見出し画像

新しい肩書き

2020年7月の15期スタートを機に、パズルでは二人の肩書きが変わりました。肩書きとは周りが決めるもので、名乗る時はすでにその役割を担っている時だと思っています。なので二人ともすでにその役割で、場合によっては便宜上すでに名乗っていたこともありますが、この15期からが正式版、ver.1.0です。

プロデューサー 藤島みゆき

画像1

CM制作会社でキャリアをスタートし、フリーランスや総合広告制作会社を経て、2019年3月に主に映像制作を担うプロダクションマネージャー(PM)としてパズルへ入社しました。一貫してCM制作の現場でキャリアを積んできて、おそらくどんな映像でも作れるであろう百戦錬磨のPMです。パズル入社早々には予定していた香港ロケが民主化デモで白紙に。代替地を検討の結果やはり香港しかないと時期をずらして行ったと思ったら、デモが大規模化して出入国が難しくなるところギリギリで帰国したりと、なかなかスリルあるパズルデビューを果たしておりました。

そんな映像制作キャリアを歩んできて、もっと活動領域を広げたいと考えてパズルへ来たわけですが、いとも簡単に領域の境界線を越えて仕事しているように見えます。持ち前の明るさと前向きな性格がそうさせているのだと思いますが、映像制作のスペシャリストとしての自負があるからこそ、未経験の領域でも恐れることなく振る舞えているのだと思っています。

入社後1年4ヶ月の間にCMだけでなくweb制作やグラフィック制作にも携わり、猛勉強しながら着実に仕事をこなしてきています。今後はイベントやPR、サービスやデバイスの開発まで広がっていくだろうとは思いますが、どの領域でもデジタルは関係していてテクノロジーの知識も必要です。こなす中で自然に身につくこともありますが、自発的な学びも面白がってやっているように感じます。

この様子を見て、20年前の自分の姿が重なります。CMプロデューサーになるのと同時にCSデジタル放送の番組制作を担当し、TV放送や映像制作の未来予想に触れました。今の地上デジタル放送やTVのネット端末化のようなことです。(当時のアナログ放送規格である)NTSCが無くなる?!それは自分が培ってきた知識や技術だけでは全く足りない、しかも必ず実現する、今はまだ無い世界でした。目標だったプロデューサーになって少し先を見失った感覚があったところへ、新しい目標ができた瞬間でもありました。

さらに当時は携帯電話でのモバイルインターネットも始まり、街の景色が変わりました。駅のホームや電車の中、待合せスポットに立つ人々が手元の小さな画面を見ています。TVの見方が変わると直感しました。インターネットは既存メディアの代替でなく共存する情報インフラで、メディアそれぞれの強みが際立っていく時代になると感じました。そして、今、これから起こることを始めておけば新しい領域で一番になれる、と野望が芽生えました。

すでに映像制作者として自意識も強めなくらいスペシャリストとしての自負を持っていました。路線変更ではなく、自分の能力を拡張していくべき方向がハッキリと見えた時でもありました。今はまだ無い世界へ向けて、すでに実現している黎明期のインターネット領域でコンテンツ制作をし始め、猛勉強の日々が始まりました。一緒に仕事する年下の20代社長とその仲間たちから時には面倒臭がられながらも、自分の強みである制作進行能力を発揮してプロジェクトをリードしてきました。

映像とデジタル、二足のわらじ状態でその先のサクセスストーリーが見えないことに不安を感じたこともあります。そんな時に、「こんなプロデューサーは他にいない。うん、世界のどこにもいないね。」とグローバルに活躍するスタッフから言われたことが励みになったこともあります。誰もやっていないことをやって差別化する。それはそのままパズルを立ち上げる原動力になりました。

昔話が長くなりました。藤島が今、どのような必ず実現する今はまだ無い世界を見ているか頭の中までは知りません。その頭の中は急速にデジタル化が進んでいます。デジタイズ中などと言っています。きっと新しい領域で、もしかしたら一番になれるような、ユニークなプロデューサーとして活躍することを期待しています。

いま持つ専門領域の強みを発揮しながら、専門ではない領域の知見を深めて2つ以上の強みを持つ。その組合せによって他に誰もいない唯一の人になること。不安になるけれどもそれを支えるのはすでに一つ持っている専門領域の強み、スペシャリストの自負だと思っています。これからのコトをとにかく面白がりながら、後輩たち次世代も引っ張り上げてほしいです。

