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杉本博司さんによる記事。

 以下に紹介させていただくのは、現代美術作家の杉本博司さんによる「私の履歴書」の記事です。杉本さんは1948年生まれ、吉福さんは1943年生まれ。5歳違いのふたりが知り合ったのは米カリフォルニア州バークレー、斉藤光人さんという人の紹介だったそうです。斉藤光人さんはポルトガル語の通訳をしていた方で、以下の記事の前半にあるシベリア旅行に一緒に行ったのが斉藤光人さん。

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「そのころ私は吉福伸逸に会った。吉福は当時カリフォルニア大バークレー校の大学院でサンスクリットを学んでいた」

「吉福とは不思議と馬が合い、多くの時間を共に過ごした。そのころ出版が始まった、カルロス・カスタネーダの「ドン・ファンの教え」を吉福から紹介され、私はのめりこんでいった」

「吉福は74年に帰国し、精神世界ブームの火付け役となって、トランスパーソナル心理学を日本に紹介することになる」

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「カリフォルニアでの日々は写真の修行というよりも、若者たちが大人の社会に対抗軸を作る、カウンターカルチャーへの興味へと向っていった」

「そのころ吉福伸逸の紹介で見田宗介氏が訪ねてきた。見田さんは東大教養学部の助教授で、南米とメキシコの原住民の調査を終えて帰国する途中、ニューヨークに寄ったのだ」

 とうことは見田さんにカスタネダのことを教えたのは吉福さん? 見田さんと吉福さんはどうやっ出会ったのか、知りたいところです。

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 いまや現代美術の大御所である杉本博司さんと吉福伸逸さん。ふたりの関係が気になるところですが、実は『アーティストになれる人、なれない人』(宮島達男編 マガジンハウス)という本の冒頭でも、杉本博司さんが吉福さんについて語っています。

宮島 杉本さんの場合は、西海岸の文化に触れられて、「こいつには敵わないな」って思った人との出会いというのはあったんですか?
杉本 西海岸のときは、学校にあんまり行かなかったから。友だちにカリフォルニア大学バークレー校のインド哲学とかやっている吉福伸逸という人がいましてね。そこにしょっちゅう遊びに行ってたから、そっちの勉強の方が忙しかったですね。(中略)だから私は仏教の原典みたいなものを一気に読みましてですね。カリフォルニアで。2年ぐらいの間で日本語と英語でね。

 今回のインタビューでは杉本さんはバークレーでの吉福伸逸さんとの交流と、創作表現に与えた大きな影響について語っていただきました。

「その1、2年の体験というのはぼくの人生を変えましたね。それがなかったらぼくも普通の人で、普通の写真を撮っていたかもしれない」

 そこまで語るとは、いったいふたりに、なにがあったのでしょう。

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