映画「スーパーマリオブラザーズ」感想~初見プレイ、そしてアメリカンドリーム~
字幕で話題沸騰中のマリオ映画を見た。
良かったです。
喋りまくるマリオは予告編で見るとバリバリ違和感が拭えなくて、「クリス・プラットがマリオになってゲームの世界に入り込む話なのかな」と思ったらストレートにそのままマリオが主人公でびっくりした。
でも、そんなマリオを受け入れられたのは今作での設定が非常に功を奏している。
設定面での妙味が目を引く作品だった……という事で今回の感想を書いてみた。ネタバレ有り(といってもバレて困るものなんてない気がするが)。
では、始めます。
誰もが初めは初心者だった
今作のマリオとルイージはブルックリン出身で、嫌味な社長から独立して配管工を始めた夢を追う青年たちだ。しかしイマイチ仕事は上手くいかず、家族や親戚からも白い目で見られている。そんな中、二人は突如としてキノコ王国へと来訪し、その途中でクッパに捕まったルイージを助ける為にマリオはピーチ姫と奮闘する。
マリオの造形について、身体能力がもともと優れているのは描かれているが、最初から八面六臂の活躍を出来るわけではない所が秀逸な点だった。
ピーチが最初に訓練として出した「マリオメーカー」を彷彿とさせるお手製ステージでマリオは幾度となくクリアに失敗し、何度も繰り返し挑戦する。
スーパースターな印象が強い昨今のマリオと比べると、かなり泥臭く情けない姿だ。
どうしてあえてこんなマリオを? と思ったが、次第に成長して上手くなっていくマリオを見て思い直した。これは初見プレイのプレイヤーなのだと。
考えてみれば、我々プレイヤーが初めてマリオのゲームをプレイした時、華麗にコントローラーでマリオを操作できていたわけではない。初めてのマリオがファミコンであれゲームキューブであれSwitchであれ、必ずそこには操作に四苦八苦するプレイヤーの姿があったはずだ。
つまり、映画の進行とマリオ(プレイヤー)の成長をリンクさせ、マリオをより観客の身近にある存在として、能動的に動き喋る違和感を消す事に成功させている。
会社から独立して頑張るが、まだ覚束ない、しかし希望に燃える青年。誰もが最初から上手くやれるわけではない……。
王道なアメリカンドリームの話をマリオに絡める。ブルックリン出身の青年という原初の設定をマリオの初心者ぷりに繋げる、映画としての再構築に目からウロコだった。
全てを説明するべきか
よく今作の感想で「説明があまりなくて内輪向け」というものがあるが、別に説明なんて大して必要はない。
今作はマリオシリーズの要素をストーリーから小ネタまでゲームそのまま出しており、90分の画面全てこれイースターエッグという異常な絵作りが成立しているが、間違いなくこの映画は全年齢の、それこそ本当にマリオを知らない人間でも楽しめる作りとなっている。
まずマリオが何者かをちゃんと映画の為に設定して冒頭として出している所からもそれはわかる。今となってはキノコ王国在住の設定が根強いマリオを何故ブルックリン出身に戻したのか?
真剣に内輪向けを考えるなら、マリオに「悩める青年」の属性を付加したりしないだろう。幅広い層に共感できる要素を付けたのはファンムービーではなく一本の映画として作る事を意識していると思う。
キノピオばかりのキノコ王国にピーチ姫がいる理由も、ただ何となく居ると無視するのではなくマリオと同じく迷い込んだからという話もさり気なく差し込んでいるし、世界設定は明かされないが、キャラクターの内面や動機はかなり気を遣っているように感じる。
全年齢向けのカートゥーンアニメなのは最初から分かりきっているし、そこで必要なのは各キャラが何をしたいのかに尽きる。
マリオは弟を救いたい、ピーチ姫はキノコ王国を守りたい、クッパはピーチ姫を嫁にしたい。
それがわかっていれば細々とした説明なんて不要だ。
だいたい、長年ゲームで遊んだ今でもマリオがキノコを取ったらパワーアップする理由なんて知らないし、パワースターとかいう星形をした人体をゲーミング色にさせる謎の物体の事なんて何もわからん。
出てくるアイテムや小道具の説明なんていちいちする必要はない。我々がマリオのゲームをプレイする時、各アイテムやキャラのtipsを気にするだろうか。フロムゲーならともかく、重要なのはそれらがどのような働きをするかが大事なはずだ。
むしろ、マリオを今までの人生で全く触れていなかったとしても、様々に繰り出されるカラフルなギミックに新鮮な驚きを得られる事だろう。任天堂は視覚的な楽しみにも非常に気を配っている為、映像でもそれらのアイテムを楽しめるようになっている。
上手くゲームの隙間をついた配置
無論、マリオをこれっぽっちも知らない人はかなりのマイノリティであるのは確かだ。実際多くの人にとってマリオは身近な隣人であったり、何度かすれ違う有名人であったり、大なり小なり関わりがあるはずだ。
だから、ゲームを踏襲しつつもちょっと違うものを出す事も必要だ。マリオの設定もそうだが、ゲーム本編とも言えるキノコ王国での冒険もその意識が見られた。
今までマリオとルイージがコンビを組む作品は数あれど、ルイージを助ける為にマリオとピーチがコンビになる作品は自分が知る限り該当がない。
さらに、ピーチが「初心者」であるマリオを導く役割を持っていたのも珍しい、というか初めてではないだろうか。今作においてピーチはゲームの熟練プレイヤーであり、マリオの相棒であり、クッパに狙われるヒロインだ。
