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吉福伸逸さんの仕事④「宝島」

 吉福伸逸は1974年にカリフォルニア州バークレーから帰国しますが、1976年には雑誌「宝島」(JICC出版=現・宝島社)に立て続けに記事を書いています。

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 まず1月号では「どうでもいい世界」と題した2ページのエッセイ。これがまた不思議な文章なのです。

「どうでもいいから、どうでもいい世界に住んでいる人ではなく、どうでもよくないから、どうでもいい世界に住まざるをえなくなり、ついには、どうでもいい世界が唯一の世界になった人たちを僕はジャンキーと呼んでいる」

 意味わかりますか? 僕も最初はなんだこれ?って思いましたが、吉福さんの人生をたどるうちに、「ああ、そういうことなんだ」と納得し、ここにこそ、吉福さんのいつわらざる感慨があると思うようになりました。『吉福伸逸アンソロジー』(サンガ)に収録されていますので、興味のある方は読んでみてください。

 当時の編集長は前年の1975年10月号で「マリワナについて陽気に考えよう」という特集を組んで問題提起した「北山耕平さん。北山さんはのちにアメリカに渡り、ネイティブ・アメリカンのメディスンマン”ローリング・サンダー”と偶然に出会い、帰国後に吉福さんのその話をしたところ、ダグ・ボイドの『ローリング・サンダー』を教えられ、翻訳することになりました。

 富士山に日の丸を描いたセンスのいい表紙イラストレーションは大橋歩さん。「ぼくたちはもうひとつ別の生き方を提案します」というコピーも最高ですね。背表紙には「気楽にいこうよ」の文字。

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 2月号は「童話・どうでもいい世界」という2ページのエッセイ? 寓話?

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 3月号は「ふっとした瞬間」。

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 4月号では「カルロス・カスタネダ――ドン・ファンの力」と題してふたたびドン・ファンについて書いています。『AUM』への寄稿から1年もたっていないのに、文章はずっと読みやすく、語りかけるような文体になっていることにびっくり。

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 8月号は座談会「ジェリー・ガルシアとぼくたちの新しい生き方」。出席者は今上武蘭人、久保田麻琴、吉福逸郎(吉福さんのペンネーム)。ジェリー・ガルシアの新刊『自分の生き方を探している人のために』(晶文社)をめぐる対談です。ジャズ・ミュージシャンだった吉福さんがグレイトフル・デッドを語るというのが珍しいですね。ちなみにこれは『仏に逢うては…』に書きましたが、北山耕平さんは吉福さんを「知の世界のジェリー・ガルシア」と呼んでいました。そのたたずまい、カリスマ性に通じるところがあるのかもしれません。

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 1978年2月号ではなんとびっくり、吉福さんは小説を書いています。「インディアンの戦士 または聖なるパイプのけむり」と題して、バークレー時代に偶然にも同じアパートに住んでいたというダグ・ボイドと、先述のローリング・サンダーのミーティングに出席したことを書いています。これ、アンソロジーに入れて欲しかったな。

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 4月号では「見酔 バグワンもどき」と題した3ページのエッセイ。『究極の旅』(バグワン・シュリ・ラジニーシ著 プラブッダ訳 めるくまーる刊)に触発された希望狂いのノートより、とあります。バグワンの邦訳第一弾『存在の詩』が出たのが1977年、こちらは禅の「十牛図」をテーマにしたトークです。

 以上、トランスパーソナル心理学の吉福さんしか知らない人にとっては、とっても興味深い内容だと思います。こうしたJICC出版との結びつきが、のちに『別冊宝島 精神世界マップ』に結実することになります。

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