ディレクター / プロデューサー 高井佑輔

画像2

パズルへ新卒で入社して7年目、プロパーでは初めてディレクターやプロデューサーを名乗ることになりました。なぜ2つ名乗るのか。冒頭で肩書きは周りが決めるものと書きましたが、実は2つでは足りないことが分かっています。これまで高井と関わった人によってはこの2つとも違うと感じることもあると思います。そのくらい仕事によって役割を変えて、幅広い経験を積んできたと思っています。

学生時代に映像制作の勉強をしていたおかげで、入社当初はハッキリと映像制作志望で、ディレクター志望でした。パズルはいろいろやる会社だよ、と教えてはいるものの新入社員研修が終わって現場に入ると、吸い寄せられるように映像制作の仕事へついていることが多かったです。映像の仕事が入ると真っ先に手が上がる積極性は良いのですが、もう少し幅広くやってほしいなあと思うことも正直なところありました。それから数年、好きなこと得意なことを伸ばすのが結果的に組織の目指す成長に早く近づくことを高井は自分で証明していきます。

きっかけはパズルのwebサイトから問合せがあった企画コンペへの参加依頼。クライアントは起業支援の分野でよく知られているソフトウェア開発のベンチャー企業です。社内で参加希望を募ったところ、まだ何を作るかも分かっていないのに4年目の高井の手が上がります。さすがにこのやんちゃ者を一人で行かせるわけにはいかないと思い、オリエンにはプロデューサーも一人同行しました。

オリエンはデジタルでのサービス認知施策で、SNSなどで話題化するようなコンテンツの企画が求められました。コンペには強そうなライバルが数社したようですが、かえって気負わずにいけたのか、ずい分と自由な、求められていないような企画まで提案して勝ちました。ちゃっかりと映像の企画も入っていました。

その後、いろいろ提案してしまったばかりにクライアントも複数案を絞りきれず、各々フィードバックを受けて予算調整と企画の修正から決定まで時間がだいぶ経ちました。そして最終的に、高井の思惑通り、プロモーションムービーを作ってその主人公をフィーチャーするwebサイトを作ることが決まりました。

自分の企画でコンペに勝ち最終案まで仕上げた自信から、当然のように全ての演出をやりたがります。プロデューサーもOKします。そして制作がスタートしました。キャスト、ロケ地、音楽、サイト構成、デザイン、さまざまに細かなことを決めていく立場を担い、その難しさと面白さの両方を知ったと思います。後にこの時のことを振り返って、「全部やることの意味が分かった。全部やるから面白い。」と言い切りました。

ムービーの尺を短くできず困っているというので仮編集を見せてもらい、バッサバッサ切ってやりました。高井こだわりのシーンもバッサリ。納得いかないようですがだいぶ見やすくなったはずです。ところが、最終的に納品されたものを見ると、なんとこだわりのシーンが入っています。もちろんクライアントの承認も経ていますが、こっそりとディレクターズカットを納品してしまっていました。

きっかけの話が長くなりました。ここで高井がやったことはクライアントから直接話を聞いて、企画を考え、直接提案し、制作内容を決め、予算を決め、全ての成果物の演出をし、映像編集もして、顧客満足を高めたことです。たった一つの仕事でほとんどの役割を経験し、これ以降、ある仕事では部分的にプランナーを、またはプロデューサーとして呼ばれて全部やる、やっぱりPM面白い、そもそもディレクター志望、など求められる役割を変えながら多くの仕事に携わってきました。この志向はパズルの志向に他なりません。

新しい肩書きをどうするか二人で話し合いました。この、「全部やる人」って何だろう?と。よく社内では、全部やるのがPM、PMは全部できなくてはならない、と話します。プロデューサーやディレクターにも当てはまります。関わるスペシャリストたちと対等に会話するため、同レベルの知識を持つべきという考えです。話し合った結果、専門領域の判断者「ディレクター」と総合的な判断者「プロデューサー」の両方を名乗ることで「全部やる人」ということにしようと決めました。新卒採用を始めて、こんな人材をつくりたかった。それを高井が体現しました。プロパーのロールモデルとして先端を走り続けてほしいと思っています。

画像3

二人はここからがスタートでもあります。今まさにいろんな価値観が変わっていく中、次々とバージョンアップしながら次世代の「何者か」になることを楽しみにしています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?