ピーチも元々攫われる姫ではなくて自力で戦うキャラなのはかなり前からそうだったが、それを「マリオに先んじているプレイヤー」の属性を付け加えるだけでもこんなにも新鮮で、パワフルなキャラに仕上がるものなのかと驚いた。
ピーチ姫だけでなく、脇役もさり気なくこれまでにない面子だ。
冒険者ピノキオは、今までプレイアブルキャラとしては何度か出演があったキノピオがパーティーに入るという点でも珍しいし、ドンキーコングも同様だ。
結果としてマリオ、ピーチ、キノピオ、ドンキーコングというメンバーはお馴染みながら組み合わせとしてはかなり珍しい、マリオパーティーですらお目にかかれないと思う。
ストーリーに関しては衒いがないものながら、キャラ配置が新鮮なため「いつもの」という感じがあんまりしないのは凄い事なのではないだろうか。
大衆向けだからこその齟齬
正直、賛否でまっ二つに割れたという批評家の言う事もわからなくはない。
魂がない、という文章はあまりにも抽象的すぎるが、個人的に咀嚼するならば今作は冒頭で提示された要素とマリオの冒険が一致していない。
ラストでクッパを倒してキノコ王国とブルックリンを救ったのは良いとして、それが配管工としての成功と関係があるのかわからない。
クッパ城がブルックリンに現れたのは半ば事故のようなもので、クッパはブルックリンをどうこうしようという気など一切ないし、マリオがブルックリンを救った事でヒーローになる流れは配管工とは完全に話が別だ。
恐らく知名度が上がったのでマリオの仕事も増えたのだろうが、配管工としてのマリオは仕事に失敗している点しか見ていないので、何の説明もなくいきなり棚ぼたで成り上がったように見える。
この無理矢理な接続が逆に「ゲームで上手くなっても現実とは関係ない」のを強調してしまっている気がして辛い。
マリオ&ルイージ兄弟の「二人なら何でも出来る」という絆もいまいち活かされたとは言いにくい。
ルイージは物語の中で殆ど捕まっているだけだったし、最後の活躍もルイージがクッパの攻撃を防いだ事以外は兄弟の力というよりパワースターの力だろう。
マリオを信じて一緒に仕事を辞める度胸はあるとはいえ、配管工の仕事はマリオについていくのが主だし、クッパに捕まった際も自力で脱出できずにマリオに救出してもらったりなど、これではルイージが兄の「おこぼれ」をもらう弟という印象が拭えない。
マリオを信じて付いていこうとする芯の強さをもっと見せてほしかった。
つまり、序盤のブルックリンパートで提示された要素が本編のキノコ王国の冒険で殆ど寄与していない。「マリオがルイージを助けてクッパを倒す」という基本のストーリーラインは達成出来ているからキノコ王国での話は纏まっているが、よくよく考えると誤魔化されている点は多い。
せっかくブルックリン出身の原典から家族まで作って等身大の悩む青年としてのマリオを見せたのに、結局「クッパをクリアしたらなんか流れで現実の方も上手くいった」では締まらない。
例えば、クッパがキノコ王国に攻めてきた時にピーチが単身クッパ城に乗り込みルイージを助けるが、逆に今度はピーチが捕まってしまう。逃れたルイージはマリオと合流して、今度は兄弟でピーチを救う。マリオの後ろについていくだけじゃなく、自発的に行動する事も学んだルイージは配管工の仕事でも頭角を現していく……という話ならば原点のスーパーマリオブラザーズに基づいた話になるし、マリオとルイージの義侠心、絆も描けたと思う。
あと、正直なところ観終わって満足感は得られたものの「マリオの映画を見た!」という気分にはならなかった。
というか、これは、ハリウッド映画だな。
自分が字幕版を見たせいもあるかもしれないが、もう、キャラ配置とか演出とか、そりゃ怪盗グルーシリーズやSINGを作った会社なんだから当然なんだけども、かなりアメリカが作るカートゥーンアニメ。
そもそも燻っていて周囲にバカにされるてる青年が一発逆転なんてアメリカンドリーム的なプロットからして色濃く、キャラの挙動もかなり制作会社の手癖が強い。
冒険者キノピオなんてよくあるコメディリリーフキャラそのものだし、カメラやギャグの間のとり方、表情の動き、台詞回し……全部そう。
随所に80年代洋楽が挿入されているのもそれに拍車をかけている。a-haもAC/DCも好きだけど自分のマリオのプレイ原風景とはまるで重ならない。
無論、マリオも海外での活躍は長いからそういう作りになるのも間違いではないのだが、夏休みで蝉の鳴き声を聞いてカルピス飲みながらスーファミをやっていた幼少期の記憶とはどうしても齟齬がある。
なのでまぁ、これはマリオの映画ではなくてハリウッド映画でマリオをやったのだなぁ、という感じで、そういう意味ではかの有名な「魔界帝国の女神」のリベンジ作……とも取れるかも。奇しくも結構似てる点もあるし。
題材選びの妙味さからストーリーテリング、ビジュアルの融和を高い純度でやってのけた名探偵ピカチュウという事例を知っているだけあり、今作に関しては「守りすぎ」で安牌のイメージが拭えない。その保守する層の範囲が全世界であまりにもデカいので熱狂できるが、それはそれ。純粋な作品としては佳作の範囲だった。
関係ないが、クッパ城で捕まっていたあのやけに厭世的な闇堕ちチコは一体何だったのだろうか。ギャラクシーだとあんなキャラじゃなかった気がするし、全編底抜けに明るかったのでスパイスとして黒い任天堂入れようとしたのだろうか。黒すぎるだろ。
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