて帰宅したとき、滝中はその席でiQOSの忘れ物を見つけた。
店長が店を出て団体客の後を追いかけ、iQOSを客に渡した。戻ってきた時に放った「あのデブの女のだったよ」という言葉が、滝中は忘れられない。

滝中を気に入る常連客は、滝中を近くの呑み屋に連れて行く。滝中は断れない性格の故、乗り気じゃなくても誘いに応じる。
滝中はその呑み屋でご飯をご馳走してもらう。タダ飯タダ酒なので有難い。滝中とその常連客は、よくご飯を食べに行く仲で滝中が唯一心を許す客だ。
しかし、話している内に話題が「そういう方向」になっていく。
最近セックスしているか、彼氏はいるのか、胸のサイズはいくつなのか。滝中は冷める。
カウンターで隣同士に座っており、距離が近かったためか、胸を触られる。
滝中は笑顔で触られた手を振り払う。
ここでも嫌な顔は出せない。触られた感触を滝中は忘れられない。

帰り際に「ご馳走様でした」と感謝を込めて言った。常連客は嬉しそうに滝中を抱きしめる。
滝中は腰に腕を回さなかった。これが精一杯の「嫌」だった。

お盆休みで滝中のバイト先である居酒屋が連休だったため、店長に呑みに行こうと誘われた。
滝中は承諾し、店長と2人で出かけた。
店長はお洒落で素敵な店に連れて行ってくれた。食べ物もお酒も美味しかった。
就職祝いだ、と言って滝中の給料では手が出せないようなブランドのピアスをプレゼントしてくれた。
滝中は嬉しくて、ピアスをその場で付けて店長に見せた。店長は「あげた甲斐がある」と滝中の喜んでいる様子を見て嬉しそうだった。
2軒目に移動しようとなった時、店長は滝中の手を取り、繋いだ。滝中は嫌とも振り払いもせず、繋ぎ返しもしなかった。繋がれた手をパーにしたまま歩いた。それが精一杯の「嫌」だった。

滝中が働いている居酒屋には、アルバイトとして滝中より1つ下の歳の男の子がいる。その子はまだ誰とも付き合ったことがない、と言っていた。
店長と客たちは「童貞だ」と騒ぐ。
何かミスをする度に、あの童貞ほんと使えないな、と冗談ぽく言う。全員が笑う。滝中も笑う。男の子は傷つくと面白くならない、と言って自虐ネタを言う。客が笑う。店長が笑う。男の子が笑う。
面白くないと思っていても、滝中の口角は勝手に上がっていた。
この空気を、滝中は忘れられない。

お客さんに今いくつ?と聞かれたので22です、と滝中が答える。

「社会出たら大変だよ」「今のうちに遊んでおきな」「理不尽なことで怒られること沢山あるから」「若いんだからいっぱい食べなさい」「若いうちに結婚した方がいいよ」「若い」「若い」「若い」「若い」「若い」「若い」「若い」「若い」。

滝中は思う。
若いからなんだ。彼氏がいないからなんだ。
なにか迷惑でもかけたのか?

若い女に触れたいだけのおじさん、他人の見た目を攻撃するおじさん、若いってだけで良いとかいうおばさん、結婚と出産は早い方がいいよと言うおばさん。自分たちは人生経験豊富です、みたいな面して偉そうな話をしてくる。それを滝中は、あなたの言っていることは正しいです、という顔で相槌を打ちながら聞く。聞きたくない、とは一切思わせない顔で。

急にお客さんが増えて忙しくなり、料理や洗い物が間に合わなくなったとき、ゴミ箱を思いっきり蹴ること、鍋とかフライパンとかを置く時の音が大きくて怖いこと、アルバイトの子が暴言を吐かれているのを目の前で見たのに自分は何もできなかったこと。

全部全部「嫌」なのに。
それでも、滝中は心の内に留めておく。
でも、嫌だと思ったこと、おかしいと思ったことは絶対に忘れない。
何かある度に、忘れないぞ、と思う。
もう放っておいてくれ、とも思う。
勝手に生きさせてくれ。

そして何事もなかったかのように、またアルバイトに行く。

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